田舎で暮らしてます。 (My country life!)

都会の喧騒を離れ、北関東の田舎で可愛いペット達と暮らし始めた中年夫婦の日記です。

井中澄夫車椅子の旅(第一章)

2012-10-09 19:42:48 | 創作
TO BE OR NOT TO BE 井中澄夫は迷っていた。いや本当はどうでも良かったのかも知れない。もともと息子の初舞台を見たいと言い出したのは妻の澄香だった。C大に入学して間もなく息子が演劇サークルに入部したと聞いたのは本人からではなく、妻を通して知ったのである。前立腺がんが骨へ転移したことで骨盤周辺の骨がもろくなった事による左脚骨折で車椅子生活を余儀なくされてから三週間が過ぎようとしている。普通であれば玄関で足を踏み外したくらいで骨折することは少ないのに違いない。

近所のスーパーへの買い物などは妻の運転に頼り、月に何度かの通院も助手席に座ることが多くなった。ただ30年以上もペーパードライバーの座に甘んじ決してハンドルを握ろうとはしなかった妻に東京まで運転しろと言うのは流石に酷というものである。幸いにも澄夫の右脚は自由に動いた。左脚が不自由でもオートマ車は運転できる。あとは体力的なものだけである。夕方遅くなって約束の5時半には間に合わなかったが何とか義妹と息子の住む東京のマンションに到着した。

翌朝になって、妻と一緒にC大まで行き演劇を見ることまでは決心がつかなかった。車で出かければ多少時間がかかっても目的地にたどり着くことはできるだろう。電車での車椅子異動は無謀であろうと澄夫には思えた。問題は駐車場である。お車での来場はご遠慮くださいというようなことがパンフレットにあったかもしれぬと妻は言う。電車での来場が困難なことを説明して何とか駐車場を1台分確保してもらえないか大学側に問い合わせてはどうかと澄夫は妻に提案してみた。ところがC大へ電話をしても誰も出ない。日曜日ということもあり事務局には誰も出勤していないのだろうか。そうこうしていうる間にも刻々と時はすぎてゆく。

今回の演劇鑑賞以上に、息子の通う大学をひと眼見ておきたいという漠然とした思いだけが澄夫の心のどこかにあった。井中澄夫は、やっと午後の公演を見に行く決心をした。一緒に行くと言っていた義妹も諦めたらしく、中止と思い込んでいた矢先に妻からの電話を受けた。「え?やっぱり行くことにしたの?」この機会を逃せば息子の通うC大キャンパスを見ることは永遠にできないと心のどこかでそんな思いが強くなっていった。妻は担当医に2年ももたないであろうと言われたらしい。けっして病気との闘いを諦めたわけではないが、もしもということがある。体力のあるうちに、できることはやっておこうと澄夫は考えた。

午後3時半開始の公演である。余裕を持って出かけるには少なくとも12時半にはマンションをでなければならない。車椅子で電車に乗るというのは全くの未知の世界である。電車通勤をしていた若い頃に駅のホームで車椅子を見かけることはあったが、これから自分がその車椅子に乗って電車の乗り降りをしなければならない立場と知った時に澄夫は一抹の不安を感じずにはいられなかった。これから介助をしてくれるのは妻と義妹という普通の中年女性でしかない、乗り降りを手助けしてくれるのは当然ながら駅員さんたちという事になろう。こうして初めての車椅子の旅は東京郊外の私鉄沿線のK駅から始まった。


最新の画像もっと見る