本著作の登場人物たちに、神を飛び越えたことへの爽快さは感じるものの、後ろめたさというか葛藤そのものが感じられない。おそらくイーガンは神を飛び越えた自らの傲慢さに気づいていないハードSF作家の一人であろう。
フーイーガン?を自称する方は、映画「インターステラー」における一般相対性理論の矛盾を自ら計算して証明できるほどの科学的知見の高さに打ちのめされたいと願っているマゾなオタク読者か、イーガンと同等の知見があると自負(勘違い)している専門家ぐらいのものだろう。
タブーを飛び越えるという意味では作風が似かよっているテッド・チャンなどは、何千年の風雪に耐えて人類が築き上げた古典文学への畏敬が感じられ、私のような文系凡夫でもまだ親近感を寄せやすいものの、ことイーガン作品においてはそれらが微塵もないのである。
お前たちもこちら側へ来いよ楽しいぜとばかりにイーガンから放たれるラストパスが、これまたトラップするのさえ難しいハイボール。量子サッカーに生体間移植、電脳移送、義神経等への記述が飛び越えるためのハードルなのであろうが、ここに萌えることができないと最後まで読み通すのはほぼ不可能だ。
かつて長嶋茂雄の熱血指導を受けた巨人軍若手選手が、「ガッ」とか「パッ」とか擬音語ばかりで何を伝えたいのかよく判らないとスポーツニュースのインタビューに答えていたが、まさにそのノリ(ちょっと違うか)なのである。
タブーを飛び越えてあちら側へ行ってしまったそんな超人類たちに一般読者が共感を抱けようはずもなく、SF批評家の評価はグンバツに高いものの、書いた本もあまり売れず、必然映画化のお声もかからないグレッグ・イーガン様なのであった。
しあわせの理由
グレッグ・イーガン作(ハヤカワ文庫SF)
[オススメ度 ]