天候悪化のお陰で気温が急降下して猛暑から解放されたが、2泊3日の遠出ドライブから戻った翌日に亀の巨大水槽(実はホームセンターで買った大根洗い用のポリ盥にすぎない)を運んで腰を痛めてしまった。8月18日の出勤日は激痛を抱えての出勤となった。車の乗り降りさえもスローモーションVTRのようでぎこちない、まるで100歳近い老人のようである。営業部で3カ月前から働いているM氏過去には整体師をしていた経験があり、腰痛と聞き早速診てもらえることになった。床にうつぶせにさせられて、いきなり右足と左足の脹脛をつままれ右足と左足とどちらが痛いかの質問。確かに右だけが痛いと感じた。腰の骨がずれていてバランスが崩れているので調整するとの説明の後、両足を片方ずつ背中に押しつけて終了。右足の痛みはなくなっていた。たった5分の治療であったが、暫くの間は腰痛が和らいだ。骨のずれは修正したので、あとは靭帯が炎症をおこしている可能性があるのでシップ薬を貼っておけば痛みは和らぐとのこと。幸いにも彼の予想通り、腰痛は少しづつではあるが改善していった。
さて、文鳥を後部座席に乗せた会社払い下げのマイカーは予定通り8月14日に出発した。最初の目的地は群馬県前橋市にある敷島公園内のホテル楽々園であった。野球場やテニスコートなどの設備が整った市の運動公園内にあるホテルである。ということは民間の施設でなく、前橋市の施設という可能性が高い。到着予定を6時と連絡していた為か、部屋の準備もできていなかったようで、誰もいない玄関から入ってゆくと後を追うようにおばあさんが来て受付のカウンターの向こう側に立った。建物も古かったが受付嬢もそれに負けないくらい歴史を感じさせる女性である。パンフレットにはホテルの1階には小洒落れたイタリアンレストランが写っていたが、今はそのレストランも倒産したのか撤退したのか美容院になっていた。結婚式場の案内もあるが、最後の式が行われたのは恐らく10数年以上も前であろうと思われる。いくら予算がなくても、今のこのホテルで式を挙げようと考えるカップルは存在しないであろう。受付周辺の煩雑さは、まるでユースホステルか民間会社の保養所といったところで、とてもホテルとは呼べる雰囲気ではない。街中のビジネスホテルに泊まろうとしたのだが、どのホテルもツインかダブルあるいはシングルと別々の部屋となってしまい、家族3人で泊まれるホテルが見つからなかったのである。唯一ここだけが大部屋で家族が泊まれる宿泊施設だったのだ。通常はツイン部屋らしく、折りたたみ式簡易ベッド2台を詰め込んだ部屋は流石に狭い。そのうちの1台は、かなり使い込んでいるようで、体が沈みこんでしまうような状態で、とても寝ることなどできない。ここは文鳥のベットとして、鳥籠を置く台とした。素泊まり4500円コースなので文句は言えないが、やはりビジネスホテルで別々に泊まったほうが良かったのかとも思ってしまう。他にも泊り客はいたようだが、満室ではなかった。お盆のこの時期に満室にならないホテルは珍しいというか、ホテルとして魅力がないからに違いない。とてもリピーターがあるとは想像できない。夕食は外でとることにして、車でレストランのある通りを探した。あまり予算もないことから回転ずしチェーン店に決定。予算オーバーしないように気を使いながら流れてくる皿に手を伸ばす。明日のペンションでの夕食を期待して、今夜はつつましい食事で満足しようと自分に言い聞かせる。その間、文鳥のチョボと蛙のマーサはホテルの部屋で留守番となってしまった。そう、今回は文鳥以外に青ガエル2匹も旅行に参加しているのである。家族3人とペット3匹の大移動となってしまったのである。カメと金魚たちは申し訳ないが、参加を断念してもらった。さすがに60センチの水槽と1メートル近いプラ桶を車に積むことはできない。蛙の飼育ケースは持ち運びに支障なない大きさであるが、問題は餌の確保である。旅行の移動中に蜘蛛やらバッタの幼虫を捕まえるのは容易ではない、先が思いやられる。2日目の早朝に妻が蛙の餌を探しに公園内を歩き回っていたが、獲物はなしで残念そうに部屋に戻ってきた。ペットに餌をやれず飼い主としての責任を果たせずに、がっかりとした表情があからさまに見て取れた。今日も暑くなりそうだ。これから嬬恋村に向かって出発だ。お世話になったホテルについて辛口のコメントばかりになってしまったが、昨夜は良く眠れた。広大な運動公園の敷地内にあるせいで、駅前などにあるビジネスホテルと違い繁華街の騒音もなく静かな宿であった。これが一番重要なのかもしれない。寝るだけの宿なら十分すぎるホテルであったと思い直して、感謝である。途中の吾妻渓谷には立ち寄らず、ただひたすら嬬恋村を目指して車を飛ばした。単調な山道のドライブが続き眠気をもよおしてくるが、ラジオのボリュームを上げて甲子園からの野球中継を聞きながら走る。今年の夏もお盆休みの時期は甲子園の野球中継で始まり、ベストエイトが出そろう頃に休みが終わる。地元の高校が勝ち進んでいることもあり、今年はいつも以上に熱く高校球児たちの戦いに声援を送ってしまう。野球中継を聞きながら何とか眠気を払い、車は目的地に近づいてゆく。休憩のために立ち寄った施設が、たまたま民主党政権交代の際に話題になった八ッ場ダムを紹介するものであったので資料館の展示を見学することにした。テレビの報道で見ていた時は、あまり身近な出来事とは思っていなかったのだが、ダム計画の場所が意外に近かったことに今更ながら驚かされた。テレビの箱の中から訴える報道と言うメッセージとはいかに無力な存在であったかを思い知った気がする。たった5分か10分足らずの時間で資料館の中で得た情報は、テレビ報道で何度も何度も繰り返し見せられた数時間に及んだであろう情報よりも強大な影響力をもっていた。現場の強さであろうか。こんなにも広大な地域がダムの底に沈んでしまうのかと驚きながら資料館に展示された地形の模型を眺めていた。
さて、文鳥を後部座席に乗せた会社払い下げのマイカーは予定通り8月14日に出発した。最初の目的地は群馬県前橋市にある敷島公園内のホテル楽々園であった。野球場やテニスコートなどの設備が整った市の運動公園内にあるホテルである。ということは民間の施設でなく、前橋市の施設という可能性が高い。到着予定を6時と連絡していた為か、部屋の準備もできていなかったようで、誰もいない玄関から入ってゆくと後を追うようにおばあさんが来て受付のカウンターの向こう側に立った。建物も古かったが受付嬢もそれに負けないくらい歴史を感じさせる女性である。パンフレットにはホテルの1階には小洒落れたイタリアンレストランが写っていたが、今はそのレストランも倒産したのか撤退したのか美容院になっていた。結婚式場の案内もあるが、最後の式が行われたのは恐らく10数年以上も前であろうと思われる。いくら予算がなくても、今のこのホテルで式を挙げようと考えるカップルは存在しないであろう。受付周辺の煩雑さは、まるでユースホステルか民間会社の保養所といったところで、とてもホテルとは呼べる雰囲気ではない。街中のビジネスホテルに泊まろうとしたのだが、どのホテルもツインかダブルあるいはシングルと別々の部屋となってしまい、家族3人で泊まれるホテルが見つからなかったのである。唯一ここだけが大部屋で家族が泊まれる宿泊施設だったのだ。通常はツイン部屋らしく、折りたたみ式簡易ベッド2台を詰め込んだ部屋は流石に狭い。そのうちの1台は、かなり使い込んでいるようで、体が沈みこんでしまうような状態で、とても寝ることなどできない。ここは文鳥のベットとして、鳥籠を置く台とした。素泊まり4500円コースなので文句は言えないが、やはりビジネスホテルで別々に泊まったほうが良かったのかとも思ってしまう。他にも泊り客はいたようだが、満室ではなかった。お盆のこの時期に満室にならないホテルは珍しいというか、ホテルとして魅力がないからに違いない。とてもリピーターがあるとは想像できない。夕食は外でとることにして、車でレストランのある通りを探した。あまり予算もないことから回転ずしチェーン店に決定。予算オーバーしないように気を使いながら流れてくる皿に手を伸ばす。明日のペンションでの夕食を期待して、今夜はつつましい食事で満足しようと自分に言い聞かせる。その間、文鳥のチョボと蛙のマーサはホテルの部屋で留守番となってしまった。そう、今回は文鳥以外に青ガエル2匹も旅行に参加しているのである。家族3人とペット3匹の大移動となってしまったのである。カメと金魚たちは申し訳ないが、参加を断念してもらった。さすがに60センチの水槽と1メートル近いプラ桶を車に積むことはできない。蛙の飼育ケースは持ち運びに支障なない大きさであるが、問題は餌の確保である。旅行の移動中に蜘蛛やらバッタの幼虫を捕まえるのは容易ではない、先が思いやられる。2日目の早朝に妻が蛙の餌を探しに公園内を歩き回っていたが、獲物はなしで残念そうに部屋に戻ってきた。ペットに餌をやれず飼い主としての責任を果たせずに、がっかりとした表情があからさまに見て取れた。今日も暑くなりそうだ。これから嬬恋村に向かって出発だ。お世話になったホテルについて辛口のコメントばかりになってしまったが、昨夜は良く眠れた。広大な運動公園の敷地内にあるせいで、駅前などにあるビジネスホテルと違い繁華街の騒音もなく静かな宿であった。これが一番重要なのかもしれない。寝るだけの宿なら十分すぎるホテルであったと思い直して、感謝である。途中の吾妻渓谷には立ち寄らず、ただひたすら嬬恋村を目指して車を飛ばした。単調な山道のドライブが続き眠気をもよおしてくるが、ラジオのボリュームを上げて甲子園からの野球中継を聞きながら走る。今年の夏もお盆休みの時期は甲子園の野球中継で始まり、ベストエイトが出そろう頃に休みが終わる。地元の高校が勝ち進んでいることもあり、今年はいつも以上に熱く高校球児たちの戦いに声援を送ってしまう。野球中継を聞きながら何とか眠気を払い、車は目的地に近づいてゆく。休憩のために立ち寄った施設が、たまたま民主党政権交代の際に話題になった八ッ場ダムを紹介するものであったので資料館の展示を見学することにした。テレビの報道で見ていた時は、あまり身近な出来事とは思っていなかったのだが、ダム計画の場所が意外に近かったことに今更ながら驚かされた。テレビの箱の中から訴える報道と言うメッセージとはいかに無力な存在であったかを思い知った気がする。たった5分か10分足らずの時間で資料館の中で得た情報は、テレビ報道で何度も何度も繰り返し見せられた数時間に及んだであろう情報よりも強大な影響力をもっていた。現場の強さであろうか。こんなにも広大な地域がダムの底に沈んでしまうのかと驚きながら資料館に展示された地形の模型を眺めていた。