光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

第31回 林忠彦賞 受賞記念写真展 新田樹「Sakhalin(サハリン)」を観て

2023年09月06日 | アート 写真

第31回 林忠彦賞 受賞記念写真展

新田 樹「Sakhalin(サハリン)」のレビューです。 (8月30日(水)三鷹市美術ギャリー)

 

 

 

 

会場光景

 

まず、金公珠さんから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カメラを構えた作家が写っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

会場光景

次は、李 富子さん

 

 


李 富子さん   ブイコフ(旧内渕)  2014

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木村初子さん

 


 

 

 

いかがでしたでしょうか? 

私は会場で、時間をかけて鑑賞し、かなりの作品を撮影しました。

途中、一人の鑑賞者と、その方に説明している、中年の男性がいて、私は

男性の学芸員の方かと思っていました。 ずいぶん腰の低い学芸員だなーと。

後で、展示冊子の写真を見ると、その方が、作者の新田 樹さんでした。

なるほど、まじめそうで、シャイな感じのする作者ですが、こうした写真の仕事

を成し遂げるのは、こんな人間性を持った方だからかなー・・・と妙に納得した

次第です。

なお、新田 樹さんは、今年度の木村伊兵衛賞も受賞しています。

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松本路子 女性アーティストの肖像 東京国立近代美術館 MOMATコレクションから (2022/12/13) 

2023年01月14日 | アート 写真

昨年11,12月に訪れたミュージアムのアラカルトを、前回記事でアップしました。

今回から詳細編を紹介します。 トップバッターは、印象深かった

東京国立近代美術館の所蔵作品展「MOMATコレクション」第12室

松本路子の撮影した女性アーティストの ポートレート集 

です。(14作品中、9作品をピックアップしました)

 

では作品に。

オノ・ヨーコ (1933-)

オノ・ヨーコのこの視線!

写真が撮られた1974年は、ヨーコとレノンが別居していた時期(結婚は1969年)

1975年1月に再び生活を共にし、1975年10月9日、レノン35歳の誕生日に息子の

ショーンが誕生した(ヨーコは42歳での高齢出産)。

ショーン誕生後、二人は夫婦の役割を見直し、育児と家事をレノンが担当し、家計

とビジネスをヨーコが担当した。

 

 

ニキ・ド・サンファール(1930 - 2002)

ニキ・ド・サンファールは、穏やかな表情。

被り物や衣服にアーティストの個性を感じる。

ニキは若い頃、モデルなどで活躍したが、統合失調症を患い、アートセラピー(芸術治療)として絵を描き始め

表現による自己解放を目指すようになり、射撃絵画が生まれた。

その後、社会における女性の役割を批判的に表現する作品から、やがて、女性性を肯定・強調する作品へと転じた。

2015年に開催された「ニキ・ド・サンファル展」(国立新美術館)を鑑賞しましたが、面白いけど・・・でした。

 

 

 

草間彌生 (1929-)

この表情、メーク、衣装・・・撮影されたのは1985年(昭和60年)

1973年(昭和48年)、親友でパートナーのジョゼフ・コーネルが死去すると、草間は体調を崩し日本へ帰国、入院。

これ以降、東京を活動拠点に。

小説家としての活動も始め、1983年(昭和58年)には小説『クリストファー男娼窟』で第10回野性時代新人文学賞を

受賞。 1993年(平成5年)、ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として日本館初の個展を開く。これを機に世界

的に再評価する動きが高まった。・・・ウィキより

 

 

 

ルシンダ・チャイルズ

アメリカを代表するモダン ダンスの振付師の 1 人。 彼女は当時の現代アートの潮流であった

コンセプチュアル アートやミニマリズムをダンスの振付で表現した。 

この部屋も現代アートを感じる。 ルシンダの視線が厳しいですね。

 

 

 

シンディ・シャーマン

シャーマンは、自らを被写体とするコンセプチャル・セルフポートレイトが代表的な作品で、

50年代の大衆映画のワンシーンに出演する女優たちのお決まりポーズに扮した写真シリーズ

が有名。アートマーケットでは、世界で最も高価な写真として取引されている。

そのシャーマンが撮られる立場。 むっとした表情が面白い。

 

 

 

合田佐和子

合田佐和子(1940~2016)は、高知で生まれ、武蔵野美術学校在学中より制作していたオブジェ作品を

瀧口修造に認められその後、油彩、写真、映像、舞台美術などに その才能を発揮し、60年代以降の日本

アートシーンにおいて独自の足跡を残した。

・・・と、Webなどで紹介されている。 でも、私は昨年まで合田佐和子を知らなかった。(富山県立

美術館の瀧口修造コレクションコーナで、合田佐和子の作品は見た。) 

昨年、美術展の案内で合田佐和子展を知り、興味がありました。

 

↑の松本路子の作品と、↓「合田佐和子展」(高知県立美術館)のメインヴィジュアルが好対照なので転載します。

合田佐和子展は、高知県立美術館のあと、1月28日から三鷹市美術ギャラリーに巡回されます。

その展覧会の公式Webサイトに、 分かりやすい説明があったので引用します。

喜びの樹の実のたわわにみのるあの街角で出会った私たち もう帰る途もつもりもなかった (合田佐和子 晩年の手稿より)
 
合田佐和子(1940-2016、高知出身)は、1965年の個展デビュー以来、オブジェや絵画、写真といったメディアを横断しながら創作活動を展開した美術家です。

幼少からの収集癖と手芸を融合させた「オブジェ人形」で作家活動をスタートさせた合田は、次第に奇怪でエロティックな立体へと自らの作風を変化させていきます。

69年以降は唐十郎や寺山修司によるアングラ演劇の舞台美術やポスター原画の制作を手がけるほか、70年代から独学で始めた油彩画では、往年の銀幕俳優たちのポート

レートを独自のグレーがかった色調で描き出し、「異色の女性美術家」として世間の注目を集めました。80年代のエジプト滞在を機に、90年代以降は一転してそれまで

の作風を脱ぎ捨てた明るいパステル調に変化し、内省に基づく独自の制作論の実践へと移行します。

当時の社会通念や因習にとらわれない暮らしのなかで花開いた合田の表現は、ファッションや映画、音楽などの領域と高い親和性を示し、様々な分野の表現者から熱く

支持されました。一方で、同時代の美術動向や批評の言説からは距離をとり、ひとつのスタイルに留まらずに繰り広げられた仕事は、美術の「正史」からは外れた特異

な存在であり、あくまで個人的・趣味的なものと見なされる側面がありました。



 

平沢淑子 1939年中国東北地方(旧満州)生まれ、2017年、愛するパリの地で逝去。

平沢淑子も恥ずかしながら初耳の作家でした。

”慶応義塾大 独文科卒。NHKアナウンサーを経て1974年パリに渡り画業に専念。
'77年よりフランス、アメリカ、日本、カナダ、ロシア、エジプトなどで個展を開催など”

変わった経歴ですが、2004年に行われたインタビューを読むと、なるほどです。

背景に自作の絵が掛けられています。 女優?の感じで、ポーズが”さま”になっています。

沢淑子も瀧口修造や寺山修司と交流がありました。

 

ヘレン・フランケンサーラー (1928 - 2011)

1950年代のニューヨーク抽象表現主義者を表す「ニューヨーク・スクール」において、ほぼ唯一の女性アーティスト。

1928年にマンハッタンに生まれたフランケンサーラーは、父親がニューヨーク州裁判所の判事という家柄で、ハイソな

育ちだった。塗りをしていないキャンバスに薄く溶いた絵の具を染み込ませる「ステイニング」画法を考案したアー

ティストとして知られる。 ・・・Webより

首をかしげて、温かい視線のフランケンサーラー。 やはり、初耳の方でした。 

 

 

ブリジット・ライリー

ロンドン生まれ。ゴールドスミス美術学校、王立美術学校油絵科に学ぶ。

ルネサンス以降の巨匠や印象派の絵画、点描技法を研究し、単純化・抽象化のプロセスを学ぶことで自身の創作を深め

1961年に初めて抽象画を描く。1965年、ニューヨーク近代美術館 で開催した「応答する眼」展でオプ・アート(錯視効果

をもった絵画作品)の代表的画家として国際的に評価された。作品の多くは、色や形、コントラスト、進行、展開、反復

などの様々な要素で構成されており、幾何学的な世界を生み出している。・・・Web等から

ブリジット・ライリーも、以前、記事を読んだことがある・・・ぐらいでした。
 

ブリジット・ライリーの表情・・・よそよそしいものを感じます。

 

作品は以上です。

ところで、写真作家 松本路子、よくこんなに世界中の女性アーティストに会えたな!と驚きました。

で、調べていくと、最初にポートレートを撮った浅川マキのことを書いた手記を発見・・・以下に引用します。

(大学の)写真のサークルに入部して、ドキュメンタリー写真に興味を持ち始めた頃、浅川マキの舞台と出会い、1年ほど彼女を

追った。1969年のことだ。彼女の歌を初めて聴いたのは、渋谷にあったライブハウス「ジャンジャン」だった。黒づくめの服で、

「夜が明けたら~」と歌い出したとき、私の中で何かが弾けたような気がした。けだるく、だがどこか明るいブルースは、19歳の

女子にとって、何か深淵を覗かせてくれるものだった。

浅川マキが銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」に出演した日、出番の合間に客席の後ろでくつろいでいた彼女に思い切って声を掛け

た。それから舞台、楽屋、また旅にまでついて行って写真を撮り続けた。彼女は「しょうがないわね~」と半ば諦め顔で、受け入

れてくれた。

うーん、食らいつく姿勢が凄いですね。この積極性と粘り強さがあればこそ出来たのですね。

 

話は変わりますが、浅川マキがでてきて、昔、彼女のアルバム「裏窓」を買って、聴いていたことを思い出し、久し振りに聴いて

みました。 うーん、1970年代の息吹が満ち溢れている!

浅川マキ「裏窓」(1977年LIVE) Maki Asakawa - Rear Window

 

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「鈴木理策 知覚の感光板」を見て

2019年01月30日 | アート 写真

 

 

2019年1月11日(金)写真展「鈴木理策 知覚の感光板」を見てきました。

展示はもう終了しましたが、概要は次の通りです。

開催日程:2018年11月28日(水)~ 2019年1月16日(水)
開催会場:キヤノンギャラリー S(住所:東京都港区港南2-16-6 キヤノン S タワー1階)

鈴木理策氏は、東京オペラシティアートギャラリーでの個展や、横浜美術館の「モネ それから

の100年」などをみて、私の好きな写真作家の一人です。

本展は、芸術家のあるべき姿を「知覚の感光板」と表した画家セザンヌの言葉に感銘を受けた

鈴木氏が、かつて画家達が見たフランスや、アメリカの風景を捉え表現した作品23点を展示し

ていました。

 ■ 作家メッセージ
「知覚の感光板」は画家セザンヌの言葉です。
芸術は自然に照応するひとつの調和であり、そこに芸術家個人の表現意図を持ち込むべきではない。
自分の中にある先入観を忘れ、ただモチーフを見よ。そうすれば、知覚の感光板に全ての風景が刻印
されるだろう、と語るセザンヌは、芸術家の身体を感覚の記録装置とみなし、受け取った全てを画布
に定着させようと試みました。匂いや音など視覚以外の感覚も色彩によって表すことができると信じ、
「目に見える自然」と「感じ取れる自然」が渾然一体となるように描いたセザンヌの絵画は、「何を
描いたか」ではなく「モチーフから感じ取ったもの」そのものを私たちに見せてくれます。

写真の場合、カメラは表現意図を持たず、ただ純粋に対象を知覚します。カメラの機械的な視覚は、
人間の見え方とは大きく異なります。私たちは行動に必要な情報だけを取捨選択してものを見ている
からです。カメラの純粋知覚は私たちが見捨てた世界の細部をも写し出してしまう。 その基本的な
性質にあらがうように、多くの写真家は構図やフォーカシング、シャッタータイミングの選択を駆使
して、画面の中に自らの刻印を残そうとしています。

今回、近代の画家たちがモチーフに選んだ土地を撮影しました。彼らが向き合った風景を訪れると、
その創意を直に感じられるようでした。この旅の中で、レンズの純粋さを信頼し、写真の本性を手に
入れられたらと、改めて強く感じました。

 

 

 

会場内の展示風景。 

 

 

 

 

 

 

 以下は、会場で無料配布していた写真図録の記載順に紹介します。

ただし、作品の撮影地などのデータは、作家の意図でしょうか、一切ありません。


セザンヌがよく描いた、南仏のサント・ヴィクトワール山でしょうか。 

この山の遠景写真は、いろんな本で見た記憶があるのですが、岩肌を近くで撮ったこの

写真、なんのけれんみもなく、いいですね。

 

 

 

 この赤茶けた道、私の貧弱な記憶では、絵画の作品と結びつくものが思い当たりません。

サント・ヴィクトワール山の麓の道なのかな?

 

 

 

ジヴェルニーの草原かな、次の睡蓮の池の作品と並んでいました。




モネの絵から受ける印象と、同じものを感じます。 何枚も描くモネの気持ちがわかります。

 

 

 

 ここからは、アメリカ編だろうか。

 

 



鈴木氏の作品に、人間が写っていることは稀なのですが、この作品には玄関ポーチ下に、メガネをかけた男性がいます。

ま、そんなことはどうでもよくて、全体の雰囲気が気持ちよい。

絵画作品との関連は、ワイエスかなー?

 




四隅が暗くなっていますが、これは、照明のせいで実物は均一な明るさです。

 

 

 


場所はどこかわかりませんが、普通の海岸の砂浜で、珍しいところではないと思います。

夕景の砂浜の風景写真では、もっと強烈に赤く焼けたコントラストの強い写真を一般によく見ますが、

この写真は、ごく自然な淡い夕景を撮っていて、変な雑音を感じません。

 

 

 

 

 私だったら、この場所で、撮影をするかどうか微妙です。 そんな何でもないようなところ

を知覚の感光板に刻み付けるのは、何故?  と、既成概念の脳で見ることをやめ、じーっと

写真をみると、サムシングを感じる。

 

 

 

 

 

 

 



絵画と同じようにこの作品を部屋に飾るとどうだろうか・・・・永く楽しめそうな感じがする

 

 

 


 

 

 

 


 


モネや、クールベなどが多くの作品をのこしたノルマアンディーのエトルタ海岸の風景。

 

 

 


この位置からの絵が、モネなどの絵画にありますが、写真も、実に気持ちがいい。

 

 以上、今回も鈴木理策氏の作品は、楽しませてくれました。

次は何を撮るのか、楽しみな作家です。 

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軽井沢そして東北,アート巡り #13 「没後50年 藤田嗣治 日本での日々」 土門拳記念館

2018年09月17日 | アート 写真

 「没後50年 藤田嗣治 日本での日々」も、面白い内容でした。 

 私が藤田の作品を初めて見たのは、東京国立近代美術館で、パリでの絶頂期の作品や戦争画などです。 

当初は、薄気味悪くて好きにはなれなかったのですが、2016年秋に、府中市美術館で

「生誕130年記念 藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-」を見て、個性と表現力はさすがだと思い直しました。

 

 

 

 

 この時期は、オカッパ、ちょびひげは、やめているんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 防空壕まで用意していたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミシンを使って裁縫までやるんですよね!

今でこそ、ミシンで現代アート作品を縫い上げてる作家もいますが。

 

 

 

 

 テラス?の窓の上の絵画、右端は君代夫人の横顔を描いたもの。 うりざね顔に魅かれたのを感じます。

 

 

 

 

 木工も得意。 自作の額に入った作品を、府中市美術館の展示で見ましたが、絵とピタッと合っていた記憶があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君代夫人と一緒の写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フジタが土門に長期の撮影をOKし、このような貴重な記録が残されたのは、後世の私たちにとって、とても有難いし、ここで見れてよかった。

このあと、秋田県立美術館にいって、フジタの巨大壁画などを見る予定にしていたのです。

 

 

以上、1時間ちょっとの鑑賞時間でしたが、とても充実した思いで、土門拳記念館を後にし、酒田駅に向かいました。

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軽井沢そして東北,アート巡り #12 土門拳記念館「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

2018年09月10日 | アート 写真

文士の肖像

文士の肖像は、前回の「昭和の貌」に含まれるものですが、会場では、特にコーナを設け、 林と土門の作品を

並べて対比していました。

 前回記事の松本清張、司馬遼太郎、山本周五郎、吉川英治も、「文士の肖像」に含まれるものです。

 

 

 

 太宰治の有名な写真、林が撮っていたんだ。  カメラは意識しているのでしょうが、自然な姿の太宰、楽しそうな声が

聞こえてきそうです。  キャプションのコメントが面白いので紹介。

”織田作之助を撮影していると、「俺も撮れよ」と酔っ払い客に頼まれて撮影した。それが、兵隊靴で椅子にあぐらをかく太宰治だった。

戦後の「デカダン」の雰囲気を捉えた、林の代表作。”  (銀座5丁目のバー「ルパン」 昭和21年(1946))

 

 

 

その、織田作之助(左の写真)。 上の太宰の写真は、付録で、こちらがメインだった。 織田作之助は肺結核で、撮影後、間もなくして亡くなった。

右の檀一雄、林に”写真なんてどうでもいいじゃないの、それより、飲もう飲もう”と誘いすぐ、酒になったようだ。 いかにも無頼派作家らしい生活状況が

うかがえる写真。 私は、女優・檀ふみの父で、家庭を棄てて別の女性と同棲したことぐらいしか知らなかったが、調べてみると、太宰とも深い交友があった

のですね。 林忠彦もバーでの飲み仲間であり、打ち解けた雰囲気で撮影しています。

 

 

 

左の田中英光?恥ずかしながら初耳の作家です。 太宰治に師事、心酔していたようで、この写真も、田中から、太宰と同じよ

うにバーで撮影してほしいと頼まれて撮ったもの。 なんと、撮影後まもなく、太宰の墓前で自殺した!

右の坂口安吾の仕事部屋での写真も有名。 で、坂口安吾を調べていると、彼の書いた「安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」の中で

自身が覚せい剤ヒロポン(当時は合法だった)や、催眠剤中毒を何度も経験していて、孤独感から自殺を考えたこともあった

うだ。その中で、田中英光にもふれ、とんでもない大酒飲みで、同様に催眠剤中毒になっていると書かれている。 催眠剤は

眠るためではなく、早く酔うためだった。  田中の写真を見ると、一見、好青年が楽しそうに軽く飲んでいるように見えるが

実生活は女性とのトラブルもあり、苦悩のさなかだったのだろう。

 

 

 

 

 火野葦平、「麦と兵隊」をNHKラジオの朗読で、ちょっとだけ聞いた記憶がある。

ところで、火野は戦時中、日本軍の中国・北京で報道部として、従軍記事などを買いており、林忠彦は在北京日本大使館の外郭団体で

日本の宣伝写真を撮影しており、知己だったと思われる。 キャプションに火野は林の「親分」で、親しい間柄だったとある。

火野は戦後は、戦犯作家として、この写真が撮られた昭和25年まで公職追放を受けた。

この写真の火野は、何となくよそ行きの顔をしていて、林の酒場肖像写真としては、イマイチと感じました。

調べると、火野も睡眠薬自殺だったんだ。

 

 

 

 

文士の肖像が掲載された雑誌など。

 

 

 

 

 

芸術新潮には、昭和写真界の三巨匠、木村伊兵衛、土門拳、林忠彦の座談会が掲載された。座談会の一部が抜粋されていて、この場で熟読しました。

 

 

 

 座談会で土門と林が、一流の大家は素晴らしい、殊に志賀直哉や谷崎潤一郎は素晴らしいと述べていました。

 その志賀直哉の写真です。 左が土門撮影。 右が林撮影。

 私の好みは、右の林撮影のほうだ。 

 

 

 

 谷崎潤一郎。  左が土門撮影。 右が林撮影。 

キャプションの内容。

土門は怒った顔を撮りたくてじらしたが、谷崎が泰然としていて、仕方なくシャッターを切ったようだが、撮影後、谷崎は襖を叩きつけるように閉めて出て行ったそうだ。

右の林の作品は、一応撮影が終わったふりをし、机の下に隠したカメラで撮影。 背後には「春琴抄」の絵。 夫人が「うちの谷崎の笑顔の写真はこれだけです」と喜んだ。

林が「自選傑作の1枚」という。

 

 

 

 

 

宮本百合子、名前だけ知ってる程度で、肖像写真も今回、初めて見ました。

元共産党委員長の宮本顕治の妻だったんですね。

左の林の写真のキャプションで、”「色白の博多人形のような童女をそのまま大きくした感じ」で、波乱万丈の人生を送ってきた人には見えなかったという”

宮本百合子の作品を読んでみたくなった。

 

 

 

 

 吉行淳之介

 左の林の作品キャプション ”林は「どうしたら人物を自然にリアルに、内面的なものまで写しだせるか」と自問しながら撮影した。

作家が生きた時代の雰囲気を色濃く伝えるのがその特徴”

右の土門作品のキャプション ”雑誌『文芸』で、「私の好きな・・・」という特集をした中の一枚。吉行は「私の好きな部屋」として肺結核

で入院中の清瀬病院外科病棟の大部屋を挙げた。” 

 

 

 

 

井伏鱒二、共に書斎での写真。 右の土門作品は昭和26年の撮影、左の林作品は昭和43年の撮影。

井伏作品の「山椒魚」は、教科書?で読んでその情景が浮かんだ記憶がある。

 

 

 

 

 佐多稲子も名前だけしか知らない作家。 調べると、複雑な出生の経緯や、大作家たちとの出会い、波乱万丈の人生など、自身の来し方が、小説の素材になったんだ。

左の林作品では、顔のクローズアップで作家の持つ豊富な人生経験を抽出したいという林の狙いが、見事に決まっている。

右の土門作品は、吉行淳之介のところで触れた「私の好きな・・・」シリーズで、佐多は好きな場所として、東京・南千住の陸橋で、撮っている。

佐多は「こんな場所に私は故郷を感じるのです」と記した。

 

 

 

 

大佛次郎、幼い頃、「鞍馬天狗」の映画に父がよく連れて行ってくれました。 その原作者なのですが、やはり、まともに著作を読んだことがありません。

こうして肖像写真を見ると、高潔そうな人柄がうかがえます。 大変な猫好きだったのですね。

 

 

 

 

井上靖

左:土門撮影、東京世田谷で昭和33年 土門は井上には10分で撮って帰りますと言いながら、実際には2時間かかった。

  しかし、自分が考えている井上靖は表現できなかったという。 

右:林撮影、東京世田谷で昭和45年 自然に・・・という林のモットーが見事に井上靖を捉えた。

 

 

 

 

 林芙美子

有名な作家ですが、やはり、私は作品を読んだことがなく、「放浪記」などの自伝的小説で流行作家になった・・・というイメージだけでした。

左の土門の作品 東京・下落合 昭和24年 キャプションに”林芙美子の印象を土門は「その目は詩人そのものだった。あどけなく、寛容な光をたたえていた」”

といっていますが、この肖像写真からは、私は逆にふてぶてしさを感じます。

右の林忠彦の作品 東京・新宿 昭和26年頃 キャプション ”「書斎での林さんこそ、作家の厳しさを表現できる」と思い、日暮れまで待ち、室内光と

外光のバランスがとれる瞬間に撮影。「この書斎に通してもらうまでに10年近くもかかりました」”  うーん、苦労の甲斐があって、いい写真です。

 

 

 

 

 三島由紀夫

左の林の作品 東京・大田区馬込 昭和35年 キャプション”その人の個性や偉さなどが皮膚に表れてくるのを、ぎゅっとつかめば本当にいい写真になるが

三島は「顔の決まりがなく一番難しい顔の持ち主だった」”という。

右の土門作品 東京・目黒区緑が丘 昭和27年

確かに両雄の写真をみても、何かとらえどころがない印象・・・いい写真とは感じない。

三島由紀夫の写真は、細江秀公が撮った「薔薇刑」が有名で、東京国立近代美術館で見ましたが、この時の写真のほうが、生き生きとしていた印象があります。 

 

 

 

 

 

 

 川端康成

左の林作品 鎌倉 昭和45年 キャプション”無口で神経質な川端には「カメラを向けるのも怖い感じ」で、30年近く撮影して、「亡くなる1年前、やっとアップで目の輝きを

撮ることに成功した」という林の会心作。

右の土門作品 鎌倉 昭和26年 キャプション抜粋 高村光太郎は戦前に「土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と土門拳そのものの激情性とが実によく

同盟して被写体を襲撃する。」と記した。

 

 

 

 

 第3章

 

 

 

 

 

 林忠彦 『長崎ー海と十字架』から

 

 

 

 

 

 

 

 

土門拳 『古寺巡礼』から

 平等院鳳凰堂夕焼け 京都 昭和36年

 

 

 

 

土門拳 『風景』から

わらぼっち 埼玉県朝霞市 昭和38年

 

 

 

 

 

 林忠彦 『東海道』から

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳の紹介は完了です。

次回は併催されていた「没後50年 藤田嗣治 日本での日々」の予定です。

 

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軽井沢そして東北,アート巡り #11 土門拳記念館「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

2018年09月03日 | アート 写真

 第2章 昭和の貌

 時代の象徴という副題です。 このコーナは両雄の違いがはっきりしていて、楽しめました。

 

 

 

 

私が幼い頃に、笠置シズ子もエノケンも、テレビで見た記憶があります。 笠置シズ子はうるさいオバサンのイメージだったけど・・・・。 両方とも昭和23年の撮影。

 

 

 

 

 

右の、三木のり平の姿が絶妙。 丹下キヨ子も、こわいオバサンのイメージだったのですが、20代で、ファッションセンスのいい姿に、ほー。

 

 

 

 

 

左 コマーシャルのはしりとなる写真。 商品は、練炭七輪と電話機で、それらしいポーズの高峰秀子。 

右の写真は、土門が高峰秀子を、銀座1丁目から8丁目まで3回歩かせて、執拗に撮影したというエピソードが

残る作品。 高峰秀子の表情に、少し困惑は感じるのですが、でもプロの女優の意地も感じる。 

 

 

 

キャプションに書かれている状況下、ひばりのリラックスした姿を引き出したのは、さすが。 ひばり15歳。

 

 

 

 

原節子は、写真でしか知らない女優ですが、この笑顔を見ると素晴らしい女優だったんだろうなー。

 

 

 

  

 ロケ先の廃墟での休憩でしょうか、仕事を一旦、切り上げるスタッフの姿、そこに困った女優・歌手の山口淑子の艶めかしいポーズ

面白い作品。

 

 

 

 雰囲気のある写真でいいですね。

 

 

 

 

裕次郎の表情が生きています。

 

 

 

 林の作品としては珍しく、石原兄弟の表情が硬いのですが、でも、二人の微妙な陰影が立ち昇るのを感じる。

 

 

 

  

 永井荷風の自然な姿、岡本太郎の怪訝な眼差し、それぞれの個性が出て面白い。

 

 

 

 キャプションを見ると、執拗な土門の撮影に、梅原は怒ったとあります。 確かに、眼と口元がそれを語っています。

土門は、自分の美学で人物像を捉えようとして、相手を怒らせることが間々あったようだ。

 

 

 

 

 斎藤茂吉の写真は、街の写真館で撮ったような味気ない写真、キャプションの土門の言葉”病み衰えた姿をみて、何か胸が一杯で撮影も思うに任せなかった。” なるほど、そういうことか。

右の富本憲吉は、陶印を制作している姿ですが、いい味があります。 前回の記事で、富本がつくった土門の陶印をアップしています。 

 

 

 


キャプションに、吉川英治が”いい写真なら、原稿用紙何枚でも書けるようなイメージが湧いてくるものです。”と林にいい、林が深く心に

残る言葉としている。  私も、いい写真(芸術作品も)は、いろんなイメージが浮かぶというのは同感です。

 

 

 

 

山本周五郎、浦安の干潟で、いい雰囲気の写真です。  昔、よく読んだ作家です。

 

 

 

 

まだ司馬遼太郎の作品は読んだことはないのですが、何かと耳目に入ってくる作家。

林がクローズアップで撮った写真は、いろんなイメージが浮かびます。 細かく見ると、眼鏡には度が入ってないないですね。

このとき、司馬は46歳、特異な風貌も、マスコミ等への演出の思いがあるのかな。

 

 




似たテイストで、松本清張のクローズアップ。  凄い、この迫力は!

 

 


次回は、文士の肖像などを予定。

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軽井沢そして東北,アート巡り #10 土門拳記念館「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

2018年08月21日 | アート 写真

 「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

の展示作品から。      ※写真撮影はノーフラッシュならOKでした。

第1章 昭和の記憶



改めて、両雄のポートレートを。



 





 

 

 

 

 

当時二人は、戦意高揚の国策としての、宣伝報道に携わっていた。 

左端 土門拳《土浦海軍航空隊 中島95式水上偵察機》昭和19年 予科練を取材したもの、ここを巣立った少年兵は、戦争末期、特攻隊の中核になった者も多い。

中央 林忠彦《航空兵》 千葉県・松戸飛行場 昭和17年  「婦人公論」昭和17年6月号「国土の守りは固し」に掲載。

右端 同上 《出動》  同上              「婦人公論」昭和17年6月号「国土の守りは固し」に掲載、国防上、雑誌には、撮影地は伏せられた。

 

 

婦人たちもすべて、国策に協力させられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 看護婦の養成所でなぎなたの訓練!

 

 

 

 

左 土門拳 《若い看護婦》 東京・麻布 昭和13年 内閣情報部編集の国策宣伝を目的とする『写真週報』昭和13年6月8日・第17号の表紙に使用された写真。 銃後の人々の
                          団結をうたう
週刊誌で、土門、林、木村伊兵衛、入江泰吉、小石清らも写真を担当した。 

右 林忠彦 《防空女子通信隊員》 昭和17年頃   この頃、防空監視に女性も重大な任務に就いたことを、婦人誌でたびたび特集している。

              

 

 

 

 

 

 

右の林忠彦《引き揚げ》上野駅 昭和21年 自らもカメラ、写真すべて中国に残して引き揚げてきた林は、東京で仕事を再開した。 「当時の上野は敗戦日本の象徴のような感じがあった」

ムシロの上の母子が傷ましいが、母性の強さも感じさせてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この写真は、横浜美術館の常設展でも見ましたが、強く伝わるものがあって、傑作だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀座の露店を二人が撮ったもの。 左の土門が撮ったのは昭和24年、右の林が撮ったものは昭和21年

二人の写真表現では、土門はコントラストを強調し、林は柔らかな諧調表現に、特徴があると感じました。

 

 

 

 

昭和22年に開業したストリップ劇場、戦中の抑圧から解放された時代の気分にのって、ストリップ・ショーが大流行した。

 

 

 

 

風俗小説誌『モダン日本』の取材で撮影。  当時の写真としては、新鮮な感覚だったと思う。

 

 

 

 傷痍軍人。 私も幼いとき、九州の小倉で見た記憶があります。

 

 

 

 

昭和28年頃の職業安定所。(左の2作品) 当時、失業問題が深刻化していた。 右は、授産場でサンタクロースの靴を作る内職の婦人たち。

 

 

 

 

 昭和30年の銀座で。 高度成長期に至る前の昭和の街。

 第2章 昭和の貌は次回に。 

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軽井沢そして東北,アート巡り #9 土門拳記念館「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」

2018年08月18日 | アート 写真

酒田訪問の第一目的

土門拳記念館の「特別展 昭和の目撃者 林忠彦vs土門拳 ー林忠彦生誕100年ー」の紹介です。

訪れたのが4月19日ですから、4か月が経ち、もう特別展は終わってしまいました。

ブログ更新が間延びしだして約3年、紹介したいネタは山になっているのですが・・・・

ま、ボチボチいこう。



御覧のように、①林忠彦と土門拳の組み合わせ、なおかつ、②藤田嗣治の日本での日々の特集

という企画に惹かれました。

もともと、土門拳記念館には一度は訪れたいと思っていたので、(2008年のブログ、ミュージアムの微笑みを見て

この企画が背中を押して、やっと念願の一つが叶いました。


当日は、朝早く宿を出て、8時半に記念館に到着。 旅行計画ミスで、駆け足鑑賞が必然でした。(10時36分酒田発の特急で

秋田に向かうため、正味1時間ちょっとの鑑賞時間)

開館は9時からですので、その間、館の周りを撮影。



桜の時期、池に佇む記念館、うーん、この建築デザインは・・・と思ったら、やはり、東京国立博物館の法隆寺宝物館などの

設計をした谷口吉生氏。




拳湖の銘が入った石。(草野心平筆)








ガラスに、テロリストみたいな私の姿が映ってしまいました。




もう一人、早く着いた方がいて、同じように写真を撮っていました。




石碑のような彫刻は、イサム・ノグチ氏制作・寄贈の《土門さん》




9時開館。 受付の方に酒田駅までのタクシーの手配をお願いすると、10時10分頃の入車で、とのご協力をいただいた。

入口正面の銘板。 亀倉雄作の制作・寄贈




土門拳の作品。(特別展とは関係なし)




展示室への通路




展示内容は次回に詳しく、紹介することにして、今回は建物内の様子をメインに紹介します。

主展示室




左側が第1章 昭和の記憶 コーナ













イサム・ノグチの彫刻《土門さん》 水が流れるんだ。もう少し水量があるとさらに良いのだけど

経費のこともあるだろうし・・・




ギャラリー内から。  窓際に置かれているのは、勅使河原宏制作のオブジェ3体。





池に浮かぶように立つ、土門拳記念室。  鳥海山を期待したのですが、雲が多くて見えませんでした。 この後、特急列車からは

よく見えたのでしたが。


 


土門拳の肖像写真と館の由来ですが、ガラスに反射する外の景色が重なって、前回のブログ記事のモネのムード。


 




土門拳記念室の展示。  土門拳はメモ魔だったんだ。 

 


 


 


 

同じく、土門拳記念室の展示。  冨元憲吉作の陶印や、黒田辰秋作の筆箱! 

 

 

 

 

庭園 勅使河原宏《流れ》

 



企画展示室Ⅱから見た庭園。 この部屋は、《藤田嗣治 日本での日々》の展示

 今回はここまでです。

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塩谷定好展を見て

2016年09月17日 | アート 写真

9月16日(金)はアート鑑賞のはしごをした。  三鷹で「芸術写真の時代 塩谷定好展」

恵比寿で「杉本博司 ロストヒューマン」展、最後に上野の東京国立博物館、途中、東京国立近代美術館へ

忘れ物(傘)の受け取りもあり、約1万5千歩のアート旅。 

 

まず、「芸術写真の時代 塩谷定好展」のフライヤーから

主婦像のモデルは塩谷定好の奥さんでしょう。(展示に家族写真もあり、似ています)  写真としては、あざとさが鼻につき好きになれません。

 

 裏面

裏面の写真No1の《天気予報のある風景》は、焼付け過程で海を湾曲させ、No4の《三人の少女像》は

横方向に縮めて、顔を胡瓜のように長くしています。

ようやくカメラが普及しだした時代に、デフォルメを大胆にやっています。 しかし、ただそれだけという感じで

深味は感じないのです。

 

ほとんどの写真が、地元、鳥取の写真。 1枚だけ東京丸の内を撮った写真がありましたが

これは凡作に見えました。

 

動きを感じるスナップ写真が少ないですね。・・・当時のカメラでは難しかったと思います。

感じが良かった作品をWebから拾ってみました。 (会場内は撮影禁止でした)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下の《村の鳥瞰》は、当時の芸術写真の主要技法だった、軟調描写による作品。 

これは構図がいいので、軟調描写も似合う。

 

 

 

Webを見ていると、昨年(2015年)、東京ミッドタウンのフジフィルムスクウェアで

塩谷定好作品展が開催されていました。(見逃しました)

そのポスターが下の写真で、ポスターの上の写真が特にいいですね。(今回の展示には含まれていません)

 

今回は”芸術写真の時代”の副題にもあるとおり、定好がアートを意識して撮った 作品の展示

が主でしたが、私にはぐっとくるものがなかった。  ポスターの上の写真のような、面白い

作品とかを観たかったな・・・。

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都内ギャラリー巡り その2 石内都展

2016年07月10日 | アート 写真

 資生堂ギャラリーで展示されていた石内都展です。

  

 

 

フリーダ・カーロは、森村泰昌展でも扮装姿の容姿を紹介しています。 
1907年に生まれたフリーダは、6歳のときポリオに罹り、右足が委縮・麻痺します。
また、18歳のとき、通学に使用していたバスが路面電車と衝突し、重傷を負い、後遺
症で背中や右足の痛みに悩まされるようになった。

高学歴ですが、スキャンダラスで波乱の人生でもあったフリーダの、”愛と痛み”を
石内が遺品撮影したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 43歳のとき、右足指を壊死のため切断、46歳のときは痛みで鎮痛剤も効かない状態となり、右足膝から下を切断、以降義足を使用するようになった。
翌年、47歳でフリーダは亡くなった。

 
Frida by Ishiuti  #36

 

 

 

 


 Frida by Ishiuti  #16

 

 


 Frida Love and Pain #51

 

 

 
Frida by Ishiuti #4

 

 

 

 
Frida Love and Pain #10

 

 

 


 Frida by Ishiuti #27

 

 

 


 Frida Love and Pain #9

 

 

 


 Frida by Ishiuti #86

 

 

 


 Frida Love and Pain #87

 

 

 

 


 Frida Love and Pain #72

 

 

 


 Frida Love and Pain #85

 

 

 


 Frida Love and Pain #90

 

 

 


 Frida Love and Pain #40

 

 

 


 Frida Love and Pain #79

 

 

 


 Frida Love and Pain #63

 

 

 


 Frida Love and Pain #38

 

 

 


 Frida Love and Pain #97

 

 

 


 Frida Love and Pain #96

  

  

 


 Frida by Ishiuti #40

 

 

 


 Frida by Ishiuti #39

 

 

 


 Frida Love and Pain #52 

 

 


 Frida Love and Pain #50

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濱谷浩展 

2015年11月24日 | アート 写真

10月31日(土)に行った写真家・濱谷浩展を紹介します。 

もう、展示は終わってしまいましたが。

 今から60年前の苗代の光景。 何もかもがピタッと決まった写真で、見る私がこの場所にいる感覚になります。

 

 

 こちらも、そうです。 そして目だけ出した農作業服の女性の迫力が凄い。 

 

 

苗代、稲刈り、そしてこの田植え、いずれも稲作の女性を撮影したものですが、女性の持つ強さが写真に現れています。

日本の原風景や伝統を記録することが、出発点にあったと思いますが、人間を写すという基本姿勢が貫かれています。

 

 

 

 

 

 この写真は「裏日本」から、十和田市の谷地温泉の湯湯治光景。

私も、八甲田山の酢ケ湯温泉(混浴)に入りましたが、こんなぎゅうぎゅうではなかった。

 

 

 濱谷は、人物写真にも面白い作品が多い。  これは版画家、練方志功

 

 

 高村光太郎

 

 

 名脇役で知られる志村喬

 

こういう写真をみていると、私も人物写真を撮ってみたいと思う。

丁度今日、NHK日曜美術館で、写真家荒木経惟(ビデオ録画)を見ました。 「男」の顔写真

は見事でした。

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鈴木理策写真展「意識の流れ」

2015年10月25日 | アート 写真

2015年8月23日(日)に行った写真展

時間が経つと印象も少し変わります。

 この展示会は作者:鈴木理策さんの意向で、写真撮影OKでした。

 

第一展示コーナは、「海と山のあいだ」  ライフワークともいえる熊野の自然を撮ったもの。

 

 

 

熊野灘、最初に感じたのは、柔らかい色合いです。 観光地のポスター写真とは対照的な、コントラストや彩度を抑えた印画です。 

当日の印象は、それが少し不満でした。


作品番号 DK-198 2013年 952×1190

 

 

海が陽の光をきらきらと反射する光景は美しい・・・という記憶があります。 

でもこの写真は、ピントを奥の岩礁にあて、きらきらする光の反射は、ボタン雪のように浮かんでいます。

ピントの合わない岩は、積もったヘドロのようだ。

 

 

 

ところどころに置かれた作者のメッセージ

 

 

 

 

波紋は魚のはねた跡だと思います。 波紋の周りには繁った木の葉の影と魚影が重なり合っている

そこにある時間と光景がすっと入ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

人間が写った唯一の写真。

 

これもすーと入ってくる作品。 彩度を抑えて、色の雑音を消しています。

 

 

水の透明感ではなく、水面に浮かぶ泡(あぶく)やゴミに焦点を当てています。

 

 

どこの公園でも見られる光景といえば、そうですが、対象を整理してスッキリとした画面構成。

作品番号 DK-410 2014年 952×1190

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二展示コーナ 水鏡/Water Mirror| White | SAKURA | Etude

 

水鏡/Water Mirrornoのコーナ

 

 

当時の印象は薄れましたが、水面に映った光景のビデオだったのですね。

The Other Side of the Mirror  2014/ヴィデオ/14分01秒

 

 

これは美しい。

 

 

 

どうしてこんな写真ができたのか不思議でした。 

調べると、このオペラシティでの展示は巡回展示で、その前に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で展示があり、

鈴木理策と加瀬亮の対談のなかに、

”水面の波紋をスローシャッターで撮影した写真…”とあり納得できました。

 

 

この写真も、水面の縦の走査線のような像がなぜでした。  でも美しい。

 

 

 

 

 

White

左奥はSAKURAです。

 

 

 

 

こんな雪景色は大好きなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SAKURA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Etude

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロ第一線の写真家の作品をよく見ます。  それは明確な主題と、それを強調する構図とコントラスト、色合いなどで、強い主張を持っています。

鈴木理策の作品は、そうではなく、第一感で感じたら、あとはカメラ任せで撮っています。 表現ということを考えた末、できるだけ意識を排除した作品

にしています。 レンズが写すものに、人間が錯覚することもあることなど、いろいろと気付かせてくれる展示でした。

 

 

最後に、収蔵品展「水につながる」から1点

 

 

 


難波田史夫 《山脈》 水彩、インク、紙 21×32cm  1973

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写真作品 横浜美術館コレクション展から

2015年09月27日 | アート 写真

7月25日(土)横浜美術館のコレクション展の紹介です。

企画展の蔡国強展も素晴らしかったのですが、コレクション展も劣らず素晴らしいものでした。

 

今日は、「戦争と美術」のテーマから写真作品を紹介します。

 

瑛九は昭和11年頃に、写真の現像技術を使って抽象作品を制作していた。

以降は、絵画や版画が多くなりますが、制作手法を問わず、鋭いアート感覚にあふれた作品は素晴らしい。

 

 

 

 

次は名取洋之助の満州での作品。
上段は、日本軍の騎馬部隊でしょうか。
中段以降の、中国農民の方の綿花の収穫作業がいい。

 

 

 

左下の写真が、グラフ誌「NIPPON」の表紙を飾りました。(この表紙写真は展示とは無関係です)

植民地化した満州で農民が喜々として収穫している・・・当時の日本の対外宣伝に利用されたことは明白です。

でも、私個人としては、そうした政治的な色眼鏡をとおして見るのではなく、農民の収穫の喜びを写した

コンタクト写真の一枚一枚が輝いて見えます。 名取洋之助の撮影意図とは無関係に、そこにあった一瞬を写真として

見られることに感慨深いものを感じます。

 

 

次は、桑原甲子男の作品。 いいですね。

 

 

 

桑原甲子男の傑作「皇居前(2.26クーデターの翌日)」

 

昨年、世田谷美術館で開催された「桑原甲子男展」でも紹介しました。 憲兵の目をかいくぐって、袖の中のカメラでめくら撮りしたもの。

そうした背景を知らずにこの写真をみても、不穏と清澄が同居した写真にインパクトを受けると思います。

背景を知ると、また別の深い感慨が湧いてきます。

以前、米田知子の写真展「暗なきところで逢えれば」を鑑賞したときも、同様な違いを痛感しました。

芸術作品は、半ば、脳で見ていているんだ。

 

 

林忠彦のこの作品も、当時の国策に協力したものといえばその通りでしょう。

しかし、老若混じった女性達の、表情に嘘はありません。

 

 

 

林の戦後すぐの写真。

 
犬は、戦争でケガを負い、歩けなくなったのだろうか?
子供達と犬の表情・仕草に感慨深いものがあります。

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奈良原一高「人間の土地」 東京国立近代美術館(2014.12.7) 

2015年02月11日 | アート 写真

昨年12月7日に行った国立近代美術館で、紹介したい作品が残っています。

昨年の「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」以来、玄関前にはマーク・クイン の《神話(スフィンクス)》が鎮座しています。
汚れが流れ落ちた跡が、目立ってきましたね。

 

紹介したいのは、奈良原一高の写真です。 2階で「王国」が展示されていますが、関連してMOMATコレクションのなかでも、

奈良原一高 「人間の土地」が展示されていました。  こちらは撮影OK。

 

 

3階第9室の展示コーナーのまず、キャプションから

 

 

今また、廃墟として人気がでている軍艦島、60年前の最盛期の頃の写真です。
この角度から見ると、船尾に見えますね。

 

 

 

「軍艦島全景」  確かに軍艦だ。

 

 

 

「時化」  かなり危険をおかして撮影しているのではと、撮影する奈良原を想いながら見てしまいます。 迫力があります。

 

 

 

「地下道」  人は写ってはいないのですが、人との関わり合いが濃密に感じられる。

 

 

 

「雪の貯炭場」  コンクリート壁に後からあけた出入り口。  衰退していく兆候を感じます。

 

 

「立坑のリフトに乗る坑夫たち」  亡くなった父も、昔、筑豊の炭鉱で坑夫として働いていましたので

この写真には、懐かしい記憶が蘇ります。

 

 

「坑道天井」  粗っぽい造りですが、石炭で、国のエネルギーを支えていたことを暗喩するのと、単純にこの形の面白さで撮ったのでしょう。

 

 

「浴場」  父は真っ黒にすすけて、仕事から帰ってきていました。 

      私が小さい頃、よく父に連れられて、共同浴場に行ったものです。

 

 

「作業場と浮桟橋」  雪の残る夕闇の光景でしょうか。  モノクロの写真ですが、光と陰の対比がより鮮明です。

 

 

「地下道」  前にでた写真と同じ地下道ですが、この写真ではバケツを持った女性が写っており、生活感が漂っています。

 

 

「アパート俯瞰、昼景」  人口密度は凄い数値なのでしょう。 数年前のトルコ旅行で蟻の巣のような地下住居
             を見ましたが、それに匹敵する近代の地上の穴倉住居ですね。 

 

 

 

「アマリリスのあるバルコニー」   私の育った筑豊では、炭鉱社宅は長屋形式でしたが、狭い島なので高層?アパートが必然。                            

 

 

 

「端島神社」  島の岩礁頂部にある神社も、狭い場所に建っているのでこんな構造に

 

 

「軍艦島全景」   最初に出た全景は昼間でしたが、黄昏時でしょうか。

 

 

 

次は桜島の黒神村シリーズです。

 

 

 

 

「壊れた水道管(エタニット・パイプ)」   溶岩が住民の生活の場に流れ込んだ、凄まじい自然の力ですが、それでも人々は、ぎりぎりまで、畑を耕し
                      生活している。 奈良原も人間の強さへの驚きを感じながら撮っているようです。       

 

 

「むしろの扉」  貧しい生活を撮ることではないのは、子供の表情を見るとわかります。

 

 

「露天風呂」  今でいう露天風呂の風流など微塵もありませんが、子供の表情が明るい。
        奈良原と子供のコミュニケーションが感じられます。

 

 

 

「破れた野良着」   野良着だからボロボロでも不思議はないのですが、燃え残った野良着に思え、
           自然と人間の関係まで写しているように感じます。  

 

 

「夜の溶岩」   一見、航空写真かなと思ったのですが、固まった溶岩流の端を、下から撮っている
         のですね。  いろんな風に見えます。

 

 

「月の出の入江」   奈良原にしては珍しい、叙情的な写真。  美しい

 

 

「埋もれた鳥居」   有名な事実なのですが、それを越えて子供達の元気な姿があることを、撮りたかったのでしょう。

 

 

「晴れた日」  噴煙をあげ活動している桜島岳と、杖をついた老婆の対比は力の対比などではなく
        人間も自然も一体化したものとして生命の素晴らしさを表現していると思います。            

以上の写真は、簡単に撮れるものではありません。
何よりも、鋭い感性が必要ですし、足掛け2年をかけた労力や、費用も大変だったでしょう。
奈良原一高の情熱が詰まった作品に深く敬意を表し、後世に残る傑作写真集と賛辞を送りたいと思います。

なお、奈良原一高の作品「王国」は2階の企画展で展示されていますが、撮影禁止のため紹介できません。

ただ、2011年6月17,18日のブログで紹介したものがありますので、リンクをはっておきます。

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中村誠の資生堂

2014年07月06日 | アート 写真

6月28日(土)、東京国立近代美術館を見終えたあと、銀座の資生堂ギャラリーで

開かれていた「中村誠の資生堂」ポスター展を見ました。(展示会は6/29終了) 

残念ながら撮影禁止だったので、チラシからピックアップします。

 

 

資生堂ギャラリーは初めて。  下の写真の左側、レンガ色のビル地下1階がギャラリーです。

 

 

 

1階はパーラーになっているのですね。 私は知らなくて、化粧品の売り場だろうと思っていました。  

 

 

 

1階の外壁の案内窓

 

上の写真の小窓の部分。

 

地下に降りる踊り場で

 

 

 

毎日新聞のアート担当記者・岸桂子さんが、展評で、カッコイーと言っていましたが、女性からみるとそんな表現になるのでしょうが

男性の私は色っぽい!とか艶めかしい!になります。

 

 

 

 

眼と金扇子のポスターは素晴らしい。

 

 

 

 

 

中村誠の校正指示の入ったゲラ刷り。 写真は横須賀巧光。  当時、撮ったコンタクトも多く並べられていて、この写真の原版

も見ました。 こうしてみると白目のところの修正など、かなり手がはいっていることがわかります。

 

会場には、前田美波里の健康美を押し出したポスターもあったのですが、チラシに載っていないのは残念。

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