ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

西鶴一代女

2008年11月08日 | 星5ツです篇
これまでは、年齢のいった田中絹代を無理やりお姫さまに仕立て上げる作品が多かったゴテ健であるが、本作品では絹代にはじめて汚れ役を演じさせている。溝口健二と田中絹代が単なる映画監督と女優を超えた関係であったことは、映画関係者ならば誰でも知っている有名な話だが、一時は松平家のお部屋さまに取り立てられたお春(田中絹代)が紆余曲折を経て場末の売女にまで転落する一代記を見ていると、二人の関係になんらかの変化があったのかと思わず勘ぐりたくなってしまう。

井原西鶴の「好色一代女」を大胆に脚色した脚本は、田中絹代演じるお春をこれでもかと痛めつけている。身分違いの男と恋に落ちたがために洛外追放。せっかく松平家の側室におさまりめでたく嗣子出産するものの側近の嫉妬を買い島原の遊女に。もう男はこりごりとばかり尼になろうとしたら、借金取に体をねだられ寺から追い出される。たどりついた先が<化け猫>も真っ青の年老いた売女の巣窟といった語るも涙の転落人生なのだ。金と欲にひたすら翻弄され続けたお春ののぞみが最後までかなうことはなかったが、お腹さまとして退屈な人生を送るよりも、波乱万丈の女として充実した一生だったにちがいない。

一時スランプにおちいっていた溝口健二が復活するきっかけとなった本作品は、ヴェネチア映画祭で国際賞に輝き、BBCの「21世紀に残したい映画100本」にも選出されている。浄瑠璃、琴、琵琶などの伝統音楽をたくみに取り入れたBGMも日本情緒たっぷり。13歳~50歳までのお春をたった一人で演じた田中絹代の生娘時代のシークエンスで多少絹代の若作りが気になったとしても、140分間あきることなく溝口ワールドにどっぷりとひたれる1本だ。

西鶴一代女
監督 溝口健二(1952年)
〔オススメ度 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブラック・スネーク・モーン | トップ | 非情城市 »
最新の画像もっと見る