若かりし頃ヒデブな不思議ちゃんに逆ストーカーされた経験のある自分にとって、この作品のストーリーは非常に生々しく、今までついつい見逃していた作品だ。イザベル・アジャーニは映画出演当時18歳。この映画を見てアジャーニを美神とあがめていた友人がおったが、自分的にはあまり好きくない顔の造形の女優さんである。
そもそも“気持ち”で映画を撮るタイプのトリュフォーにとって、実在の人物の日記を文芸タッチで描いた本作品が、彼のテイストにあっていたかどうかが疑問である。文芸作品を撮るために生まれてきたようなデビット・リーンの映像とは、少し違うような気がしてならないのだ。
また、文豪ビクトル・ユーゴーの名前がこれでもかと登場するが、作品中唯一のミステリーになりえた<アデルがユーゴーの次女である事実>を、ぎりぎりまで明かさないような演出を、もっとしてもよかったのではないかという気もする。
さはさりながら、最愛の男につれなくされ常軌を逸していく狂女を熱演したアジャーニの演技は拍手に値するし、あのアクの強いヴァイオリニスト=イヴリン・ギトリス(18番はタイスの瞑想曲)を催眠術師で登場させたトリュフォーのファインプレーはお見事だ。
監督 フランソワ・トリュフォー(1975年公開)
〔オススメ度 〕
そもそも“気持ち”で映画を撮るタイプのトリュフォーにとって、実在の人物の日記を文芸タッチで描いた本作品が、彼のテイストにあっていたかどうかが疑問である。文芸作品を撮るために生まれてきたようなデビット・リーンの映像とは、少し違うような気がしてならないのだ。
また、文豪ビクトル・ユーゴーの名前がこれでもかと登場するが、作品中唯一のミステリーになりえた<アデルがユーゴーの次女である事実>を、ぎりぎりまで明かさないような演出を、もっとしてもよかったのではないかという気もする。
さはさりながら、最愛の男につれなくされ常軌を逸していく狂女を熱演したアジャーニの演技は拍手に値するし、あのアクの強いヴァイオリニスト=イヴリン・ギトリス(18番はタイスの瞑想曲)を催眠術師で登場させたトリュフォーのファインプレーはお見事だ。
監督 フランソワ・トリュフォー(1975年公開)
〔オススメ度 〕