今日は教室を出て藤棚の下に御座を敷き三河綿を紡いだ。
日陰に涼しさを求めて逃げ込む観光客と会話を交わしながら作業が続く、
「三河木綿ってあるんですね」
「そうなんですよ、古くは徳川家康の母於大の方が松平家臣に綿の作付けを奨励した記録もあります」
子供が紡ぎ車を覗き込む姿も愛らしい
「なんで、綿が糸になるんだろう」
不思議がる若者との会話が楽しい作業である。
次に何を作り出すか、
何かの企画に迷ったり、方針が決まらない時や悩みの時、私は糸を紡ぐ、
何故か、綿も糸も私の心を和ませるのだ。
地べたに座り一心集中 綿が糸に変わる、それが全ての時
糸紡ぎの作業の時、覚悟が決まる、
そこで取り出した糸が整経台に並んだ。
「何を織りますか」
その答えは、此の前織ったが完成してないゴブラン織りを織るという、
16枚の多綜絖織機を使って織る支度が始まった。
相当な覚悟のいる相手だけに命の限りである。