4人の織姫様が竹島で手織体験に来ました
前に予約があったので今日を楽しみに待っていたのです。
全員手織は初めてとの事でスタッフも丁寧に体験をスタートしました。
綿の種取りから始めました。
「室町時代には存在していたこの道具を綿繰り器と言います」
ハンドルを回すとキーキーと音を立てて種が手前に綿が前にと別れます
「あらー!不思議だわ」
こんなに簡単な道具だが見事の働きをしています。
「なんで!なんで綿と種が分かれるのかしら」
古い時代に誰かが発見してから改良に改良を重ねて
今日の道具になったのであろう
そして、弓を使ってワタの繊維を解す綿打ち作業になると
「あら!、不思議だわ どうしてフアフアになるのかしら」
弓の弦が振動すると綿の繊維と繊維が解き放されて均一の綿に変化する
様を見てまたまた不思議の世界へと引き込まれていく
そして出来た綿を紡ぐ作業となると、不思議の世界へと入っていく
「私の手の中の綿から糸が・・・」
宇宙がブラックホールへと引き込まれるように綿が糸に代わっていくのだ
私の綿が 私の手から生まれている
原始の時代の人たちはもっと驚きの現実を目にしたに違いない
自分が紡いだ糸を持って織機に座ると機織りが始まった。
「私、初めてだけど出来るかしら」
「大丈夫です、昔は世界中で行っていた作業なのですから」
「織ればあなたは幸せになります」
教室から竹島の絶景を見ながら三河木綿を織る
これ以上の贅沢な時間は他に無いでしょう
織るという作業は無心を誘う
原始の時代からこの作業は幸せを作るという事だ
労働は苦痛なことが多いが機織りは心がほぐれる
笑顔になるか無心になって織る
何故?
それは織れば豊かになり、暖かくなる、
農業漁業の収穫の時
獲れば笑顔になり、獲れば幸せがくる
それが人類に組み込まれた欲望と繋がるのだろうか
1万年も前から織物はあった。
大自然の中の機織り姫の彼女はその時代のエースだったに違いない
その時代彼女はデザイナーであり、製造者であったのだ。
卑弥呼の衣装も織った人がいた
いや、卑弥呼自身が織り姫だったかも知れない
となると、 ”私今、卑弥呼と同じ事をしているのだわ”
と、なるかも知れないのだ。
それぞれが、自分のカラーをその場で選択して織機で織り始めたが、
今日は突然に瞬間に選んだ自分の色糸だ
「私、こんな感じの色が好きだから」
と、答えてくれる人が多い
選んだ時と織物になった時とはイメージが違うが、
「織れてくるとその違いが楽しいですね」
と、いう人が多い
”理想と現実”が徐々に織れて現れて来るが現実の映像を見るみたいで楽しいですよ、
と、言った人もいる
”想像と創造”の偉大な作業を終えて
最後の難関の房作りを終えるとコースターの完成である
おめでとうございます
4人の美女軍団の機織り体験でしたが、私の雑念が多くなってしまったな〜🙇