光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

「歌川国貞展」トークショー&ブロガー内覧会に行って

2018年02月16日 | アート 浮世絵・版画

「歌川国貞展」トークショー&ブロガー内覧会に行って きました。 (1月20日(土)静嘉堂文庫美術館にて)

 浮世絵は東京国立博物館などでよく見ます。 なかでも、北斎、歌麿、広重、国芳、春信の印象は強いのですが

国貞、さて? って感じでした。

  

 

 最初のトークショーも楽しめました。 トークショー終了後の写真です。写真左から

ナビゲーター:Takさん(ブログ:青い日記帳主催)

ゲスト:太田記念美術館 主席学芸員 日野原 健司さん

静嘉堂文庫 主任司書 成澤麻子さん(静嘉堂文庫の蔵書20万冊が頭の中にはいっているとか)

右端は、写真撮影だけ同席した 静嘉堂文庫美術館 館長の河野元昭さん。 饒舌館長として有名。 

 トークショ-のポイント、

1 歌川国貞 について。
 江戸時代で一番の人気絵師だった。
   美人画、役者絵を得意とした国貞は万を超す作品を残している。20代半ばから79歳で亡くなるまで
 人気が 持続した、生涯現役の人。
 比較すると、喜多川歌麿は十数年、安藤広重は三十五年程度、東洲斎写楽は一年足らず。それに比べて
 五十年ものあいだ、人気が持続した。
2 静嘉堂文庫のコレクション
    歌川国貞の作品を約四千枚所有。
  特徴として、画帖仕立てになっているものが多い。これは三菱財閥・岩崎家の女性陣がファッションを
  楽しむため、見易いように画帖仕立てにしたのでは?と成澤さんの推測。 本当の理由は不明とのこと。
 (私見ですが、購入側と画商側の双方にメリットがあったからではないでしょうか? 兄弟関係にある
  東洋文庫の広重等の浮世絵も画帖になっていました。)

    裏表に作品が貼ってあるので、美術展での展示には不向きだが、逆に、退色せずに保存できているメリッ
 トも。(江戸時代の色彩顔料には、植物性のものが多く、光に弱い)
3 余談
  ゲストの日野原さんが国貞の浮世絵を持参しており、見せていただきましたが、値段が3万円ぐらいとの
  こと。 作品数が多いためか、市場価格は意外と安い.

 

会場風景です。 なお、撮影は特別に許可をいただいています。

 

 

 

 

最初に、江戸時代の女性の化粧光景。この展示ケースの向こうに、実物の鏡台や柄鏡、髪形、かんざしや櫛などが展示されています。こちらはポーラ文化研究所蔵で撮影禁止でした。

 

 

 

 

 女性がメークに取り組む真剣さは、江戸時代も今も同じなのでしょう、中澤主任司書の解説に、参加した女性陣は盛んに頷いていました。

キャプションは右端の絵が27で、右から左の順になります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性の風俗画が続きます。 国貞のスナップ感覚は鋭い!

 

 

 

 

 

 

 「江戸自慢 両国夕涼」の襦袢と団扇のデザインなど、細かいところまで神経が行き届いていてますね。

浮世絵が、当時のファッションメディアの役割を果たしていたのも頷けます。

 

 

 

 当時の生活風俗がよくわかる描写です。 

成澤さんが展示場に入る前に、「国貞の浮世絵は芸術として見ないで、生活風俗を見るつもりで鑑賞してください」

と述べられました。 まさに生活風俗ですが、描くものを絞り、人や動物の一瞬を見事に切り取っている・・・芸術

ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左の芸者の身支度、右のかかあ天下の様子、着るものは変わっても、現代の風俗といささかも変わりはありません。

 

 

 


キャプションにもある通り、この「星の霜当世風俗」シリーズは、国貞の絶頂期ですね。

 

 


真ん中の絵、蚊がわかるまで、拡大してみました。  紙燭で蚊を焼く!

調べたら、紙燭(油をしみこませたこより)で蚊を焼くユーチューブの動画もありました。

 

 

 

 

 

 右の「星の霜 当世風俗(行燈)」も素晴らしい。

 

 

 

 

 

 拡大してみました。 艶めかしさと、生活感が同居して、いい味わいです。

 

 

 

 

  

 三枚続きの作品などの展示。

 

 

 

 

 

 

 

 

 錦絵のビジネスモデルを図解した作品。 細かいところも手を抜かず、描いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双筆って初めて知りました。

 

 

 

 

 国貞と広重、両者の得意である風景と風俗をミックスした、面白い企画です。

 

 

 

 

 

 役者絵 実に丁寧な仕上げで、画業を永く続けられたのも、分かる気がします。

 

 

 

 最後に、マイベスト「歳暮乃深雪」を。    

 


国貞、気に入りました。

前期(1/20~2/25)と後期(2/27~3/25)で、作品がかなり入れ替わるので、後期も見に行く予定です。

なお、静嘉堂文庫と、五島美術館、世田谷美術館をめぐるバス(=3館めぐるーぷ)が、土日休日に運航

されています。 静嘉堂文庫と、世田美のアクセスはあまりよくないので、おすすめです。

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葛飾北斎 東京国立博物館に初詣#3

2016年01月31日 | アート 浮世絵・版画

トーハクの浮世絵コーナは、葛飾北斎の特集でした。

  

 

 

 

下の図、右側の作品は《中村里好のふく清女ぼう》。  北斎が二十歳の時の作品で、左の正宗娘おれんと同時期ですが、ふく清女ぼうのほうが洗練度が増しています。

        

 

 

 構図や力感、当時でもトップクラスでは。

 

 

 

 

 伊達与作は近松の浄瑠璃や歌舞伎に出てくる主人公。 女房はいたが廓の恋人こまんとデートしている光景。

表情の描き方に北斎らしい味がある。

 

 

 

 構図や線が流麗。

 

 

 

 

 
《弁財天詣》 横長判 摺物  江戸時代19世紀初

 

 

 

 

 

 

 

 

キャプションをみてなるほど。  司馬江漢の洋風版画などにも興味を引かれていたんだ。

 

 

 

 描かれている舟は、千葉の木更津あたりから築地魚河岸に魚を運ぶ高速運搬船。

 

 

 

 構図が自在ですね。

 
《富嶽三十六景・東都浅草本願寺》 横大判 錦絵  江戸時代・19世紀  

 

 

 世界に最も知られた日本人画家の作品。 北斎にしてみれば力みなく、すーっと描いた作品でしょう。

 

 

 今回の展示では、全体的に絵の保存状態が良く、この作品も楽しめました。

 

 

 

ただ、1月2日の混みようは凄く、まともに撮れたのはこの《凱風快晴》ぐらいです。  大半は、1月10日に再訪して撮ったものです。

 

 

 

昔は氷結した諏訪湖を渡っていたんだ。

  

 

 

 

 雉は蛇に体に巻き付かせて、最後に羽根を広げ、蛇を切り裂くとか。 動物の描写もいいし、草花の描写も面白い。

 

 

 

 ぶれた写真ですみません。 瀧のデフォルメされたデザインなど凄いとしか言いようがない。

《諸国瀧廻り・木曽路ノ奥阿彌陀ヶ瀧》 

 

  

 74歳頃の作品。  大胆な構図と簡明な表現が素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

 

  

 若い時の作品に比べ、美人もぽっちゃり形になっています。

 

 

 

 

 壮年期の作品。  画狂老人と自称したように、絵を描くこと以外、興味がなかった

北斎、ゴミ屋敷のような生活、生涯93回の引っ越し、姿はこんな羅漢のようなむさくるしい

ものだったのかな・・・

 

 

 

 

最晩年の作品。  格調が高いのに、赤い色が情熱のエネルギーを感じさせ、一段と画境が高みに上がったようです。

90歳まで生きたのですが、あと10年生きられれば、さらに神妙な絵がかけるのにと願った北斎の気魄に、ただただ恐れ入るばかりです。

 

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新版画、ポール・ジャクレー、山村耕花、伊東深水、橋口五葉 横浜美術館コレクション展から

2015年10月04日 | アート 浮世絵・版画

横浜美術館コレクション展での最大の収穫は、版画

特にポール・ジャクレーの作品を多数、見れたこと。

 

 

 

冒頭の作品から、魅力的でした。

 

 

 

繊細なマチエールを見ていただくため、少しクローズアップします。 くっきりとした目と長いまつ毛、それを引き立たせる眉毛の輪郭線

そして、美しい色!  襟のレースの立体感 素晴らしい。

 

 

ここで、比較のため、橋口五葉の「夏衣の女」のクローズアップを。

和と洋の違いがありますが、どちらも繊細なマチエールで、とても魅力的です。

 

 

こちらは透ける布地表現と毛皮の表現、色彩に注目。  1934年はジャクレーが版画を始めた年です。

 

 

 

クローズアップ。 ウーン、彫り師、摺り師も素晴らしい。 西洋婦人の作品は少ないらしく、この2作品ぐらいしか見当たりません。

 

 

 

上と同じ、1934年(昭和9年)の作品で、サイパン島の娘を描いています。

 

 

 

西洋婦人の2作品と違い、よりリアルに描いていて、表情などがグッと迫ってきます。

 

 

 

ジャクレーはミクロネシアが好きで、何回も訪問していてます。

そして、ジャクレーは少年を女性ふうに描いているケースが多く、ゲイだったのではと憶測されていますが、どうでしょうか。

確かに、ジャクレーは生涯独身で、韓国人の助手夫婦の娘を養女にしています。また、ジャクレーの若い時の写真はハンサムです。 

一方、蝶の収集家としても有数で軽井沢の自宅には、3万羽の蝶のコレクションがあった。 要は、美しいものが好きだったようで

少年にも美をみたのではないでしょうか。

 

 

 

 

背景の花は平面的に単純化し、中年代の女性は少し尖った表現、 それにしても色彩が美しい。

  

 

 

 

浮世絵のルーツは残しながら、色合いに新しい息吹きを感じます。

 

 

 

ゲイ的な表現ですが、絵としてはシンプルな構図、色彩ともに素晴らしい。 ゴーギャンの影響も垣間見えますね。

なお、中央部の影は、私の撮影時の影で、原画の陰影ではありません。

  

 

顔の部分をアップ。 まつ毛などの描き方は同じです。 瞳が黄色やオレンジなのは、ジャクレーの色彩感覚なのでしょう。

 

 

 

ハンターと題されていますが、女性的な描き方です。  1957年はジャクレーの晩年61歳の作品。

 

 

 

  

前出の版画を手に持つ芸子を描いたもの。  顔はメリハリある描き方で、日本人が描く、なよとした顔ではありません。

和服や髪形など、伝統の浮世絵スタイルを踏襲している感じですが、なにか新しい感覚がうかがえます。

 

 

 

上半分のシンプルな描きこみに対し、下部の大漁祝いのハッピの柄の描きこみ・・・面白い

体が弱かったジャクレーは、伊豆で療養しています。  その時食べた魚が、好物になった。

 

 

 

 

今度は朝鮮での取材作品。 彼の父が1921年に亡くなり(第一次世界大戦に従軍し、毒ガスを吸って帰国後、亡くなった)母が日本人医師と再婚し

医師がソウルの大学教授になると母もソウルに住んだため、日本に残ったジャクレーは、通算5回ほど、ソウルを訪問している。

 

 

 

 

 背景がシンプルで素晴らしい。 その国の民俗も、よく観察しています。

 

 

 

 

 上衣のチョゴリ?に薄い水色で模様が描かれています。  それと目、特徴だった睫毛が描かれていません。

顔は養女の実母がモデルではと、養女の稲垣テレ-ズ・ジャクレーさんの指摘。

 

 

 

 

こちらは中国人を描いた作品。 色彩、構図ともに素晴らしい。

 

 

 

 

この作品、戦争が厳しさを増し、ジャクレーも日本での制作が厳しくなっていった。

しかし、この作品の色数の多さは、そうした厳しさを吹き飛ばすような凄さです。

 

 

 

ジャクレーの亡くなる前年の作品。  この作品も、目の描き方が変わっていますが、雰囲気はこちらがいい。

  

 

 

 

 

ここから、日本人の作品になります。 耕花もなかなか面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊東深水 独特の詩情があります。

 

 

つい比較で睫毛を見ますが、ジャクレーほど強調していません。

 

 

 

 

 

 

橋口五葉。

  

 

 

 

2011年に千葉市美術館で開催された「橋口五葉展」でも見た「浴場の女(ゆあみ)」と同一モデルと

思いますが、日本的な顔立ちに惹かれます。

 

 

冒頭、ジャクレーの版画との比較で使用したアップ画像

 

 

最後に、ジャクレーの母、ジャンヌさんの肖像画も展示されていました。

 

 

一生を独身で過ごしたジャクレーは、版画工房の助手だった韓国人の娘を養女とし、財産などを託した。

その養女、稲垣テレーズ・ジャクレーさんが、ジャクレーの作品を分散させず、フランス国立美術館や横浜美術館、韓国国立中央博物館に

寄贈し、今日、私達が鑑賞できていることに感謝したい。 

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「春画展」永青文庫、関口芭蕉庵

2015年09月23日 | アート 浮世絵・版画

9月19日(土)は、朝から快晴。 

永青文庫の春画展初日→東京国立近代美術館本館→同工芸館→東京国立博物館

と行脚、アート三昧の一日でした。

まず春画展。 開催場所の永青文庫は初めて。 

地下鉄東西線の早稲田で降りて、歩いて13分ほど。 

 

 

神田川にかかる橋の手前に来ました。  橋の向こうは目白台地で崖が緑豊かです。

 

 

橋から、東側を撮影。  中央のビルはホテル椿山荘。

 

 

崖の坂道は、胸突坂という名、なるほど。  坂を半分上って振り返った写真。  人が集まっているのは、左側の関口芭蕉庵を訪れた方々。

 

 

坂はもう少し続きます。

 

 

永青文庫の入口。 この写真は見学後の撮影で11時10分。  入場は10時15分でした。 18禁です。

和服の女性など、女性も多かった。  

 

 

 

永青文庫の玄関。 江戸時代から続く肥後細川家の家政所(事務所)だった建物とのこと。

 

 

春画展のリーフレット。 

 喜多川歌麿「ねがいの糸口」部分 大判錦絵 寛政11年(1799)

 

 

当然、会場内は撮影禁止 リーフレット裏面の歌麿の名作を掲載。

傑作といわれる歌麿の上記作品「歌満くら」や、鳥居清長の「袖の巻」、月岡雪鼎の「四季の巻」、北斎の作品はさすが

だと思いましたが、その他は見ていると、飽きて退屈になります。

一昨年の大英博物館での春画展以来、日本でもやっと公に展示できるようになってきました。

昨年も東洋文庫で小規模ですが、春画の展示を観ることができました。

会場内は、混雑していて夫婦連れや、若い女性グループも多く、クスクス笑いが聞こえていました。

江戸時代は、笑い絵とも呼ばれた春画、そんな感覚で見るものでしょう。

しかし、アートになった傑作春画は、強烈なオーラを放っていました。

 

横浜美術館で、蔡国強さんが月岡雪鼎の春画をモチーフにした火薬絵画を見ましたが、現代の感覚で

取り組めば、春画の新たな展開が期待出来そうです。

 

さて、見学後、胸突坂を降りていきます。

 

 

関口芭蕉庵に入ってみました。 芭蕉が、神田上水の改修工事の役人として、三年間ほど住んだ庵とのこと。

 

 

 

木々に覆われた園内。

 

 

奥にムクゲの花。

 

 

台地の崖面なので、湧水があるようです。

 

 

句碑もいくつか建っていましたが、撮影はせず、先を急ぎました。  11時20分。

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東京国立博物館(2015.3.7) 歌川国芳

2015年03月14日 | アート 浮世絵・版画

トーハク(2015.3.7)の2回目.  浮世絵のコーナーは歌川国芳の特集でした。

豪快。 だけど、どろどろしたコンテンツは、好みじゃない。 この作品はましなほう。

 

 

むだ書き…今でいえば落書き、役者の特徴をよく捉えている。

 

荷宝藏壁のむだ書(黒腰壁)。

 むだ書の絵を見て、横浜美術館で見た「魅惑のニッポン木版画」展の浮世絵を思い出しました。 てっきり、国芳だったと思ったのですが

横浜美術館で見たのは歌川国周でした。  国周の作品が後になるので、国芳の役者絵を参考にしたように見えます。

 

美人画も、独特ですね。  国芳が描く美人は気が強そう。

 

 

 

剣菱は、この頃、名酒番付の東大関(トップ)。伊丹や、西宮、池田のいわゆる下り酒が江戸で大人気だった。

 

 

これも名酒揃いで”浅井”と書かれた銘酒ですが、調べてもわかりませんでした。 スイカと銘酒・・・?。

 

 

国芳の風俗画は、動きが感じられていい。

 

 

海苔をとっているところでしょうか?  空の描き方も面白い。

 

 

江戸時代は鉄砲の形をした砂州の島があったようで、右手の島は佃島かも。

 

 

なんの煙かと調べたら、今戸焼の窯の煙でした。 

 

 

御茶ノ水にある昌平坂。 水道橋と富士山がこんなふうに見えていたんだ。  人物の表情や生活風景が抜群。

 

 

この絵はたびたび見ます。  構図が素晴らしい。 今回気が付いたのですが、鳥の描き方に違和感を感じる。

 

 

国芳は日蓮宗の信徒だった。  葛飾北斎も熱心な信徒だったらしい。

 

 

構図もいいのですが、雪の描き方がいい。  白と黒で目に沁みます。

 

 

 

赤穂浪士がピタッと、描かれています。

 

 

 

 

 

 

猫が大好きだった国芳、動物絵も達者。

 

 

 

 

 

 

 

最後に大判絵を。

 

 

鳥天狗が為朝を救う部分を拡大。  グレートーンの天狗、さすが。

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国立西洋美術館 「私は見た:フランシスコ・デ・ゴヤの版画における夢と現実」 その2

2014年10月02日 | アート 浮世絵・版画

 ゴヤの版画、後半です。 

 

作品のタイトルはついていますが、それは考えずに、絵を直視するのみです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴヤの版画は初めてでした。  ウーン、凄いというほかありません。

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国立西洋美術館 「私は見た:フランシスコ・デ・ゴヤの版画における夢と現実」 その1

2014年09月26日 | アート 浮世絵・版画

9月13日(土)国立西洋美術館で「私は見た:フランシスコ・デ・ゴヤの版画における夢と現実」

新館の版画素描展示室で展示していました。  会期が2014 年7月8日(火)~9月15日(月・祝)

なので、終わっていますが面白かったので紹介します。

 

ゴヤの自画像です。  油彩の自画像も有名ですが、版画のこの作品、あえて風采の上がらぬ中年男に描いています。

 

版画の代表作が、『ロス・カプリーチョス』(1799年出版)、『戦争の惨禍』(1810-20年頃制作)、『闘牛技』(1816年出版)、そして『妄』(1820-23年制作)

という四点の連作形式の銅版画集です。

それらを、八つの視点で分類したキャプチャが、わかりやすかった。  キャプチャで説明した作品を主に 紹介します。

 

 

この作品をみて、あらためてベラスケスのカルロス王子を見たのですが、王子の疑いの眼差しが、よく表現されています。

〈ベラスケスの模写〉:バルタサール・カルロス王子   1778 年 エッチング、ドライポイント/簀目紙

 

 

 

 

解説を読むと、売春に絡んだ光景、当時のアート表現としては、アブナイもので、販売も短期間に打ち切りになったとか。

表の顔が宮廷首席画家としてのゴヤ、このような幻想を表現した版画は、ゴヤの裏の顔、内なる心を顕わしている。

〈ロス・カプリーチョス〉: (5) 類は友を呼ぶ  1799 年 
 エッチング、アクアティント、ドライポイント/簀目紙

 

 

〈ロス・カプリーチョス〉: (14) 何たる犠牲か  1799 年  
エッチング、アクアティント、バーニッシャー、ドライポイント/簀目紙

 

〈ロス・カプリーチョス〉:(75) われわれを解き放してくれる者はいないのか  1799 年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー/簀目紙

 

ウッと眉をしかめたくなる作品。 洋の東西を問わず、妖怪や悪魔、鬼といった日本の古い絵巻でも餓鬼草子など、不気味な絵は脈々とあり、ゴヤのこの絵も

意識の底にある怒り、怨念・不安が噴き出たものと思います。

〈妄〉: (7) 無秩序の妄  1816 -19 年 
エッチング、アクアティント、ドライポイント/網目紙

 

 

 

ゴヤは自由主義者で、既成の腐敗した宗教権威を批判する作品を多く作っている。

〈ロス・カプリーチョス〉: (23) 身から出た錆  1799 年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー、ドライポイント、エングレーヴィング/簀目紙

 

 

 

〈ロス・カプリーチョス〉: (49) 小悪魔たち   1799 年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー/簀目紙

 

〈ロス・カプリーチョス〉: (53) 何て有難いお説教  1799年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー、エングレーヴィング/簀目紙

 

 

 

〈ロス・カプリーチョス〉: (52) 仕立て屋のなせる業   1799 年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー、ドライポイント、エングレーヴィング/簀目紙

 

 ゴヤが生きているときは出版されなかった《妄》作品。  生きているときに出せば弾圧や迫害は必至だったでしょう。

〈妄〉: (17) 忠誠  1816 -19 年
エッチング、アクアティント、バーニッシャー/網目紙

 

 

 

〈ロス・カプリーチョス〉:(43) 理性の眠りは怪物を生む   1799 年
エッチング、アクアティント/簀目紙

 

 〈ロス・カプリーチョス〉: (34) 睡魔が彼女たちを圧倒する  1799 年 
 エッチング、アクアティント、バーニッシャー/簀目紙

 

 

 

 

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東洋文庫 岩崎コレクション~孔子から浮世絵まで その3

2014年09月14日 | アート 浮世絵・版画

 2階ディスカバリールームが浮世絵の展示コーナ。

18歳未満入場禁止と撮影禁止となっていました。  これは春画が含まれるためですが、2013年秋に開かれた

大英博物館の春画展も、18禁だったとか。

 まず安藤広重の「名所江戸百景」

 118枚の絵からなる大判の冊子になっており、「王子不動の滝」の絵が開かれていました。

 

全作品の保存状態は良く、絵の良さが伝わります。

 

葛飾北斎 「諸国瀧廻り」  より、《下野国黒髪山きりふりの滝》

 

 

喜多川歌麿の「高島おひさ」

 

 

さて春画ですが、鳥居清長の作品「袖の巻」の素晴らしさには驚きました。

縦12cm、横約67cm(最大73cm)という超横長のサイズに、大胆、見事な構図でアートにしていました。

全12枚のうち、2枚が展示されていました。

作品の右側半分はカットしています。

 

 

 

 清長の作品を見た後では、他の春画は色褪せて見えます。

 

で、時間が11時半前となり、食事をとりに敷地内にある「オリエント・カフェ」へ

通路わきの幅70cmほどの壁に、各国語で金言が刻まれていました。

 

 

庭にはシーボルト・ガルテンにちなんで、ゆかりの植物が植えられているとか。

 

 

 レストランから、文庫ビルを眺めたもの。

 

 

 レストラン内。

 

 

 

 ザヴィエル・ランチという名の日替わりランチです。  三菱系の小岩井農場からの食材が多く使われているとか。

 

 

 シャーベット。   コーヒーも付きます。

 

 

 

壁面の金言、箴言を並べて、最後にします。

   

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横浜から  「魅惑のニッポン木版画」展

2014年04月06日 | アート 浮世絵・版画

横浜美術館の「魅惑のニッポン木版画」展が素晴らしい!

リーフレットも美しいですよね。 裏は

リーフレットの表、裏の作品を少し拡大。(作品名も併せて)

 

 

 

それでは、リーフレットの作品とダブルものもありますが、良かった作品を紹介します。(図録集から)

  

このシーン、落書きを塗り込んで消そうとしている職人の、クソッという表情、落書きの絵の活き活きとした描写が素晴らしい。

恋人同士の名を、相合傘の下に書くのは江戸時代からあったんだ。  右下に国周の落書き風の署名。

 

大正期の創作版画で、文芸雑誌「水甕」の表紙を飾った、長谷川潔の木版画。

 

ブログでも紹介した、「絶対のメチエー名作の条件」展では、銅版画の傑作を見ましたが、木版画でも素晴らしいセンスを示しています。

長谷川潔(1891~1980)は、1918年に渡仏し、以後、日本には戻らなかった。  上と次の木版画は渡仏前の作品。

 

長谷川潔 『函館港』 1917(大正6) 多色木版 35.3×42.4cm

 

 

 

恩地孝四郎(1891~1955)  『ダイビング』 1936(昭和11)多色木版 47.0×29.2cm 

 

 女性ダイバーのダイナミックな肉感、素晴らしい構図と色彩。   

 

ポール・ジャクレー(1896-1960)  『オロール島の少年、東カロリン諸島』 1940(昭和15)多色木版 47.0×29.2cm 

 ポール・ジャクレーは初めてだったのですが、ユニークですね。

子供の頃、日本に来て浮世絵など日本の文化を学び、ソルボンヌ大学を出てまた日本にもどり、日本各地はもとより、この絵のような南洋の島々

北東アジアも旅行し、そこの人々の絵を描いています。

この絵は、ユニセックス的な少年の描き方、色の大胆さなど、強く印象に残りました。

 

 

 

 

一方で、新版画の流れをくむ、伊東深水(1898-1972)の作品も情緒があります。

『髪』 1953(昭和28) 多色木版 49.3×34.9cm

 

 

 

1950年代から木版画も国際的な舞台に進出し始め、多彩な作品が生まれだした。 

恩地孝四郎の抽象的な作品による装丁。  『ダイビング』と同じ作家です。

 

 

 

水船六州も初めてでしたが、抽象画と木版画ならではのマチエールが美しい。

 

 

 

北岡文雄(1918-2007)

『黒人の女』 1967(昭和42) 多色木版 49.3×34.9cm

睨まれるような異様な迫力を感じたましたが、TVか映画で、昔見たような顔だち。

 

 

 

 

田嶋宏行(1911-1997)

『大道芸人』 1981(昭和56) 多色木版 57.8×45.5cm 

この作品も、赤一色の中の微妙なマチエールが魅力でした。

 

 

 

風間サチコ(1972年生まれ)

『噫!怒涛の閉塞艦』 2012(平成24) 木版画(パネル、和紙、墨) 181×418cm

この作品は、2012年12月、風間サチコの個展でみて驚き、実写版を紹介しました。 写真はその時のものです。

その後、東京都現代美術館が購入したのですね。  今回は、風間の他の作品も10点ほど見れました。 

社会批判や皮肉った内容で、彼女の姿勢は一貫しています。

 

 

吉田亜世美(1958年生まれ)

『YEDOENSIS-divine』 2014(平成26) 水性木版画、椿紙、カッティングシート、ジャングルジム、コンクリートブロック、砂、ビデオ
(横浜美術館 企画展示室ホワイエのインスタレーション)

 

ビデオで紫色の桜の蕾が、ひらり、ひらりと散っていき、砂場やジャングルジムには散った蕾が積み重なっています。

解説には、500年後の桜というテーマが紹介されています。

詳細を説明するよりも、この空間にいるときのふわっとした寂寥感、龍安寺の石庭の四季を、4Kビデオでみた東京国立博物館の京都展(平成25)でも感じました。 

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「絶対のメチエー名作の条件」 ミュゼ濱口陽三・ヤマサコレクション

2014年03月21日 | アート 浮世絵・版画

3月2日(日)小雨降る寒い中、「絶対のメチエー名作の条件」を鑑賞しました。

銅版画を中心とし、一部写真なども交えた50点ほどの展示、

西洋画や、浮世絵などの木版画とも違う、独特のマチエール、静謐感に魅了されました。

リーフレット表紙の画像を切り取って表示します。

 

リーフレットの裏

 

濱口陽三は、ヤマサ醤油10代目社長の濱口儀兵衛の3男として、1909年に生まれ

パリなどもっぱら海外で美術創作活動に打ち込んできた。 カラーメゾチントという版画

技法を追求してきた方です。(本展を観るまで知らなかったのですが)

<アスパラガス>という作品。  実物の質感は、表現が難しいのですが、時間が

止まり、深い闇に吸い込まれるような感じになります。

 

<ビンとレモンと赤い壁> じーっと見つめる・・・心を満たす何かがあります。

 

名作ぞろいですが、私が特に気に入ったのは フリードリヒ・メクセペル

作品名<四つの玉> 1968

マチエールの素晴らしさは、言葉では表現できません。

 

もともと本の挿絵で出発した銅版画、紙とインクの織りなす微小な線と濃淡の美の世界は、絵画

とは違う、美の秘密を持っています。

 

 

会場内は一切撮影ができなかったのですが、入口のカフェコーナで撮ってみました。

濱口陽三が使った版画用具やプレス機なども展示してあり、小さいながらも楽しめる展示会でした。

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東京国立博物館(H25.6.15) 版画 東京十二題 川瀬巴水

2013年06月21日 | アート 浮世絵・版画

今日は、トーハク本館1階で展示されていた、川瀬巴水の「東京十二題」を紹介します。

 

川瀬巴水の作品は、東北地方の風景を描いた版画を、昨年、3月に東京国立近代美術館で見て、その時に、東京十二題のことを知り、実物を見たいと思っていました。

念願がかなったのですが、トーハクで、展示されていたのは十枚で、あと二つはお預けです。

絵は、保存も良くきれいで楽しめました。  巴水の自作解説も楽しめますので、併記します。

まず、「木場の夕暮れ」  大正9年から

 巴水の自作解説
木場は深川にある材木屋の多い所です。
川の両岸には、この図でみるやうな材木の群れが長い行列を作っています。
これは然うした場所の初冬の夕暮れ、天や水をあかあかと美しく彩どっている落陽を描きました。

「大根河岸」

巴水の自作解説
 大根河岸は、京橋の傍にある青物市場です。
江戸の名残りをとどめた古い建物と軽快な感じを与へる新しい青物との、二つの対照を主としたものです。
また青物市場特有の雑然とした感じを現わすことに努めました。

 

「夜の新川」

 巴水の自作解説
板画の“藍”そのままの眼も冴ゆるばかりの澄んだ夏の夜、空には星が一つ二つ、ドッシリとした蔵と蔵の間を照らす瓦斯の火影。
その当時、蔵といふものに一種の興味をもっていた私は、この“夜の新川”を得たのであります。

 

「戸山の原」 大正9年

 巴水の自作解説
老女を化粧と譬へられた冬の月を画かうとして、省線の電車を大久保駅で降りた私は、戸山の原へと急ぎました。
今暮れたばかりですのに、あまりの寒さに人通りも絶えて、森の彼方の火影微かに、冬枯れの木立も物凄く、月は青白い光りを投げて居りました。 

 

「五月雨降る山王」 大正8年

 巴水の自作解説
 官幣大社日枝神社、昔から“山王様”と言はれて有名です。
境内の桜は、どの梢にも爽やかな青葉が繁つて、神さびた楼門の朱と好い調和を示してゐます。
しとしとと囁くような五月雨が、子守女の口すさむ唄と相和して、初夏の情緒を一層濃いやかにしました。

 

「雪に暮れる寺嶋村」 大正9年

 巴水の自作解説
続く家並みも面白い、土手からのだらだら坂、淡い火影が二つ三つ、片側は溝、
ふる雪に往き来もまれにうす紫に暮れて行く、向島の寺島村・・・・電柱こそあれ、火入りの遠見、
清元の出語りがありさうなど、黙阿弥の世話狂言の舞台面を想ひ浮べながら筆を執りました。 

 

「駒形河岸」 大正8年

  巴水の自作解説
浅草駒形河岸の竹屋の前で、真夏の午後にスケッチしたものです。
立て並べた竹と竹の間が、扇の半開きのやうになって、そこから大川を隔てて、向河岸が見えています。
道ばたに、荷馬車の馬がもの倦けに立っている姿や車上に睡る馬方など、如何にも夏らしい気持ちだと思いました。

 

「品川沖」  大正9年

  巴水の自作解説
東京人の遊楽の一たる網舟で、夏の半ばに品川沖に出ました時の写生です。
徳川幕府が、ぺルリの来航に驚かされて、急拵えに築き上げた所謂“御台場”の青い芝生と、こちらの黒い“みをぐひ”との間をゆく白帆に興味を感じました。
それは薄曇りのした午後でした。

 

「深川上の橋」 大正9年    この絵は、町田市立国際版画美術館で見ましたが、刷りが違うのか、トーハクのものがきれいでした。

 巴水の自作解説
 上の橋は、深川の佐賀町から清住町へかけられた木橋です。時は夏の夕。
夕闇の橋間の暗さが、入り日の光に相対して、好い感じをみせて居りました。
大川を遅遅として流れゆく帆かけ舟は、いつもながらの情景ですが、嬉しく思いひます。向こう河岸は中洲です。

不調和な西洋館も見えません。此辺は北斎の“隅田川両岸一覧”の当時が、そぞろに想い浮かばれます。

 

「雪の白髭」 大正9年

 巴水の自作解説
今は昔のおもかげが全く滅びましたといふもの、名にし負ふ向島には、流石にまた捨て難い趣があります。
この日は朝からの大雪、私は“いざさらば雪見にころぶところまで”の風流を学んで、さかんに降りしきる中を百花園へと心ざしました。
其の途すがら丁度白鬚橋のたもとから、橋場今戸を見渡したこの“雪の白ひげ”を得ましたのです。 

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東京国立博物館(2012.12.6)  浮世絵 忠臣蔵

2012年12月31日 | アート 浮世絵・版画

 しばらく記事を休み、相続関係の資料作成に集中していました。

いよいよ、大晦日となったので、駆け込みで忠臣蔵の浮世絵をアップします。
例年、この時期になると、討入りにちなんで、トーハクの浮世絵展示コーナも忠臣蔵を題材としたものが展示されます。

今年は、北斎の「仮名手本忠臣蔵」がメイン。   保存状態もよく、味のある北斎浮世絵を堪能できました。 


ウィキペディアより初段のあらすじ
 将軍足利尊氏の命により、討取った新田義貞の兜を探しだし、これを鶴岡八幡宮に納めるため将軍の弟足利直義が遣わされる。直義の饗応役に塩谷判官と桃井若狭介が任ぜられ、その指導を高家高師直が受持つ関係上、三人も直義に従って八幡に詣で、御前に控えている。そこへ、数多く集めた兜のうちより義貞のものを見分けるために、かつて宮中に奉仕し、天皇より義貞に兜が下賜されるのを目にしたことのある、顔世御前(判官の奥方)が召され、見事に兜を見分ける。直義および饗応役の二人が兜を神前にささげるためにその場を離れると、顔世の美貌に一目ぼれした師直が横恋慕のあまり言寄る。そこへ折りよく来合わせた若狭介が顔世を救い、その場を去らせると、怒り心頭に発した師直は若狭介に悪口を言いかけ、短気な若狭介は刃傷に及ぼうとするが、通りがかった判官の仲裁によって事なきを得る。

 

ウィキペディアより二段目のあらすじ 

桃井館上使の場

「空も弥生のたそかれ時、桃井若狭之助安近の、館の行儀、掃き掃除、お庭の松も幾千代を守る勘の執権職、加古川本蔵行国、年の五十路の分別ざかり、上下ためつけ書院先」の床の浄瑠璃で始まる。若狭之助の家老加古川本蔵は、主人が師直から辱めをうけたと使用人らが噂しているのをききとがめる。そこへ本蔵の妻戸無瀬と娘小浪が出てきて、殿の奥方までも知っていると心配するので、本蔵は「それほどのお返事、なぜとりつくろうて申し上げぬ」と叱り奥方様を御安心させようと奥に入る。そこへ、大星力弥が明日の登城時刻の口上の使者としてくる。力弥に恋心を抱く小浪は母の配慮もあって、口上の受取役となるがぼうっとみとれてしまい返事もできない。そこへ主君若狭之助が現れ口上を受け取る。

桃井館松切りの場

再び現れた本蔵は妻と娘を去らせ、主君に師直の一件を尋ねる。若狭之助は腹の虫がおさまらず師直を討つつもりだったことを明かす。本蔵は止めるどころか縁先の松の片枝を切り捨て「まずこの通りに、さっぱりと遊ばせ」と挑発する。喜んだ若狭之助は奥に入る。見送った本蔵は「家来ども馬引け」と叫んで、驚く妻や娘を尻目に馬に乗って一散にどこかへ去っていく。

 

三段目

 

 四段目

 

 五段目

 

六段目 

 

 七段目

 

 八段目

 

九段目 

 

 十段目

 

 十一段目

北斎の遠近感のある素晴らしい浮世絵、堪能できたかと思います。

次は、美人画の歌麿が、忠臣蔵を美人画にアレンジ したものを 


 

さすがに歌麿、なまめかしい美人の描き方です。  昨年も紹介していますが、摺りが違うのか、色のでかたが違いますね。 

 

 広重の作。  構図や海のブルーの色が広重らしい。  この絵の団扇で扇げば涼しさもひとしおか。

 

三代豊国 の作品。  雪と丁寧な描写が素晴らしい。

 

 

1年間、当ブログを見ていただき有難うございました。  来年も、いいなーと思ったものを写しとってご紹介していきたいと思います。

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風間サチコ展 「没落THIRD FIRE]

2012年12月23日 | アート 浮世絵・版画

12月22日(土)、 風間サチコ展「没落THIRD FIRE」に行き、続いて近くの東京都現代美術館に行ってきました。

まず、風間サチコ展、実は初めて聞く名前、初めて観る版画作品でしたが、強烈でした。

「黎明のマーク1」と題された作品。

黎明の空の描写と原子炉のような機械、周りで働く人々、報国の腕章を巻いて眺める軍人、すべてがいきいきとして、画面全体からオーラを放っている。
キャプションを読む前に、版画として凄いと思いました。  私の好きな大正から昭和にかけての版画の雰囲気も感じます。

「黎明のマーク1」  風間サチコ

キャプションを読むと、
黎明・・・福島第一原発建設にあたってつくられた日立グループのPR映像のタイトル、
建設中の原発1号機の格納容器マーク1
画面下の戦車はイギリスで始めて開発された菱形戦車マーク1・・・いろいろと欠陥があり、原子炉も換気に不備があるなど欠陥を抱えた機械の黎明は、終焉の始まりとしている。
そして原発のあった土地は、陸軍磐城飛行場として昭和15年、学徒や住民を動員して建設された歴史を持つ。  戦争末期には特攻機が飛び立っていった。
そうした因縁のある土地と、福島第一原発の事故を重ね合わせて、作者の風間サチコは国策として推進された原発を皮肉っている。
会場の関係者から、画面に小さく描かれた学徒動員の女学生はブルマをはいていると説明されました。・・・中央下部を撮影したものを掲げます。(撮影OKでした。)

 

 

「噫!怒涛の閉塞艦」  横4メートルはある大作です。 

左に広島、長崎の原爆、ビキニ環礁の核実験で沈没した艦船(日本の戦艦長門も)、第五福竜丸
中央の爆発する福島第一原発、東電本店ビルが載った巨大艦が激しい波に翻弄されている。
右は、放射能汚染を調査する環境観測船「みらい」=原子力船「むつ」の船幽霊       ・・・・キャプションから

風間は、キャプションで日露戦争の旅順口閉塞作戦の失敗から説き起こし、その後の戦争のなかで、いかに失敗を隠した欺瞞の大本営発表が繰り返されたかを述べ、翻って原子力の安全神話も同罪だと切って捨てる。
福島第一原発が天然の防波堤である崖を切り崩して、原子炉を設置したのは、高所に設置すると揚水設備にコストがかかるためだったと、さらに追い討ち。
そうした失敗が忘却されることがないよう、失敗の手引書となる記録画を目指した・・・・というのが本作。

アート作品としてみたとき、 浪の表現、空の表現が凄いと思います。  ただ、これだけ巨大な大作、画面が上下と横7等分に分割されて制作されていて、繋ぎ目がわかります。
だからといって、芸術性はいささかも落ちるものではないのですが、デジタル技術で連続した一枚の作品にできたらと思います。

  

 

今回の展示テーマ「没落 THIRD FIRE」 
ここまでくると、その意味するものは明白です。 

 

「獄門核分裂235」

キャプションによれば、国会議事堂、旧内務省ビル、警視庁ビルを従えた経産省ビルの獄門。
そこから飛び出した六つの電子達。
原子核にアイゼンハワー、電子に戦前、大政翼賛会に属した高級官僚で戦後、原子力の導入の立役者となった人物の顔が刻まれている。
 

 

 うーん、強烈なインパクトだ。   以前、東京国立近代美術館でケーテ・コルヴィッツの作品を観たときと同じだ。

風間サチコの主張にはすべて賛成ではないけれど、彼女の作品は主張を芸術に高めてオーラを放つ。

場所がわかりづらいかもしれません。  写真中央のビル1階が会場です。  窓の奥に作品が写っています。

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東京国立近代美術館(2012.11.23) 版画 谷中安規、挿絵 木村荘八 

2012年11月28日 | アート 浮世絵・版画

東京国立近代美術館での、印象に残った作品を紹介します。

版画家の谷中安規、以前にも紹介しましたが、実物は今回で2度目、大収穫でした。

「春の自転車」と題されたこの作品、  大胆な構図、ダイナミックで柔らかい線描、なにか妖しげな雰囲気・・・ため息です。

 

シンボリックな各アイテムもさることながら、人体の躍動感ある表現が素晴らしい。

 

キリコの絵を連想します。

 

 

 

もう一つの収穫、これは新聞小説の挿絵です。

 

昭和12年3月6日に描いた作品。

 

当時のカフェかレストランでのシーンでしょうか

 

当時の情緒が感じられていい感じです。   ところで、白く塗っているのはなんなのだろう?  新聞の挿絵では、うまく印刷されないと思うのですが。

 

素描のタッチが軽快で画面に無駄がない巣晴らしい作品。

 

 

最後の橋の上のシーンは、3年前の夏、神田川の柳橋で撮った光景を思い出しましたので、蛇足ですがのっけておきます。

 

両国の花火大会のときの写真です。

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東京国立博物館(2012.7.28) 浮世絵 夏風俗 鳥居清長 川又常正 勝川春英

2012年08月29日 | アート 浮世絵・版画

昨日に続いて夏風俗の浮世絵です。

鳥居清長も達者な絵師。 この絵はいいですね。  背景の不忍か池が二人を引き立てています。 

 

川又 常正は初めて聞く名前です。  湯浴み前の男女の顔が素朴でいい。 

 

 役者絵などで人気を博した勝川春英の肉筆美人画
顔に特徴があります。

 

顔の部分をアップ。  切れ長の目、ぽっちゃりとした頬、春英独自の美人絵で妖艶さを感じます。

 

足元の猫。  しっかりとした描写です。  衣服の模様や体の線描も美しい。

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