気がついたら新しい年を迎えていました。
私が宮崎市から、ここ えびのに住み始めて、このブログに登場してくださったUさん。Uさんのおばちゃんが、この度、旅立たれました。
終の棲家にしよう とえらんだえびのの地。知る人もなく、本当にゼロからの新しい生活。
やがてご近所の方たちから少しずつ受け入れていただくことができました。
その中で、Uおばちゃんは一番辛口で、一番優しい方でした。
以前、おばちゃんに「私はここに呼ばれてきたような気がするよ。できなかった親孝行、ミュージカルを通して出合ったたくさんの子どもたち。もう一度チャンスが与えられた」と言ったことがあります。
Uおばちゃんからは、たくさんの事を教えていただきました。
その最後の教えは「添い遂げる」。
おばちゃんは、年末年始の仮退院がかない、息子さん達に囲まれ三夜を共にされました。
2日の早朝、いつもの通りおじちゃんの隣に寝、そして旅立たれました。
おばちゃん 本当に ありがとう。たくさんの事を教えてくださり、励ましてくださり、ほめてくださり、時には厳しい教えもありました。
昨夜、おばちゃんは今までに見た事もないほどの美人になっていました。
どうか 安らかに。そして、ずっとおじちゃんを見守っていてください。
私は おじちゃんを助け、支え、そして またいろいろ学びます。
合掌 アーメン
ドラマのような最期だったのですね。
Uさんも我が家で妻を看取って、よかったと思います。
寒い折から、ご自愛ください。
何も言葉が見つからず
ただ ご冥福をお祈りします
家に戻って おじちゃんも息子さんも ともに年を越す時間があったんですね。
ご愁傷様です。
きっと おばちゃんも喜んでいると思います。
以前 ブログ とか パソコンの中で野菜を育てるゲームを見せたら ゲームでは「嘘や!嘘や!」と笑っていました。ブログは、よく意味がわからなかったみたいだけれど、感心していました。
「へー あったこともない人と 文通みたいな事ができるんやなあ」だって!
ゆきさま
健康診断は必要だと つくづく思いました。
それにしても お察しの通り。
抱きかかえるのも 支えるのも ちゃんとした方法を知らないので、おばちゃんにかわいそうでした。
最低限の介護を習おうかと思いました。
ようちゃんばあばさま
命って ストン と落ちるものなんだなあと感じました。私の母みたいに 脳死になっても輸血を続けたことを 今は可愛そうなことをしたと思います。
明日から おじちゃんは一人です。
家の横を通るたびに 顔を出そうと思います。
「おやつ!」とか誘いたいけれど、お菓子 食べないんですよー。