2013年6月訪問時
まずは、産泰神社の約100m東にある二十二夜塔から。
二十二夜の裏にあった小さな石碑。
写真中央が「道祖神」と読めそうだが、PC上でレタッチしても判読できず。
うち一つの石碑に書いてあった「足利郡筑波村」の表記。
(昭和30年に「御厨町」施行、昭和37年に足利市へ編入で、今の「筑波地区」に)
地図はこの辺→ https://goo.gl/maps/6tWoGpuQw6R2
高松町の産泰神社の庚申塔など
境内には、千庚申塔や馬頭観音碑、青面金剛像、道祖神碑や二十三夜塔など並んでいました。
神社すぐ近くの地蔵尊。
(こちらの記事にある地蔵尊とは別の場所)
2014年8月訪問時
前年の訪問時は本殿の撮影を忘れたけど、場所の都合で鳥居の設置がないのか、あるいは…。
馬頭観音碑は2基、千庚申供養塔は「寛政」の元号が。
左の二十三夜塔は「嘉永」、右の青面は「享保」と元号が書いてありました。
2014年8月訪問時
高松町の二十二夜塔と道祖神碑
高松町、橋西詰めの庚申塔の再撮影ついでに寄り道。
安政二年建立の二十二夜塔です。
ブロック塀の隣にあるため、左側面を確認するのは難しいようです。
二十二夜塔隣の道祖神碑(写真中央)も再撮影。
やはり、両隣の石造物は風化の影響で読めません。
道祖神碑の右側面をレタッチしてみたけど、やっぱり昭和20年代以前の建立かな?
産泰神社の青面金剛など
小曽根町、地蔵尊と庚申塔の再撮影ついでに寄り道。(上記の二十二夜塔と3日違い)
しかし、何があったのだろう…道祖神碑2つ隣の石祠がふさがれているように見えるんだけど。
右端の馬頭観音碑は嘉永?、左端に写る馬頭観音碑の元号はえーと…。
地図はこの辺→ http://yahoo.jp/O5T2-7