田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

昭和44年度<秋山合宿>栃高山岳部記録より

2012-07-24 23:46:06 | 旅行
9月28日(第2日)
4:20 起床 大幅に遅れる。(1時間20分の遅れ)6℃ 晴れ 
1年生がテントから出てラジウスをつける。朝食の準備を開始。装備係はシュラフをたたみ8人用テントの撤収を急ぐ。手のあいている者からパッキングを開始。
5:15 朝食準備完了。3人用テントを撤収。
5:30 朝食開始。献立は、野菜サラダ、納豆と朝鮮漬け。
5:45 食事終了。食器の汚れはペーパーでふき取る。あたりはすっかり明るんできていた。雲量8 食糧及び食器係パッキング。ラジウスの蓋を紛失。
6:15 出発(時間の都合で準備体操を省く)
7:15 「黒岩」に到着。雲が激しく移動するのが気になる。雲量4~6
7:25 出発 いつのまにか晴れ上がる。
7:45 やっと7合目を通過。
7:55 田村の靴づれがひどくバテ気味なので、鈴木とザックを交換させてやる。少しはラクになるか。
8:45 唐沢小屋に到着 雲量2 微風 気温10℃ 
大真名子、男体山の頂上が見えるが中腹からはガス(霧)が濃くかかり、いっそう高山の風貌を感じる。遠景は見えず。
9:00 唐沢小屋出発
ガレ場の登りがかなりきつい。一年部員の足が、ぎこちなくもたつく。ついさっきまで見えていた男体山と大真名子方面はすでに見えなくなっていた。その方向からはガスが急速に進んでくる。ガレ場を通り抜け、シャクナゲに囲まれた急斜面を登り始める。

9:35 女峰山頂上に到達 微風 眺めはまずまず。西に白根山、北西方向では遥か彼方に燧岳が雲にかすんで見えた。東西方向からガスが襲ってくる。男体山は既にガスに隠れて見えなくなった。 間食は、落花生、甘納豆にオレンジジュース。
10:00 出発、いざ赤薙へ! 山頂から、だらだらした登山道を下る。その両側にはハイマツが続いている。足元に注意すべき危険な場所が2~3か所ある。

10;40 水場着。 気温10℃ 今は全天雲に覆われている。アルファ米に湯を注ぎ、水を補給し小休止する。現地確認、昼食は赤薙の頂上でとることにする。ここはテントの設営地になっているようだ。

11:00 水場を出発。 あいかわらずガスが立ち込めている。軍隊の行進のごとく、樹林帯の中を唯ひたすら前にすすむ。22名、3名と次々に部員が転倒。全員空腹に襲われる。たどっている登山コースに疑問を抱き始める。しかし、ほかに登山ルートらしきものは見当たらない。自信を取り戻して、前進を続ける。

11:50 ピーク通過。5、6人の登山者がザックをおろして休んでいる。この辺は樹木に囲まれ、まったく眺望がきかない。付近には相変わらずガスがたちこめている。『丸山を経て霧降へ』の立て札あり勇気づけられるも空腹著しい。特徴の無い、ありふれた登山道がいつまでも続く。

12:00 周囲を樹林帯に囲まれた、ちょとした平坦地で大休止し、昼食をとることになる。献立は、アルファー米、キュウリの塩漬け、ふりかけ、魚肉ソーセージ、ジュースに煎餅。正確な現在地が確認できず、通りがかりの登山者に聞いたところ、赤薙まではすぐだと言われた。

12:40 出発
13:05 赤薙第一峰通過  ここも樹林に囲まれ眺望がまったくきかない。足元は木の根があちここで露出しており、よく滑る嫌な下山路である。赤薙は樹林帯に始まり、樹林帯に終わってしまった。

13:30 霧降高原着 樹林帯を抜けると眼前にドーム状の山容をした丸山が姿を現した。ここで10分間休憩。日曜日のためか行楽客が多く観光用のリフトも動いている。ここで残っていた間食を一気にたいらげる。スキー場を抜け、高原ロッジに到着。さらに駐車場へと進む。

14:05 関口、前田、田村、鈴木が駐車場に着く。若干遅れて、山口、石塚、顧問、大橋、山根が後に続いた。駅行きのバスに乗り込む。
15:03 東武日光駅着。
15:24 駅発 (臨時快速を利用)
1年生はかなりつかれたとみえ、ザックのうえに腰掛けて眠っている。2年生部員も注意せず。
16:23 栃木駅着
16:50 学校着 田村のマメがひどい。
9月29日 全員登校 あとかたづけ
=終わり=

高校1年生の夏に演劇部を去り、体育系のクラブにのりかえた。それが山岳部だった。体力に自信があったものの慣れない登山靴でマメをつくり、その後ひと月余りは運動靴を履くことができずにサンダル履きで学校に通った記憶がある。37キロ耐久レースまでにマメが治らず、ビーチサンダルで完走したことも懐かしく思い出される。 


知られざる表日光連山を想う

2012-07-24 04:26:51 | 旅行
深田久弥の日本百名山には栃木県内からも4峰が名を連ねる。全国の都道府県数から言えば、平均で2か所であるから多い方である。那須岳、男体山に日光白根山は観光地であることからも良く知られているが、皇海山を知る者は少ない。多少歴史に興味があり日本最初の公害といわれた足尾銅山を知っていれば、その足尾にある山ということでその位置を知ることはできる。残念ながらまだ皇海山に登ったことはない。彼の選択基準が、「品格・歴史・個性」。これに1500m以上の山という高さ制限があったようである。品格、歴史はともかく、個性という点では、男体山は見劣りがする。むしろ、女峰山(にょほうさん)が選ばれるべきというのが持論である。

登山口から山頂までのアプローチの長さは標高差1900メートルと日本アルプスの山々と比較しても堂々たるものである。そして山頂にたどり着くまでに、この女峰山が見せる山肌の変化と景色の多様さは他に類を見ない。その名の通り、まさに女性のように姿を変える、衣装を変える。登山口は日光東照宮の裏手にあり、知る人も少ないひっそりとした杉林のなかにある。その標高は600メートル前後である。ここから2500メートルの山頂まで厳しい登山となる。その記録が昭和44年度秋山合宿として、栃高山岳部に残っている。わら半紙にガリ版刷りという当時では珍しくもない装丁である。その記録は40数年の時を経てセピア色に化しているが、その力強い文字は健在である。

「44年度 秋山合宿 女峰ー赤薙縦走 44年9月27日・28日 栃高山岳部」と表紙にある。その中身を抜粋する。

メンバー 初谷光彦 小堀誠 CL関口芳弘 SL石塚一郎 山口詳二朗 鈴木俊夫 大橋博 山根良典 田村志郎 (装備)前田育宏 橋本一美 (食糧)

9月27日

12:30 部室集合 すみやかに着替え 石塚・大橋は駅で回数券を購入するため先に出発。
1:15 準備体操終了後に出発。 快晴 雲量3 上空に絹雲、絹積雲 高積雲あり。
1:45 快速日光行き乗車 (回数券利用ー多人数の場合は非常に便利)雲量3
2:30 東武日光駅到着 全天雲におおわれる。湯本行きバスにのろうとしたが運転手に市内バスに乗るよう指示され、これに従う。
2:43 公会堂前バス停着
2:55 二荒山神社横にある登山口にて登山カードを投入する。田村くつづれがひどくサビオを貼る。登山靴、くつ下が新しく、特に登山靴が小さかったためである。一年生は登山用具を購入する際に上級生に相談するべき。田村の手当てが終わってすぐ出発となる。

3:00 行者堂着 三本のポリタンクに水を入れ出発。ブッシュをかき分けながら樹林帯の中を黙々と進む。
3:55 「禁断の石」を通過 田村の靴ひもが良くほどけた。ラジオを出して歩きながら天気予報を聞く。
4:10 少休止 東から西へと一列にカラ松がはしっている場所 関口が天気図を書く。女峰方面には雲が低くたれこめている。気温14℃ いぜんとして全天曇り空 微風 周囲の山々が色彩を失い、まるで水墨画のような美しさが広がる。

4:25 出発 山口を先頭にクマザサ、灌木の茂る中を進む。
4:40 「稚児の墓」通過 田村のまめが痛そうである。歩調が著しく乱れている。
5:05 第1水場に到着 鈴木のラジウスから石油が漏れ、修理具を出してコックを閉めた。石塚の差し入れの梨が出た。みずみずしく実にうまい。むかずに皮ごとかじる。他に間食としてロールカステラがでた。12℃ 雲ってはいるが見晴らしは良い。

5:20 出発 先頭は鈴木
5:40 第2水場に到着 11℃ 薄暗くなっている。
幕営開始 8人用テントは山口・石塚 3人用テントは鈴木・前田・山根・田村が設営担当。関口・橋本は水汲みと炊事。大橋ラジウス、溝掘りとする。 テントのペグを打つのに木槌が不要なほど土が柔らかい。ポールが沈んでしまうので、空き缶を間に挟む。

6:20 設営完了 ポリタンクの数がはっきりせず、その中の1個に漏れがあった。点検不足。
7:00 夕食開始 献立は ボンカレー 朝鮮漬け らっきょう いわしの缶詰 ぜんざい
7:30 食事終了 ミーティングにて就寝8:30起床3:00出発5:00と決める。外は真っ暗闇で星ひとつない。石塚および一年生全員で食器洗いに行く。大橋・橋本ぐずぐずして、なかなか行こうとしない。他の者はテント内の整理、明日の相談、打ち合わせを行う。石塚が戻ってから全員で宇都木さん差し入れの梅酒を飲む。疲れた時には適度のアルコールが必要。橋本くつずれにサビオを貼る。

8:40 就寝 騒いで眠れなかた。テント内は割合暖かかった。

(TO BE CONTINUED)

選挙の後の淋しさは

2012-07-24 02:14:23 | 政治
吉田拓郎の歌に「祭りのあと」というのがあった。たぶん昭和47年ごろである。まるで祭りのような騒々しい市長選挙のあとには、とくに負け組には祭りのあとのような淋しさが残る。この歌のセリフが心にしみる。いくつかの言葉を換えれば一層その寂しさが際立つ。

選挙のあとの淋しさが
いやでもやってくるのなら
選挙のあとの淋しさは
たとえば女でまぎらわし
 (つぶやき。。。。現職市長に女性スキャンダル??)

もう帰ろう もう東京に帰ろう
寝静まった 小山をあとに

敵を恨むも恥ずかしく
敵をほめるも恥ずかしく
なんのための市長選
なんのための投票か

もう眠ろう もうあきらめてしまおう
つぎの選挙も あと4年

日々を不満が吹き荒れて
帰ってゆける場所はどこ
日々を不安が吹き荒れて
しんでしまうに早すぎる

もう笑おう もう笑ってしまおう
昨日の選挙は 冗談だったんだと

選挙のあとの淋しさは
若いLOVERにくれてやれ
選挙のあとの淋しさは
老いた市長にくれてやる

(祭りのあとのメロディーにのせて口ずさんでみよう。そして全てを忘れよう。)

勝てば官軍、負ければ賊軍となりませんように。(笑い)