この頃は 「○○○みたいな」という文言がはやっているんですね。
どうして「○○○。」と言い切らない。いや 言い切れないのでしょうか。
「○○○みたいな」の「 みたいな 」の4文字の中には
自分を第三者に置く。或いは逃げ腰、他人事。責任回避。本心ではない。
取りあえずの言葉。を感じてしまいます。
でも、ここで こうやって桜木ゆり子が言っても何の重みもないわけで。
どうせ「○○○ みたいな」を使うなら
「○○○ みーたーいーなー!」と、だれだっけ、芸人のように大げさに言ってしまう! みたいな。。。
「こんな言葉の使い方はない」とか「こういう言い回しはいけない」と、記者ハンドブック片手に眉間にシワ寄せていた者としては、いまだに最近の言葉遣いに反発を感じてしまうのですが。
ですが、よく考えると「言葉」も時代と共に進化しているわけで、一概に昨今の言葉の変貌を否定するのもまたおかしな話しなわけで。
例えば「うざい」という言葉も、ある地方の方言であるらしいし。
あ、そういう流行語の正体を説いた本を貸したままだった。
(返してください。本は財産です! 住所がわからないって言ってましたが、そりゃないっしょ!)
あるあるあるー!
「・・・に なります」。
これらは 言葉の発達なのでしょうか 進化なのでしょうか。それとも廃退なのでしょうか。
うーん
方言と言えば ら 抜き言葉は 岡山弁にあります。
「たべれる」最近 変な流行語と言われ 意識して「たべられる」と言うようになりましたが
そうすると岡山弁では「お召し上がりになる」の意味になるので こまるなあ。
わたしは「・・・になります」と言うのも気になります。
「1万円からお預かりいたします。お釣りの 3000円になります」みたいな?うんうん
と うなづくのも また許せない。