田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

昭和44年度<強化合宿>栃高山岳部の記録

2012-08-07 03:38:19 | 旅行
女峰山は日光市の北側、男体山の北東約7kmに位置する標高2483mの成層火山。「深田クラブ」の有志によって日本二百名山に加えられた山であるが、むしろ山頂の南東側にある雲竜渓谷のほうが良く知られているようだ。この雲竜渓谷は奥深い谷に多くの滝をかけており冬場は神秘的な氷の殿堂と化すことで有名である。だが女峰山の山稜部は鋸状の地形を見せ、アルペン的な風貌をなす魅力的な山である。
隣接する赤薙山を経由する霧降高原からの入山ルートが一般的であるようだ。標高1200mの霧降高原からだと女峰山頂までの標高差は1200mに過ぎない。日光東照宮の西側に位置する日光二荒山神社の裏手にある登山口からのルートから比較すると体力的にかなり楽な行程となる。日光市内から登る標高差1900mにも及ぶ馬鹿尾根に挑戦する登山者は少なく、もっぱら唐沢避難小屋、黒岩を経由しての下山ルートとして使われるようだ。
ところが栃高山岳部ではトレーニングと称して、あえて難易度の高い女峰山正面からのアプローチに挑む。これが強化合宿の目的である。八甲田山における死の行軍とまではいかないが、高校生の若い体力をもってしても相当に厳しい山行となる。自己の経験から言えば、南アルプスの北岳登山に匹敵する、まさに体力を消耗させられる登山ルートである。その分、富士山や男体山などの変化が少ない、いわゆる退屈な登山道にくらべて変化に富み、四季折々の変貌は登山者を楽しませてくれることは間違いない。女峰山の名にふさわしく、十二単以上の美しさを身にまとう山ではある。
にもかかわらず山行記録は何とも味気ないものである。まるで軍隊の行進にも似て時間の経過と休止中の様子だけが記憶にのこるようである。この時は、顧問の阿部鉄太郎先生と小堀誠先生が同行しており、2年生部員が4名と1年生部員が3名にOBが1名加わり総勢10名の小部隊であった。
第一日目は、部室に集合して学校祭を恨めしそうに見ながらも、これから経験する登山への期待を胸に最後の準備となる。大橋部員が不参加となったため、彼に電車の回数券購入を依頼、彼は駅へと向かった。
9:05 準備運動後に出発。(水泳の前と同じですかね)
途中で紅茶を買い忘れたことに気づき駅前の店でティーバッグを買った。
9:25 新栃木駅に到着し9:38発の電車に乗り込む、混んでいるので立ったままで日光駅まで。
10:25 東武日光駅に到着、前田と山根のラジウスから石油が漏れているのを発見したが、そのまま市内バスに乗車。バスは行楽シーズンで混んでいた。バスを降りた後で、漏れていたラジウスの石油を捨てる。
11:00 東照宮と二荒山神社の裏手にある女峰山の登山口から入山。
11:15 「行者堂」に到着。関口、前田、山根、田村のポリタンクに水を入れる。
11:55 「禁断の石」を通過、石塚が宇都木OBに向かって奇声を発する。狂ったか?
12:05 「交差点」着。街中でもあるまいに登山道の交差地点である。昼食にしたが、周辺には変な虫が飛び交い落ち着いて食事もできない。
12:35 石塚SLが先頭で出発となる。登山道が整備されてなく、足元が悪い。滑らないように注意しながら登る。
12:55 「児子の墓」(ちごのはか)を右側にみて通過。
01:25 第一水場に到着し、休憩となる。菓子とチョコレートが出た。先ほどの変な虫たちが、執拗にまとわりつく。
01:35 出発。秋の山とはうって変り、木の葉が落ちて樹林帯の中が良く見渡せる。ガスがすこし出てきた。雨になりそうな気配である。全員が意外にバテてきている。特に一年生部員の疲れ切った姿が見るにも哀れである。
02:25 「八風」着 間食に美味しそうな菓子が配られたが、小休止の間に体が冷えてきた。体力の消耗が懸念される。
02:35 出発 あっと言う間に前方が霧につつまれた。前回の秋山と異なり、今回はかなりひどい雨になりそうだとの予測もあったが、雨ではなかった。まずは一安心である。
03:15 「黒岩」着 温度9℃ 田村は今回もマメができたようなので応急手当でトクホンを貼る。はるか下の方に雲竜渓谷の沢から水音が微かに聞こえてくる。沢登りの猛者たちは、雲竜渓谷を経て黒岩に達するとも聞いているが、この崖を登るには相当なロッククライミングの技術が必要なのだろう。我々高校生には無縁の世界である。
03:35 出発 上り坂はさらに急斜面となり、岩場が長く続いている。霧の為に視界が悪く、非常に歩きにくい。
04:00 小休止 ラジオを取り出し、気象概況を聞く。 山根が登山道から落ちそうになる。疲れていて注意力が散漫になっているようだ。
04:10 出発 歩き始めて5~6分で、田村が痙攣らしい。仕方なく5分の小休止とする。山口、関口、前田と山根の4人が小屋に向かう。石塚、橋本、田村と顧問の先生2名が10分ほど遅れて出発となる。
05:05 唐沢避難小屋に到着。小屋には既に7~8人ほどの先客が休んでいた。前田と山根がテント設営を始める。その間に山口と関口が近くの水場へと水汲みに行く。水場までの道は楽ではないが、水量には恵まれた良い水場である。炊事は小屋内で行うことにした。ザック数個は小屋の中に置かせてもらうことにした。早めの夕食はスープのように薄いカレーだったが食欲に負けて食べる。山ではどんなものも食べなければならない。夕食後に食器洗いに水場まで歩くのだが、この水場まで10分もかかり暗いうえに霧が深く難儀する。小屋に戻り、テントの中で就寝。ラジウスをストーブ代わりにして室温を上げ、暖かい環境で眠る。

11月2日 
4時30分に起床、おかしい。確か目覚ましは3時30分にセットしたはずだった。ラジウスがなかなか着火せずに手こずってしまう。朝食はというと、昨夜の残りカレーを処理するために、玉ねぎとグリーンピースを加えて煮込んだ。不評だったカレースープを再び食べることになった。
7:00 出発。途中、遥か彼方に富士山が雲海に浮かんで見え、思わず感嘆の声がどこからともなく上がった。10分後には山頂に到着した。眺めが非常によく、部員たちは誰もがカメラのシャッターをきるのに忙しい。間食は甘納豆にラムネ。
8:00 出発。日陰に入り、岩肌がひんやりと冷たい。早朝のためか霧が岩肌を濡らし、足元の岩が滑りやすい。
8:35 帝釈山通過
9:20 富士見峠着。(みかんとジュースの間食)
9:40 出発。ガレ場がつづき、落石があり全員おどろく。途中で日光高校山岳部と出会う。
10:35 小真名子山頂着。見通しの悪い山頂で、雲多く風もない。
12:50 大真名子山頂着。記念撮影を行う。雲がでてきている。
14:35 志津小屋着。休憩の後でテント設営。
17:30 夕食開始。献立は五目御飯と味噌汁。
20:00 就寝
22:00 喉が渇いて目が覚めた。

11月3日
01:00 雨が降ってきた。
03:30 予定より早く起床。
05:30 朝食終了。テントを撤収。出発の準備。
06:40 予定より40分も遅れて出発。樹木伐採による倒木が登山道を遮り登りにくい。雨がぱらついている。
07:30 5合目着。積雪が目立ち始める。
07:40 出発。ガスが次第に濃くなる中、気温も下がっているのか寒さを感じる。付近にある雪を口の中に入れる。乾いた口の中で、雪もうまし。五合目からは休まずに男体山頂についた。相変わらずのガスで視界は15メートル前後しかない。
09:25 出発。寒気から逃れるために駆け足で男体山を下る。
10:00 6合目に到着。中禅寺湖が霧の隙間から見え、思わずカメラを構える。
10:15 出発 やや駆け足気味で下山する。
11:05 二荒山神社に到着、柵を乗り越えて登山道から外に出た。中禅寺湖畔からバスに乗り12時25分には東武日光駅に着いた。無事下山出来たことに感謝し、なぜか全員でおでんを食べることになった。





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