ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

スイミング・プール

2009年01月31日 | ネタバレ批評篇
オゾンはリンチやハネケほど性格は悪くないようだ。観客に判断をゆだねる(謎が解けるものなら解いてみろ)的な映画を作っておきながら、女優のヌードシーンや南仏の美しい風景など、ストーリー以外にもちゃんと見所(評論しやすいところ)を残しておいてくれている、評論家にも優しい映画監督だ。

美しい肢体を裸族なみにさらけ出しているジュリ(L・サニエ)が現実に存在する人物なのか?あるいはサラ(S・ランプリング)の小説の中にだけ登場にする想像上の人物なのか?本作品に対する感想はさまざまだ。映画そのものが虚構である以上、そこにさらなる虚構をみせてもあまり芸がないと思う私としては、やはりジュリ=現実の人物と解釈したい。

ここは素直にジュリを編集長の娘ということにしてみてはいかがなものか。そう、編集長のジョンは自分の娘にまで手をつけるどうしようもない<女たらし>だとしたら・・・。ジュリのお腹の傷はジョンの子供を堕胎したときの傷跡。自らの恋のライバルでもある実の母親を交通事故(おそらく将来を悲観した母親の無理心中)で失った過去のあるジュリが、男狂いで母親に対するトラウマを抱えていたとしても何ら不思議ではない。庭師の娘がおびえるのも無理はないだろう。

そもそもジュリが別荘にあらわれたのも、自分以外の愛人の品定めに(あるいは殺害の意志を持って)やって来たのではないか。男を連れ込んで女としての魅力をライバルに見せ付けるのは、さぞや快感だったにちがいない。そしてフランクの殺害。恋敵サラに好意を寄せる男への憎悪、あるいは、サラを実の母親に重ね合わせた娘としての嫉妬が原因か。その証拠に、母娘のように二人は事件後急速に仲良くなるが、ジュリの情緒不安定(母親に関するトラウマ)は逆にひどくなる。

さはさりながら、プロテスタント(イギリス)よってはずされたカソリック(フランス)の十字架がいつのまにか部屋にかけ戻されていることや、滞在中けっしてつながらない編集長への電話など、妄想説を全否定できない要素もたくさんある。ラストの入れ替わりについては、その最たるもの。なんともやっかいな作品であるこにはちがいない。でもね、編集長がスランプに陥ったサラに新作を書かせるまでの“やらせ”説がもっとも有力かな。『女が眠る時』をご覧になると、それがよーく理解できますよ。

ゲイであることをカミング・アウトしているオゾンの、女性に対するシニカルな視点を感じる1本。

スイミング・プール
監督 フランソワ・オゾン(2003年)
〔オススメ度 

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