ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ジャージの2人

2009年09月11日 | 激辛こきおろし篇
ゆるい映画→ジム・ジャー・ムッシュっぽい→ほめると都会人ぽく見られる ∴いい映画。こんないい加減な公式がいつのまにか幅をきかせるようになったのか、巷ではゆるい系邦画が大流行である。基本的に「低予算ですむ」「脚本を練らなくてもそれらしく見える」「有名俳優の起用も不要」等のメリットもあり制作側では大歓迎なのだが、この手の映画で当たりだったためしがない(強いていえば荻上直子の『めがね』ぐらいかなぁ)。

ジム・ジャー・ムッシュははじめからゆるい映画を撮ろうと思っていたのではなく、とりたい映画を撮ったらたまたまゆるい作品になっただけで、はじめからゆるーい映画を撮ってしこたま稼ごうとしたあざとい作品とは、そもそも成り立ちがまったく違っているような気がするのだ。海堂尊の原作を映画化した2本ですっかりファンになってしまった中村監督をもってしても、この『ジャージの2人』はまったくの空振り、失敗作といっても過言ではないだろう。

そして問題は“微笑みの貴公子”堺雅人である。一見ゆるい系が合っていそうなキャラクターに見える堺、実は滑舌がめちゃくちゃいいため、この手の映画にはあまり合っていない。公開中のゆるキャラ映画『なんきょくりょうりにん』においても、なーんかこう、浮いているのだ。堺の父親役で出ていた鮎川誠の方は、普通にしゃべっていても何を言っているのか聞き取れない根っからのゆるキャラで、なーんかこう、正反対なのである。

長嶋有の原作を読んでいないので脚色の良し悪しをどうこういうことはできないのだが、2人が3人になり1人になったところで何がどうというわけでもなく、癒されるどころか退屈で睡魔が襲ってくるのである。それは、(おそらく)カミさんとのごたごたで仕事に対するやる気を失った2人が、どの様に心変わりして社会復帰していったのかがまったく描かれていないからに他ならない。せめてジャージのロゴを和小人(ワースト)にしてほしかった1本である。

ジャージの2人
監督 中村 義洋(2008年)
〔オススメ度 

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