言語聴覚士の独り言

言語聴覚士の日記

解釈は自由だ!

2024-05-28 23:18:00 | 日記
大腸癌、脳梗塞、コロナ感染。

これが彼の自慢話でした。

私は訪問してリハビリを提供しています。

80代の男性は闘病録を淡々と語ってくれました。

大腸癌に罹患後ストマ(人工肛門)となり、脳梗塞で右片麻痺、コロナ感染で救急搬送されています。

話し終えた後、真顔で「今日はごめんな。なんか自慢話が多くなって」と言われました。

私は大きな声で笑ってしまいました。

年配の男性でいかにもの顔をして古傷を自慢する人はよく見かけます。

何針縫った。死ぬかと思った。得意気に話す人は珍しくありません。

しかし、本当に死ぬかもしれない病気や死ぬほど辛い闘病生活を表情も変えず自慢する人に初めて出会いました。

「こんな病気をしても今元気でいるのは運がいいからかな」

笑顔で言われました。

病気をしていなければもっと仕事をやりたかった。

退院してすぐはもう駄目だと思った。

そのような内容も出てきましたが、最終的には“運がいい”と自慢しています。

『事実などない、あるのは解釈だけだ』

これはニーチェの有名な言葉です。

起きた事実は同じでも運がいいと自慢できれば、嘆いてばかりいるより幸せは大きいように思います。

辛いど真ん中の時は解釈する余裕はないです。

しかし、辛いの後に少し余裕ができた時にどう解釈するかは自分で決められるという事ですね。

セカンドオピニオン

2024-05-20 11:07:00 | 日記
自転車の調子が悪く、購入した自転車屋さんに持って行きました。

私も付き添う中、2時間半も時間をかけてみていただきました。

しかし、上手く直りませんでした。原因の説明にも正直納得いきませんでした。

私は悩みましたが次の日に異なる自転車屋さんに持って行きました。

お世話になっている自転車屋さんを裏切るような気持ちもあります。

しかし、近々輪行サイクリングの予定があります。出先でのトラブルは避けたいので勇気を出して持って行きました。

私の自転車のブランドは少し珍しいのか、私の住んでいる町には3店舗しか取り扱いがありません。

したがって、事情を説明するとどこの自転車屋さんで買って、整備に納得いってないことは直ぐに分かってしまいました。

ライバル店だから仕方がないかもしれませんが購入店の悪口が始まりました。

いい気分ではありませんでした。

しかも決定的な整備不良が見つかってしまい、購入店の悪口は加速します。

挙句には私に承諾も取らずに自転車の写真付きでブログに今回の整備の内容を書いてありました。

購入店関係の人が見たらすぐに私の自転車だと分かるでしょう。

そのブログの題名が“セカンドオピニオン”でした。

ちなみにセカンドオピニオン(Second opinion)とは、よりよい決断をするために、当事者以外の専門的な知識を持った第三者に求める「意見」、または「意見を求める行為」のことである。 日本においては主に医療の分野で用いられる用語です。

しかし、セカンドオピニオンとは医療の中では主治医にセカンドオピニオンをしたい旨を伝え、紹介状を書いてもらわなければセカンドオピニオンとは言いません。

つまり主治医や治療関連に不満があり自分で他の病院や医師の診察や治療を受けることはセカンドオピニオンではないのです。

したがって、今回の私の自転車の件はセカンドオピニオンにはあたりません。

どちらにせよ私が購入した自転車屋さんに行き辛くなった原因は個人情報の守秘義務に違反しているためです。

私は自転車が直ったことは良かったですが、

整備技術に欠ける購入店か性格に難のある店か自転車をみてもらうお店をどこにしたらいいか悩みができました。

今回のことでの教訓と対策です。

教訓は私が自転車の整備の知識をある程度身につけて不調や故障の原因にあたりをつけることができるようになる。

今後の自転車屋さん選びは県外でも信頼のできる店舗を探す。

緊急時は整備技術のある自転車屋さんに持っていく となりそうです。

購入店はさすがに命を預ける自転車なので今後は…。

私は医療業界で仕事をしています。

私も技術職(リハビリ)なので技術の研鑽を怠らないようにしたいです。

また医療業界も狭いので、ミスをしてしまった他者がいたとしても悪口や自分を上げる材料にはしないようにしようと強く思いました。

いつまでも若いと思うなよ

2024-05-13 23:21:00 | 
年上の友人にもらった本です。

最近その友人を見ていると、今までにまして時間を大切にしているように思います。

この本は題名から受け取るイメージと実際の内容は少し乖離がありました。

“いつまでも若いと思うなよ”
だから若い時間を大切にしよう!

という内容ではなく、筆者の実体験を基に“老い”に対して知見が述べてあります。

人間は自分の人生時間の進み具合を「若さの残量」で計るようになる。

「老い」を認めたくないから「まだ若い」と言い張るのではなくて、「若い」という基準しか持ち合わせていないから、ついつい「まだ若い」になってしまう。

年寄りは条件反射が摩滅した以上、すべてにわたって脳味噌が出て行って直接に指示をしなければなりません。

その点で脳化人間の年寄りは意識的にならざるをえなくなるのですから、「しないですむんだったらボーッとしていたい」という状態にはなるんじゃないかと思います。

歴史的にみて、長寿の要因は遺伝と楽な人生を送ることです。

若い時はそうでもないが、年を取ると「過去の空白」が妙に浮かび上がって来る。

「ああいう関係があったらよかったな」という形で、過去の人との出会いを思い出す。

私は今年で43歳です。

「若い」と言われる時もあれば「おじさん」と言われる時もあります。

いつまでも若いとは思っていません。

そう言われると、意図的な動作は増え、過去の空白に想いを馳せる時があります。

誰でも自分の“老い”は初心者です。

この本はいわば年寄り入門書です。

少し肩の力を抜いて老いていけそうです😊

親孝行の葛藤

2024-05-02 18:26:00 | 日記
子どもが発熱したため有給を取り病院にきています。

仕方がないことですが穏やか、爽やかな気持ちではありません。

その待ち時間にブログを書いています。

昨日、父親からLINEがありました。

検査の結果、腎盂癌だったとのこと。

私は都合よく親孝行ができていないと考えました。

親孝行とは何でしょうか。

父の病気が分かった途端に親孝行をしたいと思うなんて。
私のモヤモヤした気持ちを晴らすための親孝行でしょう。

父は私に何も親孝行を望んでいません。と思います。

父は厳しく、怒られた記憶がほとんどのはずでした。

しかし、今は怒られた記憶よりも、大きな手や涙もろい姿、人に頼りにされている父の記憶の方が大きくなっています。

子どもは親が高齢になり介護が必要になると、仕方なく介護する場合もあるでしょうが、自分が後悔しないために介護するケースもあるのでしょうか。

親と離れて暮らす私がそのようなことを言っても信頼性は低いですね。

母親は私達が忙しいと心配してくれて見舞いにも来なくていいと言いました。

私はさすがにそれは勘弁して欲しいと伝えました。

私が会いたいから会いに行きます。

親孝行の正解はわかりません。

私の後悔のないようにするのがいいのでしょうか。

熱を出している子どもを前に思うことがあります。

それは父にもらった愛情などもろもろを子どもに返すことも私の場合は親孝行になるのかな。ということ。

父さん、やはり自分勝手でごめんなさい。