光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

大阪ぶらり・・・京橋居酒屋とよ

2023年12月05日 | ぶらり探訪

大阪シリーズの続きです。 2023年10月21日(土)

藤田美術館を終えて、京橋駅に向かって歩きました。(紫の線が足跡)

途中、京阪本線のガード下の韓国料理店で昼食を摂り、少し北の、NTT西日本本社ビルへ。

 

 

 

若い時、NTTに勤めていて、当時は大阪城の南、法円坂にビルがありました。

写真を撮ろうと思ったら、スマホのバッテリーが切れかかっている!

藤田美術館で、撮りまくったからだ。 

モバイルバッテリーも準備がなく、一眼カメラもバッグから出すのは面倒と

撮るのをやめました。  で、ネットから借用。

NTT西日本本社ビルのイメージ写真です。 2021年10月に完成。

電電公社時代から、研修施設の場所だったところ。

 

 

そして、京橋駅へ、京阪とJRが交差した隣同士の駅。

ホテルのある天満橋まで、一駅だし、京阪本線沿いに、歩いて帰ろうと思って歩き出しました。

なんと、逆方向の東へ向かったのです! 方向音痴だとは認識していたのですが、古巣の大阪だし

行けるだろうと・・・ いつもなら、スマホ地図で確認するのに、電池切れ・・・

 

間違っているのが、分からないまま、しばらく進むと、長い行列と、やけに混んだ、立ち飲み居酒屋が

出現。 おまけに、お客は外国人が多い、・・・?????

この写真は、居酒屋を通り過ぎた後に、やおら、一眼カメラを取り出して撮ったもの。

 

 

気になったので、もう一度戻って撮るために、居酒屋の20mほど先で、コの字型にUターン。

コの字の縦棒あたるところで、墓地の景色が。  居酒屋は、この墓の左側になります。

しかも、2m程の段差がある。

これも後で調べて分かったのですが、この段差は、昔の堤防の跡だったのです。

居酒屋前の道は、大和街道(野崎街道とも)といい、堤防の上を走っていました。

下図。

鯰江(なまずえ)川は、16世紀頃に掘られた運河ですが、1972年までに埋め立て

られ現在は道路に。

 

コの字型の折り返し部分。

居酒屋が立ち並ぶ京橋らしい風景。 正面に京阪京橋駅のビルが見えます。

 

 

 

さて、居酒屋前の道に戻ってきました。

この行列! 1時間以上、待つ必要がありそうです。

 

 

”居酒屋とよ”が見えてきました。

 

ネットからの情報

「とよ」は、お店の大将である筑元豊次さん、豊次さんの名前からとったもの。
豊次さんは、鹿児島県の奄美群島に属する喜界島の出身。
15歳の時に集団就職で大阪に渡り、その後、1992年の11月にこの場所にお店を開いた。

 

この場所、もともと豊次さんの車の駐車場だったスペースで、店舗を借りる資金が
なかったために、大家さんに必死に頼み込んで、お店を出させてもらったのだとか。

 

 

「とよ」に喜界島の焼酎が置かれているのは豊次さんが喜界島の出身だからで、お店
の方が着ている「喜界島シーマスターズ」と書かれたTシャツは、豊次さんが所属して
いる喜界島の海潜りチームのユニフォームなのだとか。

 

 

カウンターの中に大将、右手の方は店長か。

予約なし、現金のみ。

 

 

外国の方が多いので、チラシには英語表記も。

ドリンク類はセルフサービス。 ビールは写真中央のステンレスボックスに氷漬け・・・関西ではどぶ漬けという

 

 

以前、アメリカのNetflixの、ドキュメンタリー番組で大きく取りあげられ

世界中から大勢の人々が、やって来るようになった。

 

 

 

なにやら、カウンターの前に人だかりが。 たぶん、名物「マグロのほほ肉の炙り」が始まったのでしょう。

 

いやー、写真撮っているときには、光景に夢中で、美味しそうだから食べたいなんて、思わなかったが

調べてみると、今度行ったときには、是非・・・ですね。  でも、並ぶの嫌いだしなー。

 

 

ネットから、メニューの一部。

 

 

うーん、生唾。

 

名物「マグロのほほ肉の炙り」

 

で、方向音痴の件、この後も30分ほど東方向に進み、ビル街が見えない???と思い

引き返した。 1時間以上のロス!  でも、いいもの見つけた。

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大阪城から藤田美術館へ、心中天の網島など

2023年11月27日 | ぶらり探訪

大阪城から、網島の藤田美術館に向かいます。  2023年10月21日(土)

藤田美術館は初めてで、大阪に勤めていた時も、この方面には行ったことがありません。

グレーのマーカーが歩いた経路です。

 

 

第二寝屋川の新鴫野橋から、上流側を撮ったもの。

 

上の写真の中央部を拡大。川を周遊する、水上バス”アクアライナー”が見えます。

調べると大阪城港がすぐ近くにある。

 

 

 

さて、寝屋川をわたり、網島へ。 ここの歴史を調べてみました。

網島は、江戸時代の地図でみると、中州(島)だった。

図で、古大和川と書かれているように、昔の大和川は、1704年に付け替え工事で、堺市の

北に流路を変えるまで、河内平野を流れ、網島で大川(淀川)と合流していました。 

両河川が膨大な土砂を運んで、中州ができたのでしょう。

当時、備前島と呼ばれていました。 備前島の名前の由来は、秀吉の時代に、備前の国、宇喜多秀家

屋敷があったことにちなんでいる。

 

江戸時代は、風光明媚な場所でもあった。

「摂津名所図会」は寛政8年から10年(1796~98)に刊行された摂津国の観光案内書

網島(あみじま)  京橋の北にあり。
この所は澱川の堤にして、漁家列なり鮮魚を多く市に出だす。また貸食家ありて、風流の第を設け、
前には難波律の通船・釣船・網船の逍遥に夏の暑きを忘る。

夕暮の河風に螢飄瑤として吹けども消えず、星の流るるに似たり。また中秋の月は、銀色三千界の
けしきありて、流光に棹の音蕭条としてさらなり。

東は志貴・生駒・掠が嶺峠・かづらき・二子山の雪げしきも一興にして、難波最上の名境なるペし。

 

そしてここは、近松の傑作「心中天の網島」の舞台でもある。

1720年(享保5年)10月14日夜に、網島の大長寺で、大阪天満の紙屋治兵衛と、

曾根崎新地の遊女小春とが、情死を遂げた場所なのです。

今の、藤田美術館のあたりが、ちょうど、大長寺のあったところ。

曽根崎から、大長寺まで、6kmほどあるのですが、深夜に幾つもの橋を渡る道行でした。

太宰治の情死にも関りがあるのですが、それはまた、別記事で述べることにします。

 

そんな網島に大災害が起こります。

明治18年の淀川洪水・・・ウィキペディアより要約。

 6月の洪水 
1885年(明治18年)6月は、上旬から雨が降り続き、17日夜に、枚方市の伊加賀で淀川本流の堤防が
決壊、淀川南側にあふれ出した。

淀川左岸の堤防は各所で決壊し、加えて淀川支流の河川や用水路の水もあふれ出し、大阪市北部や河内
平野の北側一帯が浸水。 水は寝屋川の堤防までで
、寝屋川以南に被害はなかった。

洪水の勢いが止まった後、大阪府知事は大川の堤防をわざと決壊させ、膨大な水を流してしまおうと
「わざと切れ」を実施。(江戸時代から行われてきた方法)
洪水地域の南西
の角にあたり、網島町にあった大長寺裏の大川左岸堤防を20日から23日にかけて切り
排水を行った。

25日からは枚方市伊加賀で堤防の修復が開始された。

7月の洪水
浸水地域の排水が終わっていない27日の夜から雷雨が始まり、28日は台風の影響で大雨、29日は風が
まり、7月1日は暴風雨となって、2日には修復中だった伊加賀の堤防が再び決壊。
さらに、多くの堤防も決壊し、「わざと切れ」を行った大長寺裏の堤防からも大川の水が入ってきた。
洪水は寝屋川以南にまで拡大し、7月上旬には江戸時代の干拓で消滅したはずの深野池と新開池以上の
大きな湖、かつての河内湖が地上に現れ出す始末であった。

さらに高潮まで加わって大阪湾の水が安治川を遡って現在の北区、西区一帯も浸水してしまった。

最大で約4mも浸水、死者・行方不明者81名被災者30万4,199人という甚大な被害が発生した。

浪華三大橋と呼ばれた天満橋・天神橋、八百八橋とうたわれた大阪の橋は主な橋だけで30余りが次々に
流失し、市内の交通のほぼ全てが寸断された。
暴風雨がやむと、ようやく洪水も動きを止め、各所の堤防の修理の甲斐もあり、長い時間はかかったが
大長寺裏の堤防から排水されていった。

この洪水後、1896年(明治29年)に淀川改修を加えた公共河川法案が成立し、淀川の改修工事が始めら
れることとなった。

なお、御堂を流され、境内も荒れ果ててしまった大長寺は、1887年(明治20年)頃に藤田伝三郎にその
土地を売却し、寺は
再興を果たした。
大長寺があったその地に伝三郎は網島御殿
と呼ばれる邸宅を建てた。

 

藤田邸

下図は、大正13年1月(1924年)に発行された「大阪市パノラマ地図」の部分図。
藤田邸が描かれています。

建設経緯・・・ウィキペディアより要約
後に藤田財閥となる藤田組の総帥、藤田伝三郎が大川の左岸、網島の地にあった日本郵船大阪支店長屋敷を
1886年(明治19年)に買い取って移り住み、前年の淀川洪水で荒廃していた大長寺の敷地を明治20年頃に
取得。1893年(明治26年)から1896年(明治29年)にかけて旧本邸を完成させる。

1910年(明治43年)から1916年(大正5年)にかけて、約53,000平方メートルの敷地内に新本館、西邸、東邸
を完成させ、「網島御殿」や「あかがね御殿」などと称される。
この時、珍しかった鉄筋コンクリート造りの蔵の他、本邸、西邸、東邸にそれぞれ十数もの茶室を設けた。
1916年(大正5年)には,
和歌山県高野山から,檜皮葺の多宝塔を移築し、それを銅板葺に改めた他、豪華な日本
庭園を完成させた。

その間の1912年(明治45年)男爵となった伝三郎が死去し、家長・男爵・財閥総帥の座と敷地の大半、本邸は
長男の平太郎が相続し、東邸は次男の徳次郎、西邸は三男の彦三郎がそれぞれ貰い受けた。

大正13年の発行であれば、東邸もあるはずですが、描かれてないようです。(図の左上部分)

1943年(昭和18年)には西邸は大阪市の所有に。 
1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲により、残ったものは表門・東邸
・鉄筋コンクリート造りの蔵・
多宝塔などで、他はほとんどが焼失。
戦後、その敷地は分割。
本邸跡を中心とする中央部は1954年(昭和29年)に鉄筋コンクリート造りの蔵を本館とし、藤田美術館として
藤田家の至宝を一般公開。 令和22年、本館であった蔵が取り壊され、新たな美術館が建設された。

東邸を中心とする東部は1959年(昭和34年)に、藤田観光が東邸を「淀川邸」と称し、多数の建物をも新たに
建築し結婚式等を行うことができる太閤園として開業、しかし、コロナ下の2021年6月、営業を終了し、太閤園
の土地や建物は宗教法人の創価学会へ売却。

西邸を中心とする南部は、1959年(昭和34年)に大阪市が迎賓館を建築し、大阪市長公館をへて大阪市公館と
なった。2014年(平成26年)からはレストラン・ブライダル施設「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」として営業中。

表門を含めて長らく放置されていた日本庭園を中心とする北西部だが、やがて大阪市が入手。この真下の地下を
走ることとなるJR東西線とその駅となる大阪城北詰駅の新設工事の際に資材置き場等に使用され、その後きれいに
整備。JR東西線開通後となる2003年(平成15年)12月19日に「旧藤田邸庭園」として、名勝の指定を受けた。

 

そんな、歴史のある藤田美術館一帯の、現地を撮った写真を。

表門です。

 

 

美術館近くの庭園。

 

 

藤田美術館の外観。  ネットから

 

 

 

建替え前の美術館  ネットから

蔵が横に並び、周囲は高い塀に囲まれています。

 

当時の展示室  ネットから

 

当時の藏   ネットから

 

 

藤田美術館の中、展示室の入口です。 当時の藏の出入り口を使っています。

壁は大津塗、床は三和土(たたき・・・「敲き土(たたきつち)」の略で、赤土・砂利などに消石灰とにがりを
混ぜて練り、塗って敲き固めた素材、昔の土間のつくり)

美術館に入館時は、壁や床のことは知らなかった。 ただ、何か・・・柔らかい雰囲気の空間を感じました。

なお、撮影は、スマホのみOKという、へんな規制。

 

入口からすぐのところで、マーク・ロスコの絵画のようなものが

 

 

やがて、文字が浮かび上がり・・・デジタルディスプレーでした。

 

 

薬師三尊天人像
南北朝~室町時代 14~16世紀

 

 

四天王像

左に、現代アートのような人物が写っていますが、窓越しの鑑賞者です。

 

多聞天
鎌倉時代 13世紀

 

 

 

 

茶道具は、さすが。

 

 

 

 

手桶形水指
本阿弥光甫 江戸時代 17世紀

 

 

 

紅葉呉器茶碗 銘 唐錦
朝鮮時代 16世紀

 

 

 

 

 

 

臨済徳山図
室町時代 13~15世紀

 

右の掛軸の顔部分。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

重文 雪舟自画像(模本)
室町時代 16世紀

 

 

歌仙切
後醍醐天皇宸翰 室町時代 15~16世紀

 

 

 

 

古代裂帖  天人幡残闕
飛鳥時代 7世紀

 

 

展示室をでたところの窓、昔の藏の窓を使って、いい雰囲気。

コンクリート打ちっ放しですが、スギの型枠模様が渋い。

 

 

 

 

 

縁側の先には、多宝塔や茶室が建っています。

 

 

展示室を出たところにあった、藤田伝三郎の説明パネル。

長州閥の政商ではあるのですが、商才もあった。

 

 

航空写真で見た藤田美術館。

右上部分が、旧太閤園、今は多くの建物が、解体されてありません。

 

 

旧太閤園は、現在、工事用の壁で囲まれていました。

 

ネットから、旧太閤園の俯瞰図と、

 

関西池田記念大講堂 完成イメージ図
料亭の建物や日本庭園は取り壊すことなく、保存されるようだ。

大阪勤務時代、結婚式場・太閤園の名前をCMで散々、聴いたものでした。

時代はどんどん変わっていく。

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醒ヶ井宿

2020年01月06日 | ぶらり探訪

元旦のブログで、年初に爽な写真ということで、中山道醒ヶ井宿の〝居醒の清水”の写真を載せました。

次の記事は、アート展を準備中だったのですが、せっかくなので、醒ヶ井宿の紹介を先に

 

 中山道69次のうち、61番目にあたる醒ヶ井宿(さめがいじゅく)は、滋賀県米原駅より、東海道本線で

一つ東側の醒ヶ井駅にあります。 駅前に案内看板がありました。




 駅から歩いて5,6分で清流(地蔵川)の流れる醒ヶ井宿・居醒橋に。 

 

 

 

橋の上から清流を撮りました。

緑色が梅花藻、下の梅花藻に、ところどころ見える白い点が水中花です。

 

 

 

 この地蔵川の清流には、いくつかの湧水箇所があり、ここはその一つ、十王水。

 

 

 

 地元の人にとっては、この清流も生活の場、洗い物をしています。

 

 

 

 

 清流上に、家と道を結ぶ小橋をかけ、植物を育てている家が多い。

 

 

 

 樋に梅花藻を育てていました。 水は下の清流をポンプで汲み上げ、流しているようです。

 

 

 

 清流の中に、生け簀のようなものが置かれてありました。 この清流に住む、体長4~7cmの小魚”ハリヲ”保護のためのものかなー?

 

 

 

 そのハリヲの説明です。

注目していただきたいのは地図です。 醒ヶ井宿のすぐそばを名神高速道路が通っているのです。

 

 

 

 清流、梅花藻、花が響きあって美しい。

 

 

 

 ズームを最大にして、梅花藻の可憐な花を。

 

 

 

 醒ヶ井宿にのこる問屋場(といやば)。  後ろに見えるのは名神高速道。

名神高速道や東海道本線、新幹線も、岐阜以西は、中山道に沿って作られているのです。

 

 

 

 

 問屋場の中。

 

 

 

 清流と似合う花たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 居醒の清水の由来 ・・・・。

 

 

 

 居醒の清水の木札が立っているところが、湧水箇所です。

霊仙山というカルスト地形の山の伏流水なので、カルシウムイオンを含んだ清澄な水が湧いている。

 

 

 

 湧出箇所のすぐ横にある加茂神社。 鳥居の中央部左側に、名神高速道の側壁が見え、車両の通行音も聞こえます。

拝殿などは左の石垣の上にあるのですが、どうも位置が窮屈だと思って調べたら、名神高速道の建設時(昭和34~35年)に

遷宮=移設しています。 元の位置は、石段の形状から、まさに高速道路上にあったのではないでしょうか。

湧水に影響が無かったのは幸いですが、清らかな湧水のイメージが少し揺らぎました。

 

 

 

 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒と決して大きくはない宿場だったのですが、名水で名を轟かせています。



現在の宿場の通り、江戸時代当時の古い建物イメージはありませんが、そこはかとなく宿場の香りがします。

 駅に、トランクケースを預かるロッカーがなく、キャリーを引きながらの観光・撮影で、あまり歩き回れませんでしたが

法事の後の、ミニ観光で気分は癒されました。 

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御嶽渓谷

2019年06月22日 | ぶらり探訪

6月16日(日)、久し振りに御嶽渓谷に行ってきました。

 2009年10月に、今回と同じコースを歩き、ブログにも8回に亘って連載。

また、2014年4月には、この渓谷で開催された第1回全日本レースラフティング選手権大会の様子を

アップ。

もう少し上流の鳩ノ巣渓谷や、白丸ダムなどにも行って記事にするなど、昔はよく行ったのですが

最近はとんとご無沙汰でした。

この日は、天気が良かったのと、午後から八王子夢美術館で「浮世絵に見る江戸美人の装い」(ギャラリートークがPM3:00から)

を鑑賞するのに、運動にもなり、都合がいいかなと思い、行くことにしました。

 

 JR青梅線軍畑駅を降りて、急な下り坂を降り切ると、軍畑大橋がありその上から多摩川上流方向を撮りました。  11:07
※軍畑(いくさばた)は、其の名の通り、昔、古戦場だった。

 

 

 橋から500mほど上流に向かって進むと、渓谷の遊歩道に降りる道があり、途中に標識がありました。 11:16

羽田空港のある多摩川河口から69km、標高は194mあるんだ。

 

 

 

 

 早速、上流からラフティングのボートが下ってきていました。 11:19

 

 

 

一人、ボートから落ちて、助け上げられているところ。 高校生ぐらいの団体の体験ツアーのようです。 11:20

 

 

 

 前日は雨でしたが、水量は普段並みかな。 11:27

 

 

 

 今度は家族でラフティングのようです。 しかも外国人の方。 11:30

 

 

 

 

続いて、もう一組。 こちらも外国人の方。 米軍の横田基地が近いので、その関係の人たちかな?  11:30

 

 

 

 先ほど通過したボートの方たちが、待っています。 手前に、流れの変化が激しいところがあるので、無事に通過するのを見届けるためか? 11:31

 

 

 

 

ボートの先端が持ち上がっています。 11:31

 

 

 

今度は先端が沈み込んで、赤い服の女性は少し慌てている様子。 何とか越えていきました。 11:31 

 

 

 

 少し先に進むと、岩からダイブする女性。 慌ててシャッターを押して、ピンボケに。 11:35

 

 

 

 

 

 

 

 こちらはピントが合いました。

 

 

 

 ラフティングなどの教室の、研修ツアーの一環かな?

 

 

 

 楓橋と寒山寺が見えてきました。 11:37

 

 

 

 アジサイが、さわやかな彩を与えてくれます。 11:40

 

 

 

 遊歩道の右横に、澤乃井酒造が営む料亭などがあります。 11:41

 

 

 

 相変わらず、ラフティングボートが通過していきますが、スイミングボードのようなミニゴムボートを楽しむグループがいました。 私も初めてみました。 11:43

 

 

 

 遊歩道は、借地に作られたものだったんだ。

それと、英語表記のシールが上貼りされていて、外国人が多いことを教えてくれます。 実際、米国人のグループ何組かとすれ違いました。

 

 

 

 カヤックも多い。 11:49

 

 

 

 御嶽小橋が見えてきました。 12:00

 

 

 

 対岸では、ボルダリングの方が。 以前、来たときは、あちこちにいましたが、ブームも下火かな。 12:02

 

 

 

 対岸の木の奥に、河合玉堂美術館が見えます。 12:06

 

 

 

 ここは川幅も狭く、流れが急なので、カヤックの上級者の、格好の練習場所のようです。 12:08

 

 

 

 御嶽小橋から下流側 12:09

 

 

 

 橋の下あたりもカヤックの溜まり場 12:09

 

 

 

  御嶽小橋から上流側  12:10

 

 

 

 

 

 

 

ほとばしる波と、モスグリーンの川の水が、なんともいえない。 12:11

 

 

 

 

 

 

 

 渓谷ハイキングを終え、御嶽駅のホームに来ました。 以前来たときは、伐採されたばかりで茶色だった山肌が、植林でかなり緑が回復しています。 12:20

 

 

 

 アップで

 

 

 

 カメラを右に振ると、御岳山が見えます。  山頂下にケーブルカーの駅があります。 12:20

そういえば、昔、女房とワンコで、ケーブルカーで山頂まで行き、帰りは歩いて鳩ノ巣駅まで行ったことを思い出しました。

ケーブルカーも2009年から、正式にワンコOKとなったようですが、確かそれ以前で、駅員さんに相談したら、籠に入れて

隠れるようにしたらOKと、融通を利かせてくれたように思います。

 以上、久し振りの御嶽渓谷ハイキング、気持ちよく歩けて、午後からの「浮世絵に見る江戸美人の装い」展の、いい前座になりました。 

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立川あにきゃん2015 そして山羊

2015年11月19日 | ぶらり探訪

 2週間前の11月3日文化の日。

立川市中央図書館からの帰り道、ん?。

 

 

 

 近寄ると

 

 

この時点では、???

 

よくイベントが行われる、モノレール高架下に行ってみると、コスプレのお嬢さんがハイ ポーズ。 手に持っているタブレットのようなものが曲者です。

 

 

そして、萌え系のデコレーションを施した車! 私でも萌え系の言葉くらい知ってます。

 

 

萌え系のメイドファッションの女性。 最初はカメラに向かってポーズをとってくれたのですが、横を向いてもらって撮った1枚。

 

 

ここまでくると、コスプレのイベントの参加者達だ・・・と察しはつきました。

 

 

広場の中央部にいくと、やっぱり。

 

 

いるいる

 

 

 

イベント全体のポスター。  立川はアニメの聖地といわれています。 それにちなんだイベントですね。

 

 

いたるところで、ガッチャマン・・・の言葉が出てきます。

 

 

 

 

警備会社のブースです。 テロリストを想像してしまう。

 

 

さっき写真を撮ったコスプレ参加者。 若い女性ですね、ソフトクリームをおいしそうに

 

 

カツラか自毛かわかりませんが、面白い

 

 

 

 

 

 なぜか会場の一角に、自衛官募集のブース。 コスプレではありません、本物です。

 

 

 サインもしている!

 

 

 コスチュームは自作なんでしょうね。

 

 

 

 そうそう、この萌え系のイラスト車は「痛車」(つうしゃ)っていうんだって。  痛々しい車が語源らしいけど、これも調べて初めて知った言葉。

 

 

 

 今度こそ帰ろうと、自転車で進むと、またど派手なコスプレお嬢さん。

 

 

 アップで撮らせていただきました。

 

 

 

 

 まだまだいました。 コスチュームとしてはノーマルですね。

 

 

 手に持つ、タブレットのようなものがわかりませんでした。

写真を拡大して、書かれてある文字や型番を読み取ろうとしましたが、創作した文字で判読不可。  あとで調べて分かったのですが

ガッチャマンのアニメの主人公が、宇宙戦士として変身したときの、力の根源となるNOTEとのこと。  グッズとして販売されていました。

 

 

 

 

 自転車を進めると、広大な空き地(米軍立川基地跡の未利用エリア)に羊が!

 

 

 なるほど、草刈りの手間暇がいりませんね。

 

 

 小さな子供達の格好の遊び相手。 子供が枯葉を与えています。

 

 

 

 

いやー、また犬も歩けばを体験しました。

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昭和記念公園

2015年09月20日 | ぶらり探訪

9月20日(日)昭和記念公園へ。  昨年の暮れ以来になります。

そろそろコスモスの季節なので、自転車で出かけました。

砂川口から入場し、こもれびの里へ。

狛江市から移築した古民家。 

 

 

煙の青さが懐かしい。

 

 

富裕層の農家の座敷ですね。

 

 

こもれびの里では、昭和30年代の農家の雰囲気を再現しており、農業用の小さな池があります。 それを背景に曼珠沙華が似合う! 

 

 

こもれびの里のお花畑のコスモスは、ちらほらで、もう1,2週間はかかりそう。

で、中央原っぱのお花畑に行くと、3分咲きでしたが、撮ってみました。 5年前に撮ったのと比べると大差なく、見頃にはちょっと早いようだ。

 

 

そこから、近くの日本庭園へ行き、あずまやから撮影。

 

 

池の蓮に風情があります。

 

 

 

 

 

毎回、来て思うことは、日本庭園の味に乏しいことだ。 時の熟成を待つしかない。

 

 

 

 

 

 

 

池の水の流出口。

 

 

日本庭園内にある、盆栽苑からキキョウ。

 

 

盆栽苑の名樹。  2015年3月4日のブログで紹介。

 

 

 

 

 

日本庭園から、定番の花木園近くの水辺のベンチへ。  ん?雑然としているし、立ち入り禁止のポールも

5年前の写真とくらべると、画面中央の木が根本で6本から2本に伐採され減っています。

そのため、木陰ができなくなり、雑草も生い茂る結果に。 倒木被害防止のためでしょうが、もっと知恵はないものでしょうか。

 

 

5年前の9月19日は、こんな感じで、良いスポットだった・・・。

 

 

ここから奥の眺めも、雑然とした感じ。 手入れが、行き届いてないようです。 

 

 

5年前の写真は整然としています。

 

 

紅い花を撮ってみました。

 

 

ハーブ園はいい香りに包まれていました。 小さな水槽の水草を最後に。

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韓国旅行出発前 成田山門前町で蒲焼

2015年05月10日 | ぶらり探訪

韓国旅行の当日(2015.4.25)、女性軍が以前から食べたいといっていた

成田山新勝寺の門前町の鰻の蒲焼を食すことに。 14時40分頃   建物が年代物で風情があります。

 

 

見た目はよさそう。 女房達は美味しい!と言っていましたが、私はいまいちでした。

焼き具合やタレなどは、確かにしっかりとした技術がありましたが、鰻の身が貧弱で弾力感がない。  上うな重¥2900です。

 

 

店先で鰻のさばきが公開されていました。 これを見て納得。

 

 

養殖鰻で、脂の乗りも今一つです。 ただし、私以外は美味しいといっていたので、私の舌がおかしいのかも。

 

 

レトロな建物が、風情を醸し出しています。

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「現代美術のハードコアは世界の宝である」展再訪-二の丸庭園

2014年08月11日 | ぶらり探訪

8月9日(土)東京国立近代美術館へ「現代美術のハードコアは世界の宝である」展の2度目の鑑賞に行きました。

2回も同じ美術展に行くのは、クインテット-五つ星の作家たち(損保ジャパン東郷青児美術館)以来です。

 

 

2度目となると、観かたも少し違ってきました。  気に入った作品はマチエールを丹念に感じ取り、そうでない作品は素通りになりました。

 

 

これは、「現代美術のハードコアは世界の宝である」展とは関係なく、美術館の前庭に据えられている彫刻ですが、ありふれた形で好きではない作品です。

ただ、この日は雨模様と芝生の緑が美しく、撮ってみました。  

 

 

竹橋の毎日新聞ビル地階で、昼食をとり、二の丸庭園へ。  

 

 

 皇居東御苑は、都心の穴場ですね。  来ている人の9割は外国人でした。

 

 

 

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三菱1号館美術館からLIXILギャラリーへ

2014年07月27日 | ぶらり探訪

7月27日(日) 三菱1号館美術館で開催されている「バロットン展」を観て、昼食後、銀座LIXILギャラリー

で開催されている「背守り」「山田 昌展」を観てきました。

展示については、別途紹介します。  今日は、道すがらの中華レストランなどの光景を。

三菱1号館美術館界隈は以前にも紹介し、中華レストランも入っています。

昼食は三菱1号館美術館カフェで、バロットン展に因んだ料理を食べようと入ったのですが

待ち人数を見てやめました。 で、以前にも行ったこの中華レストラン「人・人・人」(REN・REN・REN)。

撮影OKだったので店の奥のテーブル付近から、入口側を撮ったものです。

 

 

店の奥には、年季の入った家具類。  でも経年とともに、ビールケースなどが置かれ、折角のインテリアが惜しい。

 

 

入口から店内。  インテリアはいいですね。  以前の記事で、この店内でアメフトのスクラムをしていたのが思い出されます。

 

 

以前は、夜にレストランの外から撮っていました。

 

 

三菱電機本社ビルです。 中華レストランは1階右側にあります。

 

 

 

JRのガードを抜けると、懐かしいラーメン屋台。  銀座で飲んで、駅近くの屋台で麺をすするのは格別でしょうね。

 

 

新幹線のガード下にもラーメン屋台。  コンパクトな屋台にすべての機能を盛り込んで、よく考えているなと妙に感心。

 

 

歩いた経路です。

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銀座

2014年07月10日 | ぶらり探訪

資生堂ギャラリーをでて、この周辺を歩いてみることにしました。

行列のできる店。  俺の・・・・はチェーン店のようです。  Webで調べると、一流ホテルで腕を磨いたシェフ達が、手頃な料金で

提供しているとか。  時刻は16時45分、この時間にこんなに並んでいる!

 

 

博品館ビルの1階はトイパーク。  昔は(30年ぐらい前か)劇場のイメージが強く、大きく変わったものだと感じたのですが、私の錯覚のようです。

 

 

 銀座八丁目で。  道路上には5人ほどのグループが何か見つめていました。  中国語でしゃべっていたので、中国人観光客か。

 

 

ユニクロ銀座店が左側に見えます。  右側は工事中の遮音フェンス。

 

 

 

フェンス面にはジオラマの写真が貼られていますが、以前ここは松坂屋デパートだった。

 

 

 2012年6月に撮った松坂屋。

 

 

 

ユニクロに入って高層階から、松坂屋跡の工事現場を覗いてみました。

 

 

工事用車両がなければ、スラム街のようだ。

 

 

ユニクロ店内は変わっていない

 

 

変わっていたのが、ソフトバンク銀座店

 

 

 

玄関に入ると、孫社長が力を入れ始めた、ロボットのpepper。  手前はオムニロボット

 

 

 

階段踊り場には「お父さん」グッズの壁面ラック。

 

 

二階はアクセサリー売り場に変わっていました。

 

 

2年前は白戸家の居間だった。

 

 

二階の窓から。

 

 

お父さんも何か寂しそう。

 

 

資生堂ギャラリーの横から

 

 

裏通りは、飲食店と画廊が目につきます。

 

 

古い建物の一部を残して、建て直す形式のビルが増えています。  交詢社ビル

 

 

銀座四丁目の三越デパート

 

 

近くのディオールのビル。  ここの玄関口に立っているガードマンは、タキシードは着ていますが、不審者を見るような目つきでいつも、イヤな感じ。

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自然教育園 再訪

2014年06月16日 | ぶらり探訪

 6月8日(日)、そぼ降る雨のなか、国立科学博物館附属自然教育園

と午後は、世田谷美術館「桑原甲子男展」に行ってきました。

 自然教育園は2011年5月28日から6月2日までの5回シリーズ

でブログ記事にしました。  雨に濡れた新緑が印象的で、それは今回

も同じでした。

園内地図です。 今回はひょうたん池から反時計回りで巡りました。

 

 

 

「物語の松」と楓。  

 

 

 

ひょうたん池

 

 

水生植物園です。  もう菖蒲などは終わったようです。

 

 

 

草フジに黄蝶が止まりました。

 

 

 

水辺の光景は、心が洗われます。

 

 

 

 

 

 

左奥にひょうたん池があり、その近くにあずまや風の建物がありますが、そこに外人のお母さんと幼児がいて、お母さんがスペイン語?で声を張り上げていました。

大使館などが多く、外国人の方が多く住んでいますので、そんな家族かもしれません。  

 

 

北側の湿地帯です。  水路の水はこの先の土塁の下を通って、園外に出ていきます。

 

 

いもりの池近くの楓の葉。

 

 

 

林は、人間の手を入れず自然状態。  それが美しい。

 

 

ただ残念なのは、高速道路などに囲まれ、森の静寂がないことです。

 

 

水鳥の沼に鴨が一羽、休んでいました。  変わらぬ自然を見届けて自然教育園を後にしました。

 

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新緑のトーハク、上野東照宮、伊豆栄梅川亭

2014年05月20日 | ぶらり探訪

約一月前の4月25日、トーハクや上野公園で撮った新緑の写真を、時季外れになる前にアップします。

トーハク本館1階のバルコニーから見た庭園です。  本館の一部リニューアルに伴って、このバルコニーが解放されたのはグッドでした。

若い外人のアベックの方が、庭園をバックに記念写真を撮ってもらっていました。

 

 

トーハクをでて、伊豆栄という料理屋に行く途中、東照宮の参道を通りました。

 

 

牡丹の花が最盛期で、参道横の牡丹苑を外から撮ったものです。

 

 

 

石と木でできた手水場の雰囲気、心落ち着かせるものがあります。

 

 

 

上野東照宮、初めて見ました。

 

 

 

近くにある鰻料理で有名な伊豆栄の梅川亭、提灯が昼から迎えてくれました。

 

 

このまますんなり、入れば良かったのですが、値段に躊躇、予算オーバーで泣く泣く撤退。

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埼玉県越生町 山猫軒

2014年05月07日 | ぶらり探訪

ギャラリー&カフェ山猫軒に行きたいと思ったのは、”八高線の見どころ”で調べると

山の中の一軒家で、古民家風のジャズ喫茶の写真が見つかったからです。

再度、地図を。  黒山三滝からは山越えの道もあるようですが、無難にバスで少し

戻って歩いていくことにしました。

麦原入口バス停から、2.2km。  高低差が200m弱はありました。

 

 

バス停から4,500m歩いたところ。  日本のローカルの風景に心が落ち着きます。 

故郷の九州でも、こんな光景は当たり前にゴロゴロあったのですが、東京で生活していると、この当たり前の景色が美しい。

 

 

少し先に進んだところ。  面白い形の民家が見えました。

 

 

乗馬クラブでした。

 

 

ホースフレンド ヴィバーチェと書いてあります。

 

 

 

中央の2階建ての奥が厩でしょうか、馬のいななきと、教える声が聞こえていました。

 

 

 

谷川沿いに進んでいきます。 小さな畑とフェンス。 イノシシがでるのかな。

 

 

やっと着きました。  山猫軒の看板をみても、アートのムードがします。

 

 

錆びた門のアーチですが、やはり、アートの香りが。

 

 

 

Webサイトの写真では、日本の古民家と思ったのですが、洋風建築でした。

煙突掃除夫の彫刻が、煙突に取り付けられています。

 

 

入口ドアの山猫! 

山猫軒の名前は、後で知ったのですが宮沢賢治の短編集『注文の多い料理店』の表題作に出てくるレストランの名前。

人食い山猫の怖いレストランのイメージを彷彿とさせる彫像です。

 

 

前室のような部屋。  1枚¥150の作品絵ハガキ、招き猫、藍染のテーブルクロス。  

芸術作家の生活のための商いが、表出しています。  どんな美術館、博物館にもミュージアムショップはあり、記念に購入する人は多い。

ショップは、悪いことではないのですが、品性を保たないと、観光地の俗な土産屋と似たことになってしまう。

 

 

前室の奥。  庭には暖炉用の薪が見えます。

 

 

 

部屋の中。 二階にJBLのスピーカなどが並んでいます。

 

 

 

その左側の部屋。  二階に上る階段が左に見えます。

 

 

天井を見上げる。   アート作品が飾られていますが、部屋の雰囲気とは、合っていないので、ギャラリーの作品でしょうか。

 

 

二階の左側。  展示スペースです。  中央のライトは、ライブ演奏時のものでしょう。

 

 

二階に上がってみました。  作品が展示されています。

 

 

 

 

 

 

スピーカ奥の椅子は、ライブ演奏時の客席になるのでしょう。

 

 

ピアノも置いてあります。

 

 

二階の壁側。

 

 

 

1階に戻り、ケーキセットを頂きました。  ラムレーズンのケーキはコクがあって口に合います。

 

 

流れている音楽は何かわからないほど、音量が小さくて、くすんだ感じでした。  これは残念な点。

 

 

帰りのバスの心配もあり、早めに店を出て、帰途に。  店の近くの路傍の光景。

 

 

5分ほど歩くと、花菖蒲が咲いていました。  山猫軒は中央の林の奥になります。

 

鶯のホーホケキョウの鳴き声が聞こえ、いい気持ちで歩いていると、無粋なエンジン音が聞こえてきました。

休日なのに、こんな山の中で工事か・・・・と憤慨気味に歩くと、

ラジコンヘリがエンジン音を轟かせて飛んでいました。   写真中央右上。

なお、奥の建物は、麓のクラブとは別の、乗馬クラブの建物。   

 

帰りはスタスタと歩けて、バス停に着きましたが、バスは3分前に出た後。  35分ほど次のバスを待つことになりました。

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埼玉県越生町 黒山三滝、山猫軒

2014年05月06日 | ぶらり探訪

連休中の5月4日(日)、埼玉の越生町(おごせ町)の黒山三滝と、ギャラリー&カフェ山猫軒にブラ旅しました。

都心などにはよく行くのですが、北方面の埼玉には、とんと足が向きませんでした。 

立川~青梅線拝島~八高線・越生までJRで、そこからバスで黒山まで。 JRも途中からワンマン電車でしたね。

地図の右端にJR越生駅


 

 

最初に黒山三滝。  バス停から1kmほど、谷川沿いの道を登っていきます。

 

 

途中、渓流の岩場に大砲のようなカメラを構えた方がお二人。

 

 

もう一人、大砲カメラを担いだ人と話をしています。  超望遠レンズをつけたカメラなのですが、三脚も丈夫なものが必要、価格も体力も半端じゃない。

陣取っているお二方も、ご年配のようです。  渓流に来る鳥を狙っているのでしょうか。

 

 

上流から振り返ると、レンズを上に向けて撮っています。   やはり鳥ですね。

 

 

三滝の一つ、天狗の滝。  

 

 

水量が少なく、迫力がありませんね。  高さ14m。

 

 

観光地の道沿いにある御土産屋、みんな、へばりつくように店をかまえ、あれこれ土産の品を並べています。

トルコでも、そうだった。  

 

 

男滝(上方)と女滝(下方)

 

 

 

 

 

連休中でもあり、観光客は結構いました。

 

 

帰り道。 店頭での焼き川魚

 

 

 

 

 

途中、廃業したカフェレストランのような建物

 

 

 

 

 

 

駐車場の石垣には、咲き終わった山桜と、満開のつつじ。

 

次は、またバスに乗って、ギャラリー&カフェ山猫軒に。

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横浜から 

2014年04月01日 | ぶらり探訪

3月23日(日)、横浜に行き

横浜美術館見学→みなとみらい→馬車道→県立歴史博物館見学

と、、歩いてみました。

横浜には何回も来ているのですが、展示会や仕事などでみなと

みらい近辺の施設しか見たことがなく、中華街も一、二度、食事

したのみで、横浜の街はほとんど知らないのでした。

で、横浜美術館の企画展「魅惑のニッポン木版画」とコレクシ

ョン展の両方とも素晴らしいので、そちらも紹介しますが、まず

街歩きのスナップから紹介します。

横浜美術館前のモクレンが見事に咲いていました。

 

 

ランドマークタワーと帆船日本丸。  知らなかったのですが、帆を張ることも年に数回あるようです。

 

 

 

 

 

汽車道が湾の中に延びています。   港湾の物資運送で昔は活躍したのでしょうが、今は人道。

 

 

みなとみらい方面。  ヨットの帆の形をしたパシフィコ横浜ビルと、その横の展示ホールにはよく来ています。

 

 

汽車道を反対サイドから。

 

 

 

北仲橋を渡ったところの案内図をアップで。

 

 

 

レンガを使った古いビルが残っています。

 

 

古い倉庫ビルとみなとみらいの高層ビル。 景観と開発の調和が難しい。

 

 

 

馬車道あたり。  昭和4年(1929年)に竣工した旧横浜銀行本店別館。

 

 

 

横浜が日刊新聞の発祥地だったのだ。

 

 

この後、県立歴史博物館に行ったのですが、レトロなビル(明治37年竣工の旧横浜正金銀行本店)だとは分からず、写真は撮り損ねました。

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