言語聴覚士の独り言

言語聴覚士の日記

幸せに生きていくための2つの考え方

2023-12-28 22:50:00 | 伝えたいこと
私は訪問してリハビリを提供する仕事をしています。

少しずつ機能改善をされているご利用者でも自身の改善に気付けない方が少なくありません。

理由は病気が原因で気付けないと考える事もできます。

しかし、スケールで評価して数値で示しても納得できない時もあります。

理由をご利用者の言葉から考えてみます。

“良くなったと言っても結局は自由に身体を動かしたり、話がでるわけじゃないですか”

完全とはいわなくても、不自由がない程度までの回復を期待されています。

もちろんそれは悪いことではなく当然の気持ちです。

そして、私も回復を目指してサポートします。

“よくなる”とはどのような状態を指すのでしょうか。

一つはご利用者が目指している回復ができた状態です。

しかし、この“よくなる”を目指すと完全回復が難しい場合がほとんどだと考えると茨の道となります。

そこで、私が思う“よくなる”は後遺症があること自体どうでも“よくなる”です。

私の立場でこのような事を言うと誤解を招きそうですが、大切な考え方だと思います。

後遺症のため不自由は残存しているが残された機能でいかに人生を謳歌するか考える。

できなくなった事にフォーカスするだけでなく、できる事にも注目して欲しいです。

これは口で言うのは簡単ですが非常に難しいです。

また、病気や障がいに関係なくこの考え方は重要だと考えます。

人は失ったモノや得られなかったモノに視点が向きやすいです。

・背が低くて悩む
・人と上手く関わる事ができない
・お金に恵まれない環境である

視点を悪いポイントはどうでも“よい”と考えてポジティブな点にフォーカスすると

背は低いけれど、人と上手く関われないけれど、お金はないけれど

屋根のある所で暖かくして眠れており、着る物も食物もある。

そんな自分を理解してくれる人が1人でもいれば、それはもう大きな幸せではないでしょうか。

そこまで極端に思考できないとしても

『今の自分を認めて受け入れる』

そして、『小さな幸せを噛み締める』

どんな状況であれこの2つの考え方があれば幸せに生きていけそうです。

偉そうに言いましたが、自分でも分かっているけど、できないんだな〜これが😅










能力至上主義はもうやめよう。

2023-04-15 12:11:00 | 伝えたいこと
小学生になると成績表に数字が並ぶようになります。

便宜上、優劣を付けます。

優劣を付ける事で、選別やグループ分けが行い易くなります。

また頑張る意欲につながる事もあるでしょう。

しかし、その数字で表した優劣が個人の能力ではありません。

能力とは個人の特性×環境で決まります。

つまり能力は個人の力で完結できるものではないという事です。

例えばコミュニケーション能力をみてみます。

コミュニケーション能力が高い人を想像すると

・誰とでも流暢に会話ができる
・人前でも上手く立ち回れる
・人の話を聞く事ができる

などを挙げると思います。

しかし、このような事ができるコミュニケーションスキルが高い人でも環境が合わないとスキルを発揮できません。

クラスの人気者が怖い先生の前ではうまく話せない。
芸人が医学学会で壇上に立たされても固まってしまいます。

また、話し下手でも信頼関係の構築が非常に上手く人が集まってくる人もいます。

コミュニケーションスキルがあっても環境を間違えると上手く発揮できません。

スキルがなくても環境を捉えることができれば目的を達成することができるという訳です。

しかし世の中では便宜上普遍的な数字で表した優劣を能力と捉えてしまい、個人の特性ばかりに目を向けてスキル向上ばかり頑張る傾向があります。

それには終わりがなく、上には上がいます。
疲れてしまいます。

では能力向上ではなく何を頑張ればいいのか?

どのように生きていけばいいのか?

普遍的な数字で表した優劣を競うのではなく、固有の環境を育てる事です。

他人にはモテないけれど妻には愛されている。

学校ではいじめられているけれど、サッカークラブでは仲間とサッカーを楽しめている。

環境に適合していない事を個人の能力が原因だと考えるのではなく、

合う環境を大切にしていく事が重要です。

言い方を変えると能力を武器に世の中を渡っていくのではなく、世の中の物語の中を生きていくと考えると生きやすくなります。

自分1人の能力で結果が決まる訳でなく、自分も影響を与える事もできるけれど、結果は設定や登場人物、運や偶然に左右されて決まっていきます。

今回の物語は上手くいかなかったけれど、次のページでは上手くいくかもしれないと進んでいきます。

今回の話の最後です。

例外なく人は老いて死にます。

老いた時に能力至上主義だと、老いと共に能力は衰え喪失感に苛まれます。

固有の環境を育み、比較することなく小さな幸せを感じる事、

未来からの逆算ではなく、物語として目の前のことを楽しんで生きる。

このように考えると少し楽に生きていく事ができ、自分にも他人にも優しくなれそうです。

胃瘻のメリット

2023-03-28 22:44:00 | 伝えたいこと
私は言語聴覚士として、訪問してリハビリを提供する仕事をしています。

リハビリの卒業には3種類あります。

 リハビリの必要がない程度まで回復する
②亡くなる
③リハビリを希望されなくなる

よくあるケースは②③です。

今日、レアケースの①を経験させていただきました。

その方は新型コロナウイルスに感染して入院されました。89歳の男性です。

入院中に弱り食事が摂れなくなり胃瘻(胃にチューブを入れそこから栄養を入れる)を造設されました。

入院中にリハビリによりミキサー食、お粥は少し食べられるまで回復されましたが、栄養の中心は胃瘻のまま退院されました。

自宅に帰り、私が介入する目的は3つあります。

①口から食べる量を増やして、形態も普通食にもどす

②胃瘻からの栄養注入を減らす→なくして奥様の負担を減らす

③誤嚥性肺炎、窒息を予防する

①が達成できれば②も自動に達成となります。

退院されてから3ヶ月で目標を達成することができ、私の介入は卒業となりました。

目標達成できた1番の要因は

私の訓練効果ではなく、本人様の努力ではなく(もちろん努力の結果でもあります)、

胃瘻から栄養を入れるようになった事だと考えられます。

メカニズムは以下の通りです。

病気で食べられなくなる→飲み込む筋力が低下→更に食べられなくなる

この悪循環の最中にいくら訓練をしても効果はありません。訓練=カロリー消費を促すので逆効果になる可能性もあります。

ここで胃瘻からの栄養注入によりこの悪循環を断ち切り改善に至りました。

今回はご本人、ご家族の希望があり病院と在宅医療の連携が図れたので上手くいきました。

しかし、入院中に胃瘻を造り、口からは食べられないと言われたまま退院されて在宅医療に繋がらなかった方は口から食べることができないままとなります。

そういう方は沢山います。

長々と書いてしまいましたが今回の話をまとめます。

胃瘻=口から食べられない人が行うものではない
→口から食べるために胃瘻を造る場合がある
→胃瘻を造ったはいいが、そのまま退院して口から食べられるかどうか分からない状態の方が沢山いる。

今回の方のように高齢者で普通食を病前と同じように食べられるようになる方は正直少ないですが

カレーやプリン、水分など楽しみ程度の経口摂取が可能になる方は沢山います。

“胃瘻まで開けて生きていたくない”と言う方がいますが、

胃瘻から栄養を入れて元気になり経口摂取にチャレンジするケースもある事を覚えておいて欲しいです。






高齢者の女性に感謝を伝えよう。

2023-02-24 21:58:00 | 伝えたいこと
私は訪問してリハビリを提供する仕事をしています。

ご利用者のほとんどは後期高齢者です。

後期高齢者の女性を一まとめにすることはできませんが、

私(40代)世代から見ると本当に苦労されている方が多いです。

今日訪問したご利用者の奥様の話。

幼少期は戦争で10歳の時に3歳の弟を背負い空襲から逃げる。
20歳で嫁ぎ、旦那の親兄弟の家事を一手に引き受け、毎日一升お米を炊く生活。
やった事のない農業を手伝い、子宝にも恵まれ、妊娠は病気ではないと言われながら家で出産。
ひと段落する前に旦那の両親の介護。並行して子育てと旦那の仕事の事務仕事。退職する前に旦那の若年性認知症が発症。そして86歳の現在も懸命に旦那さんの介護をされています。

他の方でも夫を介護しているにも関わらず平気で剣幕で命令されている方を見かけます。

昔はそういう文化だったと言えばそれまでです。

私が異を唱えてもどうにもなる事ではありません。

ただもっと賞賛され労ってもらってもいいのではないでしょうか。

リハビリの合間に上記の話をしてくださったのは聞いて欲しかったのではないでしょうか。

男性が仕事で苦労していたのも事実です。

しかし、どちらが自分らしい人生を送っているのか、どちらが我慢をしてきたのか。

そんな事を考えるのに意味はないかも知れませんが、私は尊敬します。

敗戦後の日本をここまでの豊かな国にしてくださったのは男性の頑張り以上に女性の支えがあったからだと思います。

今は平等を当たり前にしようという風潮があります。

絶対的な平等などありません。

ただ誰もが主体的に自分が選択をして生きていける世の中になって欲しいと願います。

高齢者の女性が近くにいる方は話を伺い、沢山の話を聞いたのであれば労いの言葉をかけて感謝の気持ちを伝えてください。



インクルーシブデザイン

2023-01-20 12:35:00 | 伝えたいこと
今日のニュースに
“ソニーグループ傘下のソニーは2025年度までに、原則全ての商品やサービスを障害者や高齢者に配慮した仕様にする。開発過程で障害者らに必ず意見を聞き、リモコンのボタンを減らして形状を工夫するなど使いやすくする。障害者の意見を取り入れることを開発に関する社内規則に定める。日本企業では先進的な取り組みとなる。”

とありました。

インクルーシブデザインが少しずつ進んでいるようです。

インクルーシブデザインとは高齢者、障がい者、外国人など、従来、デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法です。

高齢者や障がいがある方が使いやすいデザインは他の方にも扱いやすい可能性が高いのではないでしょうか。

後付けでの手すりのような物もいいですが、

初めから全員が使い易くデザインできていれば経費削減や見映えの良さも向上します。

インクルーシブの意味は、「すべてを包括する、包みこむ」ことです。

単一民族国家である日本は非常に弱い考え方かも知れません。

義務教育のように“みんな一緒”ではなく

“みんな違ってみんないい”の考え方が浸透するような取り組みが大企業のような影響力がある所が進めていく事は非常に大切です。

また個人の考え方にも根付いて欲しいです。