光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

韓国世界遺産の旅 昌徳宮、宗廟

2019年07月07日 | 海外旅行

 3年前に行った韓国世界遺産旅行、ブログアップが途切れていましたが、最後の、ソウル市内

の2か所、「昌徳宮」、「宗廟」をやっとまとめました。

ちなみに、今までの本シリーズを再掲すると

朝鮮王朝の王墓群[隆陵・健  陵]、水原華城、南漢山城 (2018/01/01投稿)

高敞支石墓遺跡、百済歴史遺跡地区(2017/10/22 投稿)

海印寺(2017.2.10投稿)

良洞民俗村、安東河回村(2017.2.7投稿)

慶州 その1(2017.1.17投稿)

済州島 その4 城邑民俗村、城山日出峰(2016.12.31投稿)

済州島 その3  万丈窟、サングムプリ噴火口(2016.12.29投稿)

済州島 その2(2016.12.18投稿)

済州島 その1(2016.12.7投稿)


うーん、間が空きすぎ! 


さて、昌徳宮、宗廟、写真を見ながら、当時を思い起こしてみました。

2016年10月22日(土)の朝食は、ソウル市内の神仙ソルロンタン、以前の旅行でも、ここに

来ていて、味はおなじみ。 カクテキがおいしい。      8時14分

 

 

 

朝食後はすぐに世界遺産、昌徳宮へ

入口の敦化門です。 ガイドさんが交渉して、一般客の入場前に、はいれました。   8時57分

 

 

 

屋根の上の魔除けのような雑像。 それぞれは三蔵法師や孫悟空など、西遊記に登場する人物や動物らしい。  9時8分

 

 

 

門の下から、後ろを振り返ると、北岳山が見えます。  9時8分

 

 

 

雨水を流す溝かな。 紅葉が始まっていました。 9時15分

 

 

 

仁政門と、その奥の仁政殿が見えてきました。  9時17分

 

 

仁政殿は1405年に創建された昌徳宮の正殿で、王の即位の礼や、臣下の朝礼式、外国の使節との接見など、公式行事を行う儀式の建物。 9時18分

1592年、秀吉の文禄の役で、昌徳宮も景福宮も焼失、私は秀吉軍が焼き払ったのかと思ったのですが、ウィキペディアによると

”国王の宣祖一行が漢城から逃亡すると、治安が乱れて秀吉軍の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり景福宮や昌徳宮

付属する庭園(秘苑)などと共に焼失した” とあります。

その後、昌徳宮は1609年に復元され、現在の仁政殿は1804年に再建されている。

屋根の縁が白いのに、今、気が付きました。 敦化門もそうです。 調べると、屋根の構造強化のため、漆喰を塗っているとのこと。  

 

 

 仁政門の軒の構造。  9時19分

 

 

 

仁政殿前の広場。 位階を示す標柱が並んでいます。 臣下は、この標柱を目印に、位の順に整列した。  9時21分


そういえば、ソウルの国立民俗博物館に、整列した写真が展示してあった。ただし、景福宮の勤政殿です。↓

 

 

 


彩色された仁政殿は、日本でいえば紫宸殿にあたるもの。  9時22分

 

 

 

 

 

 仁政殿内の玉座。  9時23分

 

 

 シャンデリアは、1900年代以降に導入された。洋風カーテンもそうかな。

 

 

 隣の建物に行きます。 9時27分 

 

 

青い屋根が特徴の王が政務を行った宣政殿

現在の韓国の大統領府は青瓦台といわれ、文字通り、青い瓦。  韓国では、青い瓦は、位の高い者がそこで政治など国家の政務を司っている象徴だとか。  9時27分

 

 

 宣政殿の隣の、王の寝殿と執務の場であった「煕政堂」   9時28分

 

 

 

 奥に見える大造殿、王妃の起居する建物。  9時30分

 

 

 大造殿は朝鮮が日本の植民地支配下に置かれることが決まった御前会議が開かれた場所であり、最後の王である純宗が1926年に崩御した場所でもある。

内部の調度は、西洋式のものが、取り込まれている。 9時30分 

 

 

 

 

 

螺鈿の長椅子や、透かし彫りの丸テーブル など手の込んだ工芸が施されている。  9時33分 

 

 


厨房かな。  9時34分

 

 

 オンドルの焚き口  9時35分

 

 

 大造殿の裏庭。 木々の緑と軒の緑が呼応して美しい。  9時36分

 

 

 石壁の向こうは、後苑で、この王宮の見どころなのですが、一般観覧エリアとは別で、入場制限もあり、今回は見れませんでした。 9時39分

 

 

 門を出て、次の楽善斎に向かいます。 9時39分  

 

 

 

楽善斎です。 白壁と木の柱が、落ち着いた印象を与えます。  9時42分

東の隅に位置する「楽善斎」は24代王・憲宗の切ない恋がこもった後宮で、1847年に建築。その後も後宮や女官が余生を送る空間として使用された。

 

 

 裏の山手には、六角形の亭を持つ上凉亭。

 

 

 王朝末期の皇族たちが暮らした場所としても知られており、最後の皇太子である李垠に、梨本宮家から嫁いだ方子も晩年を過ごした。  9時43分

 

 

 庭の石組も見えます。

 

 

 窓の装飾が美しいと思いました。 9時44分

 



以上が、昌徳宮で、次は宗廟に移動。

宗廟は、朝鮮王朝・大韓帝国の歴代の王や王妃等の祖先を祭祀する場所。   10時42分

長い建物は、正殿で19人の王とその妃の位牌49位が安置されている。 1995年、宗廟がユネスコ世界遺産に、2001年に宗廟祭礼及び祭礼樂が世界無形遺産に登録された。

 

 

 

 以上で、世界遺産巡りは終わり、晩の帰国フライトまで、ソウル市内観光です。

北村韓屋村の入り口あたりに来ました。  11時17分

 

 

 北村韓屋村は、ソウル中心部北側の北岳山南麓の傾斜地に形成された住宅地で、東側を昌徳宮に、西側を景福宮にはさまれています。  11時19分

 

 

 昌徳宮や景福宮などに隣接する北村は、権力を持つ家門や王族をはじめ、身分地位の高い両班(官僚)の居住地とされてきた。

当然、大邸宅があって然るべきだが、今見られる北村の家屋は小規模なものがほとんどで、大規模な韓屋は少ない。

これは朝鮮王朝末期から日本統治時代にかけての社会的経済事情や、住宅難を解消するために、路地に家を建てたり、地割を

小規模な宅地に分割するなどした結果とのこと。 狭い路地に軒を連ねて韓屋が密集する北村の景観は1930年前後に形成されたものらしい

                                             11時20分

 

 

                                         11時22分

 

 

 大勢の観光客、中国語が飛び交っていました。  11時22分

 

 

 南山が見渡せるビューポイント  11時31分  

 

 

 

 軒下に飾った韓人形  11時37分

 

 

 

北村から仁寺洞に向かう途中で、山のように編み笠などを積んだトラック。  11時51分

 

 

路駐して営業しているようです。 

 

 

 仁寺洞です。 この時は、韓国は2回目で、仁寺洞がどこらあたりにあるのか分からず、迷ったら困ると思い、近辺しかうろついていません。

結構、韓服の方が多くいました。 レンタルの韓服は見たらわかりますね。               11時57分

 

 

 11時59分

 

 

 

 

 ちょっとしか歩きませんでしたが、アート関係や土産物屋が多い感じでした。  12時2分

 

 

 

しばらくすると、広場で太鼓と踊りが始まりました。   垂れ幕には土曜文化フェスティバルと書かれています。  12時11分

ソウル大学の学生達のようです。

 

 

 

大人も子供も食べている、ポテトフライがスクリュー状になったお菓子、ツイストポテトというのですが、この旅行の初日に済州島で、私も食べました。 12時22分

 

 



韓服を着た若い女性二人、スマホに夢中ですね。 こちらは、地元韓国の方に思えました。   12時23分

 




ツイストポテトを作っている屋台。 中国語や日本語で商品名が書かれています。 1本3,000ウォン(この時のレートは1,000ウォン≒96円)  12時26分

 

 

 

 

 昼食は、石焼ビビンバとハーフ冷麺とかかれていたのですが

 

 

 タコの刺身がおまけで付きました。 確か、足がまだ動いていたような・・・

 

 

 ハーフ冷麺

おいしいものを食べて、この旅行も終わりました。

1週間の旅行で、約10万歩あるいた、韓国世界遺産の旅、ダイナミックな火山島の済州島、のどかな農村風景の安東の河回村が特に印象に

残りました。

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韓国・ソウル アート巡り その4 北村韓屋風景、広蔵市場など

2018年11月20日 | 海外旅行

 韓国国立現代美術館 ソウル館の鑑賞を終えて、美術館内のカフェレストランでランチ。

予定では、近くの韓国料理の店だったのですが、店に並ぶ行列を見て、急きょ予定を変更。

この店でピザとサラダを注文、失敗だったのは、ピザもサラダもボリューム満点で、脂分が多く

結局、食べ残し。 韓国料理にすれば良かったと後悔。 

 

 



さて、北村韓屋マウル(村)、2年前の韓国世界遺産ツアーでも来ましたが、そのときは地図上の位置が分からないまま

見たのでした。 今回、韓国国立現代美術館付近の地図を見ると、美術館から歩いていけるところなので、寄ってみる

ことにしました。 地図上の赤い線が、地下鉄安国駅からの歩いた軌跡になります。

 





 美術館をでて、景福宮沿いの道から。 紅葉も始まっています。(スマホで撮影しているので、色味が少し派手ですが)

 

 

 

 今回、目立ったのは、あちこちで韓服を着た人たちがいたことです。

 

 

 

 このあたりでは、アートを飾った店が多く、↓のレストランにも、テラスにプロレスラーのような人形が。

 

 

 

 路地に入っていくと、韓服のレンタル屋がありました。 外国人観光客が、こんな店で韓服を借りて歩いているんだ。

 

 

 

 坂道を登っていくと、景福宮の建物が見えてきました。

 

 

 

 

 観光客がほとんど通らない道での、韓屋と遠景の南山の写真。

 

 

 

 

 こちらは、観光客がたくさんいる北村6景から。

 

 

 

 

 

 ここでも韓服は多かった。 中国の観光客が多いように見受けられました。

 

 

 

 

 韓屋村を見終えて、ソウル市立美術館に行ったのですが、企画展の「ソウルメディアシティービエンナーレ2018」が残念ながら

チープなインスタレーションばかりで、早めにホテルに帰り、夕食のため、歩いて広蔵市場(カンジャンシジャㇺ)に向かいました。

 服地の売場を通り抜けていくと、下の写真のように、屋台が連綿と繋がっていました。 凄い!

韓国海苔巻きはわかりますが、あとは知らないものばかり。

食べたい気はやまやまでしたが、屋台に座って注文するには、まだ度胸と語学力が不足。

 

 

  

 

 こちらは食材の店 

 

 

 

 結局、廣藏市場をいったん出て、通り沿いのユッケ専門店に。 ユッケチャメチッ3号店という名前です。 廣藏市場のなかに1、2号店がある

 有名な店。 表の看板を見て、↓写真の「ユッタンイ」(ユッケと活きテナガダコ)を注文。

 

  活きテナガダコの名前通り、ぶつ切りのタコの足が、ピコピコ動きます!

 

で、隣の席は韓国の若い男性二人でしたが、サっと終わって、次に、若い女性二人が座りました。

何と、日本語でしゃべっている! 嬉しくなって、どちらから来られたか聞くと、福岡とのこと。

私も、福岡の添田というところで20歳まで住んでいたと言うと、「あらっ、私、伊田の出身なんですよ。」

伊田は、田川市伊田で、添田から10kmほどのところ。 郷里が、近かったことから、話がはずみました。

(下の絵は、当時を思い出しながらスケッチ風にPCで描いてみました)

彼女たちも同じ、「ユッタンイ」を注文。 聞くと、もう1か月近く韓国にいるそうで、仕事?ときくと

そうではないらしいのですが、初対面なのであまり詳しくは聞きませんでした。

途中、店のおばさんが、彼女たちのところに来て、スマホの画面を示しました・・・ベレー帽をかぶった女性が

それを見て、「席を変えましょうか?」って。 スマホの翻訳機能を使って、店のおばさんが、気を利かしたようです。

(私が、若い女性達に絡んで、迷惑してると思った?) 女性達は席替えは断ったので、変な疑いは晴れましたが。

私は、はじめはビール、その後、焼酎も頂きましたが、結構、飲みやすいですね。

食べ終わったところで、若い二人に失礼して、ホテルに帰ることに。

 

 

 

 広蔵市場の建物です。

 

 

 

 

 帰り道での光景。 道路の端に屋台のテントがあり、みなさん、一杯やってます。

 

 

 

 ソウルの都心部を流れる「清渓川(チョンゲチョン)」です。 ホテルまで、あと7,8分、ほろ酔いのいい気分で歩きました。

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韓国・ソウル アート巡り その1 上空から見た天橋立、宍道湖、ソウル下町の食堂

2018年10月21日 | 海外旅行

2018年10月15日(月)から18日(木)まで、韓国・ソウルへアート巡りの旅に行ってきました。

韓国は、2年ぶりの訪問で、前回は、ツアーでしたが、今回は一人旅。

韓国国立現代美術館などの、鑑賞が主目的です。

前回の韓国ツアーのブログも、最終回が残っているのですが、とりあえず新鮮なうちに

記事にしたいと思います。

羽田発12:05の便で、13時ごろ地上を見ると、アッ 天橋立! (ズームアップしています)





天橋立近くの川が見えます。こうした川からの砂が、流れ積もって橋立の砂洲を形成しているんですね。 ただ、近年は、状況が変わって、砂洲が減少しており、

地上から砂を補充していると聞いたことがあります。




快晴で、海に映る雲の影と、綿のような雲が面白い。









宍道湖と中海が見えてきました。(13時18分)  山陰の海岸沿いの飛行ルートのおかげで、初めての景色が見れ、ラッキーでした。




金浦空港から地下鉄で、ソウル中心部の乙支路(ウルチロ)のホテルに、16:30頃到着。

 

 

 

 

部屋に飾ってあるアート。 小さな人の像が額縁に座っている・・・金色の線が1本、切れたように垂れていますが

作者の意図ではなく、トラブルでしょうね。

 

 



反対側の枕元の上にある作品、同じ作者のものかな?

 

 

 

 

 この日は、時間の関係で美術館は無理なので、女房から頼まれた化粧品を買いに明洞にいき、帰りはホテルまで歩いて帰りました。

途中、乙支路3街(ウルチロ3グァ)の食堂”トンウォンチッ”で夕食。 周りは小さな工具店や食堂が並び、下町の雰囲気たっぷり。

写真は”カムジャタン(豚背肉とジャガイモを煮込んだもの)”

今回の旅は、韓国の地場料理を楽しむのも、目的の一つでした。 

韓国語教室に通っているものの、やはり使い物にならず、指差しや身振りで何とか対応。

 

 

 

 

 食事が終わって、外から食堂を撮影。19:50

 

 

 

 この地点から戻る道を見ると、来る時はなかったテーブル席が道路にぎっしり!

 

 

 

 道路の中央に、通路が1.5m幅であるだけで、テーブル席にはお酒を楽しむ客が一杯。

 

 

 

 後で調べると、ここはノガリ横丁といって、夜になると道路を飲食席にしてよいところらしい。

下の写真の中央下部の、緑の皿に載っているのがノガリ・・・スケトウダラの幼魚の干物を叩いて延ばしたもの。

 

 

 

 横丁の入口で振り返って撮影。 私も2日後に写真左側の店で、ノガリを食べました。

てな具合で、帰ってホテルでブログ記事を書こうと思っていたのですが、ビールが効いて、風呂が済んだらzzz・・・

 

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韓国世界遺産の旅 朝鮮王朝の王墓群[隆陵・健 陵]、水原華城、南漢山城

2018年01月01日 | 海外旅行

 皆さん、明けましておめでとうございます。 

 

2カ月以上、ブログ更新が疎かになりました。

新しいPCの導入などで忙しくしていたのですが、この間も

多くの方がブログを訪問してくださり、励みになりました。

謹んで御礼申し上げます。

 

さて、韓国世界遺産の旅も終盤、ソウルに近づいてきました。

今回は、朝鮮王朝の王墓群[隆陵・健陵]、水原華城、南漢山城です。

王陵については、韓国の国立古宮博物館を見学して、一度、実物を見たいと思っていました。

見学したのは、上図の9-6 隆陵・健陵で、位置は、図の⑥になります。 

 

陵の案内図。 左の健陵は朝鮮王朝第22代正祖と妃の墓

右の隆陵は正祖の父である荘祖(追尊)と妃の陵だが、陰惨な歴史がある。

荘祖(1735~1762)は、第21代王・英祖の皇太子で、幼いころから文武に優れていて、英祖の代わりに政務を行うようになってから

老論派と対立、計略により米櫃に閉じ込められ、非業の死を遂げた。 荘祖の息子の正祖は、父を悼み、陵を現在の地に移すとともに

墓を保護するために城を建造。 それが水原華城。


健陵の紅箭門(日本の鳥居にあたるもの)手前から撮影。  

 

 

 丁字閣(祭祀を行う場所)と、その奥の陵寝。

 

 

 

丁字閣の内部

 

 

 

訪れたのは、2016年10月21日の金曜日。  来たときは、我々のツアーだけでしたが、あっという間に

子供達の団体が来て、賑やかになりました。  朝、10時40分。

 

 

 

韓国では、文化財施設に行くと、子供たちの団体見学と、よく出くわします。

国の教育方針なのでしょうが、いいことだと思います。

 

 

 

 長明燈や武人石、文人石、石馬などが配置してある陵寝空間。

 

 

 

 子供達に説明する先生。 でも、子供達の半分ぐらいは無関心。 日本でも同じでしょうね。

ところで、ゴルフコースに似た陵の光景ですが、実際、地図で見ると、山の向こうにゴルフコースがありました。

 

 

 

 次は、水原華城(スウォン-ファソン)。  

朝鮮王朝第22代王・正祖が、1794年、2年8か月かけて造った都城。



 朝鮮古来の築城法に加え、石とレンガの併用といった西洋の近代的な建築技法を清(中国)から導入し、優れた機能性と建築美を兼ね備える。

建築史的にも高い価値を有する城郭としてユネスコ世界文化遺産に登録された。総面積130ha(東京ドーム約28個分)、全長は5.7km。

我々が見たのは、図の右端部分になり、よく観光案内にでる華紅門は見れませんでした。 

 

 まず、眼に入ったのが国弓体験場。  大学生?ぐらいの団体が体験中。  11時30分。

 

 

 

 幼稚園児ぐらいの団体も見学。 弓は和弓より小さい。

 

 

 

 的までは距離があり、手前の的を越した矢がいくつかある程度で、奥の的までは届いていません。

 

 

 

的の絵も日本と違い、悪役の顔のようです。 奥、左の建物は、東北空心墩、敵を見張る望楼のような役目。

 

 

 

 東将台(錬武台)は、軍事訓練を行った所。

 

 

 

 東将台(錬武台)から、山上にある西将台方面を撮影。

 

 


先ほど、弓の体験場で見た東北空心墩を、まじかで撮影。

 

 

 

 

 

 弓を射る弩台から、外側の光景を撮影。

交通案内標識には、ハングル、ローマ字、カタカナ、中国語が。

 

 

 

 華城の西門にあたる蒼龍門の楼閣から

 

 

 

 蒼龍門

 

 

 

 見学を終え、門から戻るところ。

 

 

 

 弓の体験場は結構、賑わってます。

 

 

 

 

 バスで水原市内の昼食会場へ向かう途中。

 

 

 

 

名物、王様カルビ定食

 

 

 

味はもう忘れましたが、おいしかったはず。

 

 

 

 

 

 

レストランの看板。 右の赤い文字は、カルビ、プルコギ、ビビンバと読めます。(ハングルを習っているので)   13時15分。

 

 

 

 

 バスで南漢山城に移動し、ガイドさんがチケットを購入する間、紅葉し始めた樹々を撮影。

 

 

 

ソウルの南東、京畿道 広州市にある南漢山城(ナマンサンソン)は、古より北漢山城(プッカンサンソン)と共に首都であるソウルを守る要塞。

400年近い歴史の中で破損と修復を繰り返しながらもその姿を今に伝え、2014年6月にはユネスコ世界遺産に登録された。

南漢山城は海抜500メートルの険峻な自然地形を利用しており、東西南北の峰々を連結する形で作られている。

距離にすると約9キロあまりになりますが、ツアーでは、約2kmほどを歩きました。

 

 

 

 北門

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城壁が延々と続いています。

 

 

 

 

下界の風景が見えてきました。

 

 

 

 

城の西門にあたる右翼門。

 

 

 

 

 

 

ソウル市内が見えてきました。

 

 

 

写真を拡大。 中央部に漢江や、南山が見えます。 ひときわ高いビルはロッテワールドタワー。このときはまだオープンしていませんでした。

 

 

 

見学を終え、駐車場に戻る途中、傍らの民家で見つけた6匹のワンコ。

 

 

 駐車場付近では、イベントが開催されており、舞踊音楽が聞こえていました。

 

 

 

 

 夕方、ソウルの梨泰院(イテウォン)のレストランで、ふぐちり定食。 おいしかったのを覚えています。

冷麺を追加で注文したツアーの一員で、日本で焼き肉店を営んでいる在日韓国人の方が、レストランの名前を

メモしていました。 

 翌日は、ソウル市内の世界遺産を見て、帰国となります。 

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韓国世界遺産の旅 高敞支石墓遺跡、百済歴史遺跡地区

2017年10月22日 | 海外旅行

 ちょうど1年前は、韓国世界遺産の旅の真っ最中でした。

そのブログ記事は、次のようにアップしましたが、韓国南西部とソウル周辺部

が残っていましたので、忘れないうちに再開します。

海印寺(2017.2.10投稿)

良洞民俗村、安東河回村(2017.2.7投稿)

慶州 その1(2017.1.17投稿)

済州島 その4 城邑民俗村、城山日出峰(2016.12.31投稿)

済州島 その3  万丈窟、サングムプリ噴火口(2016.12.29投稿)

済州島 その2(2016.12.18投稿)

済州島 その1(2016.12.7投稿)


2016.10.20(木)朝、全州市のホテルから歩いて10数分の食堂で、「全州コンナムルグッパ(もやしのスープ御飯)」

をいただく。 朝の7時15分、食堂内には朝食をとる作業員やサラリーマン風な方が結構いました。

 

 


朝食後、全羅北道の高敞(コチャン)へバス移動。


高敞支石墓博物館に到着。 壁面パネルに、密集した支石墓の写真。

 



韓国の世界遺産マップが展示されていました。

今回の現地ツアーガイドの朴明淑(パク ミョンス)さんの熱心な説明。

高敞支石墓遺跡の位置は、ガイドさんの顔の左側のところになります。

ただ、2015年に世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区は、載っていません。

百済歴史遺跡地区は、ガイドさんの頭の左上のところになります。

 



高敞支石墓の特徴や形式などの、写真パネル説明。



博物館の屋上からの展望。 中央に高敞川が流れ、その向こうの山麓に支石墓が連なっています。

野外展示場には、先史時代の村などがありました。

 

 



山麓部を望遠で撮影。重機や人影から、支石墓が結構、大きいことがわかります。

支石墓は、西ヨーロッパや中国、日本でも見られますが、世界の支石墓の半数が朝鮮半島にあるといわれ

2000年に、高敞、和順、江華の支石墓群が世界遺産に登録された。



またバス移動で、次は益山(イクサン)の百済歴史遺跡地区、百済弥勒寺址です。

広大な敷地の中央に、九重の石塔、左に建築工事の覆いのようなものが見えます。 

 

7世紀初頭に建てられた百済最大規模の寺で、三塔(木塔1、石塔2)と三金堂からなる。

当時の想定復元模型が展示されているようですが、私たちのツアーでは見学せず。

ブログサイト「韓国古代山城探検!」から模型写真を転載。

 


 


 弥勒寺址の俯瞰写真。 1990年の写真で、右の白い石塔(東塔)は、この年に復元して建てたもの

中央は木塔址のみ。 左の塔(西塔)は国宝で、唯一現存するが、崩壊や傷みが激しいため、解体復元中。

 


 


 東塔。かなり大きい。

 

 

 

西塔は、1915年に統治していた日本により、補修工事が行われた。 補修後の写真。

 


 


 1910年の補修前の写真と、補修の設計図。  崩壊が激しいが、建築遺跡として確かに価値は高い。

 


 


 解体復元工事の覆いの中です。

あれっと思ったのは、創建当時を復元しているように見えたためです。

実際のところは、よくわかりませんが、解体前の姿で補修・復元してもらいたいと強く思いました。

 


ブログサイト「韓国古代山城探検!」から、2008年当時の復元工事中の写真を転載。

 

上の写真は解体中の1階部分になりますが、2009年1月に柱石の中から、舎利荘厳具が発見された。

舎利荘厳具は、石塔を立てる際に奉納されたもので、舎利壺や舎利奉迎記、各種貴金属など貴重な資料となった。

 




昼食は益山の食堂で、海鮮カルグッス(平打ち麺)

店の看板の中央には”しゃぶしゃぶ”と書いています。(ハングルを勉強中なので、ここだけ読めます)


丸ごとのイカは、ハサミで切ってくれました。 

海鮮具材を食べた後に、麺を入れて食べるのは、日本と一緒。


 


 

 

昼食後、百済の都があった扶余へ

扶余のマップです。



世界遺産・百済歴史遺跡地区の扶蘇山城の百花亭からの眺め。

眼下の白馬江(錦江)は、古代中国、日本との交易路の役割を果たしていた。

丁度、クルーズの黄布帆船がやってきました。







百花亭は、、唐と新羅の連合軍に攻められて、百済が滅亡(660年)するとき、宮廷の女性達が節義を守るため、身を投げた場所で

落花岩という崖の上にあります。   韓国の子供たちが、静かに眺めていました。




百花亭、宮女たちの慰霊のため1929年に建てられた。


 


続いて、扶蘇山城の麓の定林寺址へ来ました。

百済時代に都だったサビ城(地図の中で、羅城で囲まれた区域)の中心に建っていた寺。

百済時代の遺跡として残っているのは、石塔のみ。(国宝)



石塔の奥の伽藍にある石仏。  660年に、百済の滅亡とともに焼失した定林寺、高麗時代の1028年に新しく建てられ、その

本尊仏となった石仏。 頭部は後代に造られたものとのこと。


韓国の昔の国家が造った巨大寺院(新羅の皇龍寺、百済の弥勒寺、定林寺)は、大半が破壊、焼失していることにウーンでした。



次は公州へバス移動。  宋山里(ソンサルリ)古墳群で、7つの王陵がある。

5、6号墳と7号墳(武寧王陵)のレプリカがある模型展示館に入ります。




6号墳の断面 四神が描かれている。




武寧王(第25代の百済王)の胸像




武寧王陵は、1971年に排水路の工事中に偶然発見された。 他の陵墓はすべて盗掘されているが

奇跡的に1500年前の状態で発掘された。 被葬者がわかる唯一の王陵。


王と王妃の木棺は、国立公州博物館に展示されているので、Webサイトから引用。

木棺は日本特産の高野槙(コウヤマキ)で作られているそうだ。




武寧王陵の石室内壁もレンガ製で、描かれている模様は蓮の花。



実際の武寧王陵の石室入口です。




この日最後は、公山城です。

百済の創建は、紀元前に、今のソウルである漢城(ハンソン)から始まったとされ、北方の強国、高句麗に悩まされた。

西暦475年、高句麗の侵攻によって熊津(ウンジン/現在の公州市)に都を移す。 その山城が公山城(コンサンソン)

熊津時代に再び力をつけた百済は、538年、泗沘(サビ/現在の扶余)に遷都した。

錦西楼という楼門への道を登っていきます。




城壁上の道から市街の眺め。  時刻は17時58分



一周して、錦西楼に戻ってきました。








夕食は公州市内の食堂で、蓮の葉包み御飯定食。



公州から宿泊先の大田市までバス移動。 夜9時前、ホテルの部屋の窓から市内を撮影。

セブンイレブンが見えたので、買物に行き、身振り手振りで何とか買えました。

 


部屋のなか。 スマホの歩数計を見ると2万歩! 風呂に入ってバッタンキューでした。

 

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韓国世界遺産の旅 海印寺

2017年02月10日 | 海外旅行

安東河回村から、海印寺(韓国語読み:ヘインサ)へ向かいます。  バスで約2時間、午後4時過ぎに到着。

 

 

 駐車場から20分弱ほど、紅葉の渓流に沿って歩きです。 

 

 

 伽耶(カヤ)山の山あいに建つ海印寺は、1200年あまりの歴史をもつ古刹。
ユネスコ世界文化遺産に指定された大蔵経板殿と、世界記録遺産の高麗八万大蔵経を保有することで有名。

 

 

 

海印寺は新羅時代の802年に建立されていますが、その後、度々の火災にあって、現在の建物は1820年に再建されたものとか。

この門は解脱門。

 

 

 九光楼

 

 

 

本殿の大寂光殿と三層石塔

 

 

 

 背景の山並みと、寺の建物が調和して美しい。

 

 

 大寂光殿の裏に大蔵経板殿があります。 大蔵経板殿は1490年に建てられ、現存する海印寺の建物では一番古い。

 

 

 

 大蔵経板殿の内部は見れませんが、内部を撮影した看板がありました。

高麗八万大蔵経は81,258枚の版木に法文が刻まれています。 高麗時代の1236年に造成が始まり約15年かかって完成。 蒙古軍の襲来で

高麗全土で掠奪等が行われていた時期です。

 

 

 

大蔵経板殿は、500年を超える風雪に耐え、美しいたたずまいを見せる。

 

 

 

 格子戸の奥に、大蔵経と木架が見えます。 通気性の良さが、良好な保存のポイントだとか。

 

 

 

 

 大蔵経板殿の中央入口。

 

 

 

 入口正面から。(この写真のみモノクロで)

 

 

 

 版木の実物(多分、レプリカと思います)

 

 

 

版木から印刷したもの。 版木から印刷された大蔵経は、室町時代、日本にも持ち込まれており、増上寺と大谷大学には、ほぼ完全に揃った
大蔵経を所蔵している。

 

 

 

日本の 正倉院とは構造が違いますが、宝物を保管する建物の美しさには共通するものを感じます。

 

 

 

 なだらかな稜線も、京都の山並みを思い起こします。

 

 

 

 瓦と建物、背景がマッチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 願かけの札でしょう。

 

 

 

見学を終えました。  時刻は16時55分

 

 

 

 バスを待つ間、近くの小さな池面を撮影。

 

 

 フィルターで加工したもの。

 

 

 

 同じ場所から。

 

 

 

その後、バスで出発して約2時間、全州に到着。 市内のレストランでビビンバとチジミの夕食。

ビビンバは全州が発祥の地とか、写真がピンボケとブレで見づらくてすみません。

 

 

 

ビビンバ、おいしい!  ただ、マッコリは遠慮して、今日はビールで。

 

 

 チジミも具沢山でいけます。

全州で泊まったホテルは、繁華街の真ん中にあり、若者達の驕声が夜遅くまで、響き渡っていました。 

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韓国世界遺産の旅 良洞民俗村、安東河回村

2017年02月07日 | 海外旅行

 2016年10月19日(水)、韓国世界遺産の旅も4日目、この日は

韓国の歴史村として、2010年に登録された 

①良洞民俗村 ②安東河回村 

 そして、1995年に登録された、③海印寺蔵経板殿の3か所を巡ります。

  

 

朝、慶州のホテルをバスで出発、8時10分に良洞民俗村に到着。

しかし、実際に人が住んでいる村で、公開は9時からのため、しばらく、散策することに。 

朝霧がたちこめ、里山の風情がいい感じです。

 

 

 

住人のおばさんと思いますが、お盆を片手に歩いています。 時刻は8時50分。 

 

 

 

良洞民俗村の紹介パンフレットから抜粋。

驪江李氏(ヨガン・イシ)と月城孫氏(ウォルソン・ソンシ)という2つの名家が500年以上共存してきた、同姓集落としては珍しい歴史をもっている良洞民俗村。
54戸の瓦屋敷と110戸の藁ぶき家屋が現存しており、その保存状態や規模、文化財の数と伝統性、自然の美しさから、村全体が、ユネスコ世界遺産に登録された。

良洞民俗村を代表する四つの建物の一つ、香壇。 ここは非公開でした。

 

 

 手入れが行き届いている感じの、住まわれている民家。

 

 

 香壇の土塀の周りを進みます。

 

 

 

下の光景。

 

 

 藁葺きの民家。 秋桜が似合う。

 

 

 

 

 

 ワンちゃんの歓迎。

 

 

 

代表する四つの建物の一つ、観稼亭。 朝鮮時代の大臣のかたが、分家をして暮らしたあずまや。

 

 

 

台所だったかな?

 

 

 

見晴らしの良いところにあります。

 

 

 

 

 

 下の藁葺きの民家。 ピックアップトラックが現代の息吹きを伝える。

 

 

 電柱もテレビアンテナも無いなーと思っていたら、衛星アンテナがありました。 向こうは、香壇の邸宅。

 

 

 

 

 

 

 

土塀の脇に小さな箱。 たぶん、電気などのインフラ設備を収容しているのでしょう。

 

 

 

見学を終えて、バスに向かう途中、良洞村の小学校脇を通りました。

人物像がなかなか面白い。 右端は日本でいえば二宮尊徳像にあたるものでしょう、でも中央と左の像はポップな感じで、ホー。

 

 

 

高速道路のゲート。 10時08分  安東に向かいます。

 

 

 

河回村に着き、駐車場付近の食堂へ。 旅行案内では、名物「塩サバ定食」となっていて、トルコ旅行でのサバの食事に、いい印象を持っていなかった

私は、期待感ゼロでした。

 

 

 

 店のなかにも、あずまや風な造りが。

 

 

 

 これが「塩サバ定食」

 

 

 

スッカラで身をわけて食べる、ん?おいしい!!  サバ嫌いな一人を除いて、ツアー仲間全員がおいしい評価。

調べると、浦項市で水揚げされたさばを2日かけて安東に運び、腐る一歩手前のものに振り塩をして、加工するからなのだそうです。
傷む寸前のさばにはうまみを感じる酵素がよく出るのだとか。

 

 

  

さて、河回村は字の通り、河に囲まれた村。 

 
(看板の左端が切れてすみません。)

 

 

村は、車は乗り入れ禁止になっていて、駐車場からシャトルバスで村の入口に行きます。

村の入口には”チャンスン”と呼ばれる魔除けの木像と石が置かれています。(パンフレットには入郷祖・紀蹟碑と書かれています)

以前、ソウルの歴史民俗博物館でチャンスンを見ましたが、実物を見るのは初めて。 朽ちているのもあり、怖い雰囲気です。

 

 

 

晴天のなか、黄金色の稲穂が美しい。
 

 

 

 

まさに韓国の農村という感じ。

 

 

 

オンドル用の薪でしょうか。

 

 

 

建物は50cmほどの石垣の上に造られています。 河川の氾濫時の備えでしょうか。

 

 

 

大きな犬がこちらを見ていました。

 

 

 

 アップで。 片眼はウィンクではなくて、不自由なのかな。

 

 

 養真堂と呼ばれる建屋、河回村の柳氏の総本家にあたるとか。

 

 

 

 厩で、何か説明があったのですが、忘れました。

 

 

 

 別名、立厳古宅とも呼ばれ、この村で一番古い建物とか。

 

 

 

養真堂の向かいにある忠孝堂

 

 

 

 土塀と赤い花が似合う。

 

 

 

 

 

河沿いの土手に出ました。 

 

 

 民俗遊技場。  ブランコですが、支柱が鳥居に見えて、変な感覚になります。

 

 

 

 

 

 

 

 河の向こうは、「芙蓉台」と呼ばれる岸壁。

 

 

 

土手から見える、里山の景色が美しい。

 

 

 木陰の気持ちいいウォーキング。

 

 

 

 

 

 

 

 村の入口近くです。 これから見学に行く高校生?の団体。 

 

 

 

 

 

 

 観光客が続々と来ています。 確かにここは、韓国の伝統や文化を感じる面白いところです。

 

文化といえば、ユーモラスな仮面をつけて、当時の支配階級を批判する伝統舞踊『河回別神グッタルノリ』も有名ですが

土日しか公演していないため、次回の楽しみとしました。

海印寺は次回に。

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韓国世界遺産の旅  慶州 その1

2017年01月17日 | 海外旅行

韓国世界遺産の旅、いよいよ韓国本土編です。

2016年10月18日(火) 済州国際空港 9:00発の飛行機で、釜山へ、その後バスで慶州という行程。

 

 

 

飛行機から、雲に浮かぶ 漢拏山(はるらさん)が見えました。 前日までの2日間は雲で見えませんでしたが、最後にご挨拶できた。

 

 

雲の形が面白くて撮影。

 

 

釜山に10時に着き、すぐにバスで慶州へ。 慶州に12時少し前に到着。 食堂で名物”サンパプ定食”(葉野菜でご飯や肉を包んで食べる)

ここの料理はキムチをはじめ美味しかった。

 

 

 

で、完食。  マッコリもたのみましたが、またもや、その容器の大きさにギャフン。 残したマッコリがもったいない・・・ 

また、ツアー仲間に、在日韓国人の方がおられ、右上に写っている韓国のお酒を勧められて飲むと、日本の清酒のような味、驚きました。

眞露とマッコリしか知らなかったのですが、うまいお酒があるのですね。

 

 

 さて、慶州は約1000年(紀元前57年~935年)の間、新羅の都だった。 このため、多くの世界遺産が残っていて、日本でいえば、奈良の感じか。

 

 最初に、石窟庵と仏国寺です。 こちらは、1995年に世界遺産に登録されています。 他の慶州の世界遺産は2000年に登録。 

 山の中腹の、空気もすがすがしい道を歩いていくと、石窟庵が見えてきました。  13時35分

 

 

 小さな古墳のような外観。 私はてっきり、岩をくり抜いて石窟にしていると思っていました。

 

 

 

キャプチャです。 751年に創建。(日本の東大寺大仏の開眼供養が752年)

 

 

構造図。 なお、ツアーのガイドは、朴 明淑(パク ミョンス)さんに変わっています。  熱心な説明で、日本語も流暢でした。

 

 

石窟内は撮影禁止でしたので、資料から引用。

 

 

 石窟庵前の広場からみた下界の光景。  東に向いており、朝日が美しいでしょうね。

 

 

 

 

駐車場では、現地のおばさん達の露店。

 

 

 

 漢方薬の素材かな?

 

 

 

 次は仏国寺です。  山門をくぐる母娘。 お母さんの風貌がオノヨーコに似ている。 14時40分。

 

 

 

 

仏国寺の俯瞰図です。

 

仏国寺は、韓国を代表する寺院で、仏国土を現世に再現することを目的として建設されたと言われています。
創建の時期は諸説ありますが、528(法興王15)年に建設されたという記録が『仏国寺古今創記』に出ています。その後、増築、改修を繰り
返しつつ約1000年に渡って繁栄を続けましたが、16世紀末に起こった文禄・慶長の役で大半の建物が焼失。
現在の仏国寺の姿は朝鮮時代後期、また1968年の発掘調査を踏まえて1973年に復元されたもの。

 

日本統治時代の1914年に撮影された仏国寺。(ウィキペディアより引用)

 

 

 

現在の姿です。  国宝の階段、ここでは白雲橋、青雲橋と名付けられ、俗世と仏国土を結ぶ橋の役目とか。

 

 

 

白雲橋、青雲橋は進入禁止なので、右の坂を上がるとこちらに。

 

 

 

国宝の大雄殿、そして二つの石塔も国宝です。

 

 

 

こちらは多宝塔

 

 

 

 大雄殿の拝観口に金髪の可愛い女の子!

 

 

 

 

 

 

 

 踊るような仕草を始めました。

 

 

 可愛いのでカメラで連射です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

可愛いこの子の視線の先に、お母さんがいて、お母さんがする仕草をまねていたのです。  満面の笑みを浮かべるお母さんの横にパパがいて、写真を撮っていました。

 

 

 

 偶然の微笑ましい時を楽しんで、大雄殿をあとにします。

 

 

 

 大雄殿の裏は「無説殿」、法華経、華厳経の講義をする場所とか。

カラフルな提灯が日本では見られない光景。 願文を吊る仕組みです。

 

 

 

 

 

 

 その奥の観音殿へ上る急階段。 ツアーの仲間は高齢の方が多く、大変だったようです。

 

 

 

 紅葉が始まりだした感じです。

 

 

 

観音殿を降りて、毘盧殿へ。

 

 

 

毘盧殿の横に舎利塔。 説明板に、1905年に日本に渡り、1933年に返還されたとあります。

 

 

 

 

石垣の上に石壁、樹々も緑や苔が美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで仏国寺をあとにします。 時間は15時15分。

 

 

 

次は大陵苑です。 7基の王墓を含め、23基の古墳がある。 ほとんどが誰の古墳かハッキリわかっていないとか。
 

 

 

 

 皇南大塚。 双丘状の古墳で、5世紀頃の王と王妃の夫婦の墓とか。 16時丁度。

 

 

 

 天馬塚は唯一内部を見学できる。

 

 

 

 発掘当時の状態を再現したもの。  木棺で、1万2千点の副葬品が出土した。

 

 

 

 

 

 

 

 金冠、レプリカですが本物は慶州国立博物館にあるとか。  この博物館はコースに入ってないのが残念で

将来の楽しみに残します。

 

 

 

右端の金製鳥翼形冠飾、美しいデザインです。

 

 

 

 古墳の断面構造を示す石積み、5mの厚みがあります。

 

 

 ここから紫水晶の店に行く途中の車窓風景。 至る所に古墳があります。

 

 

 

紫水晶の店は、さわりだけ聴いて、店外の景色を撮影。

 

 

 

日本の田園風景とほぼ同じですが、ほんのり違うものも感じます。

 

 

 

 16時35分

 

 

 

 次に移動したのは、かつて新羅の王侯貴族が船を浮かべて遊んだ場所で、雁鴨池(アナッチ)という名前、その昔は月池(ウォルチ)と呼ばれていた。 16時58分

 

 

 

 

 

 雁鴨池が誕生したのは674(文武王14)年のことで、百済、高句麗を滅ぼし、領土を広げる過程で手に入れた多くの財産を費やして建設された。
場所的にはかつて王城のあった半月城(パヌォルソン)の東。現在は3つの建物が復元されているが、あくまでも推測に基づいて建てられたもので
当時の正しい姿はまだよくわかっていないとか。 1970年代に行われた発掘調査によって、だいぶ当時の姿を知ることができましたが、まだまだわ
からないことも多いらしい。 

 

 

 

 この日、最後の見学地は、皇龍寺址。 奥に見える建物は出土した遺物の展示館。 2本の石柱は幡を立てる支柱で、寺院によく見られる。

 

 

 

 

 

 

 

8万㎡の広大な土地に建った寺院だったが、蒙古軍の侵入時に焼失した。

 

 

 

 見学しているときは、バスで移動したので、慶州のどんな位置にいるのかわかりませんでしたが、見た感じではかなり郊外にいると思いましたが

今、地図で確認すると、先ほどの雁鴨池から1kmほどしか離れていないのにはびっくり。

 

 

 

 時刻は17時40分。  夕闇が迫ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

金堂の 巨大な礎石が建物の大きさを偲ばせます。

 

 

 

 645年の九層木塔完成をもって皇龍寺も完工。その後600年間新羅最高の国家寺院として存在していましたが、1238年に蒙古軍の侵攻によって焼失。

 

 

 

 17時45分、木塔礎石跡を最後に夕食に

 

 

 

 夕食は骨付きカルビ1.5人前だったのですが、写真を撮り忘れるほどおいしかったのでしょう、食後の食堂外観の写真しかありません。

 今宵のホテルは、コモドホテル慶州。 

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韓国世界遺産の旅 済州島 その4 城邑民俗村、城山日出峰

2016年12月31日 | 海外旅行

次は、城邑民俗村に移動。 観光前に腹ごしらえで、済州名物 海鮮トゥッペギ(味噌鍋)。  

カニ、海老など、身が少なく食べるのが面倒だし、だしをの利いた日本の鍋に慣れている私の舌には、味が単純。

と朝に続いて期待外れ。  

 

 

 

 チジミはまーまー。

 

 

 

驚いたのは、マッコリ。 ソウルでは、ビンでだされていましたが、ここでは、この大きなどんぶりで出されました。 

これが普通とのこと。 味は新鮮で、発泡と適度の酸味、甘さ、風味があり、今まで飲んだマッコリのなかで最高でした。

自家製のようです。 でも、量が多すぎ。 ツアー仲間にも飲んでもらいました。 

 

 

 

 

 店の雰囲気。 

 

 

 さて、民俗村、前日、博物館で予習した茅葺屋根です。

入口の石像トルハルバンの直訳は石の爺さんの意味です。

Webからの引用:済州島の守り神。石のおじいさんという意味。
 石像の由来には諸説があるが、その一説は風水学と関係する。
 済州島にそびえる漢拏山には女の気が強いため、霊能者が男を
 象徴する石像を建てたというものだ。
 最初に建てた56基のうち、49基は現存するという。
 トルハルバンの特徴は、男性の象徴を表す帽子をかぶり、大きな
 目鼻にお釈迦様の口。腕は右が上だと文官、左が上だと武官を
 表す。鼻に触れると男の子を宿すという言い伝えも。

 

 

 

 

 石臼と揺り篭(右側)、水瓶をのせる背負子

 

 

 

 豚の飼育場所兼人間のトイレ。 人の糞尿を餌にしていたそうだ。 子供の頃の思い出だが、日本でも、農家の人は肥しを畑にまいていた。

 

 

 

ここは、実際に人が生活している村で、この写真の家などがそう。

手が見えますが、この村のガイドの方で、中年のおばさんですが、流ちょうな日本語で、ユーモアたっぷりに説明。

 

 

 

 典型的な家屋。

 

 

 

 昔の済州島では、一夫多妻制で、男は働かず、女性が働き手だったなど、同じ話をトルコでも聞いたのを思い出した。

 

 

 

 最後は、茅葺屋根にできる冬虫夏草や、済州島の馬の油から作ったクリームなど、特産医薬品や化粧品の説明が始まった。

見事な口上は、それだけで済州島の女性が、いかに強いかわかった。 

女房用に、済州島の女性の爪の垢を売ってほしい! (よく働く気性成分のみ)

   

 

 

 次は、城山日出峰。時刻は、14時半。 少し暑いくらいの気温。

 

 

 ここは、航空写真がわかりやすいので、Webから引用。

 

 

 

想像していたよりも大きい。

 

 

 

30分弱で登れるのですが、暑さもあり、汗が大変でした。

 

 

 

 

途中、左手に島が見えます。 牛が寝ているような形なので、牛島 と名付けられています。

 

 

 

階段の途中で振り返り。 皆さん、休み休み登っています。

 

 

 

 

 登り切ったところが眺望台。 火口周辺部がサメの歯状になって、確かに城壁のように見えます。 

 

 

 

 日の出の眺望が素晴らしいらしく、名前の由来にもなっています。

 

 

 

 済州島側も美しい。

 

 

 

 

 若い人が多かったのは、登るのが結構、大変だからかな。

 

 

 

 海の青が美しい。

 

 

 

 女高生?たちのパフォーマンス。

 

 

 

 登山道を上から見ると。

 

 

 

 

 

 

 

 降りてきました。

 

 

 

下の岩場に人がいるのが見えましたが、海女さんとは気づかず、下まで降りるのはやめました。

わかっていれば、降りて写真を撮ったのに!

 

 

 

で、城山日出峰は終了。 15時半。

 

 

 

夕食は、済州名物 黒豚サムギョプサル。 18時頃

 

 

 

 民俗村の豚の飼い場は忘れて、焼き上がりを待ちます。

 

 

 

 この豚肉をハサミで切って食べるのですが、ほとんど店のスタッフがしてくれました。

味の印象は、特別にうまいこともない・・・朝から辛口の評価です。 キムチはうまかった。

 

 

 「済州ヌルボム」という地元の名店らしく、2階まで席がある大型店。

 

 

 

 最後が龍頭岩。 名前の通りの岩ですが、暗くてよくわかりません。

 

 済州島の観光は、これで終わり。

現地ガイドのOさんは、30代半ばの女性で、済州大学をでて、日本の新宿に一時住んで言語を学んだとのこと。

でも、話す日本語には特有の癖を感じました。  外国語を話すというのはやはり、難しいことですね。

で、彼女にも済州島の女性の強さを感じました。 バスの中で、彼女の二人の娘や、旦那の話をしてくれたのですが

若い頃、ソウルに住んでいた恋人が二股をかけていたので、自分から別れて今の旦那と結婚。 旦那は優しくて、娘の

世話もしてくれているが、もし、浮気なんかしたら、こっちも浮気し返すんだ!と。

観光も楽しいのですが、現地ガイドのこういった世間話も実に楽しい。

済州島のミカンを、その後ソウルに行った女房が土産で持ってきたのですが、甘いのにミカンらしい味もありグッド。

もう一度、行きたい済州島でした。

さて、今日は大晦日。 皆さん良いお年を!

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韓国世界遺産の旅 済州島 その3 万丈窟、サングムプリ噴火口

2016年12月29日 | 海外旅行

10月17日(月)韓国世界遺産の旅、済州島からスタートです。

「済州 火山島と溶岩洞窟」という名称で韓国初の世界自然遺産に指定されたのは次の三つのエリア。

①漢拏山天然保護区域

②コムンオルム(拒文岳)溶岩洞窟系 

③城山日出峰

天気は晴れたのですが、漢拏山は雲がかかって見えません。

また、コムンオルム(拒文岳)は、10月5日に済州島に上陸した台風18号の影響で立ち入り不可

このため、拒文岳の代わりに、サングムプリ噴火口の観光となりました。

行程は、万丈窟→サングムプリ噴火口→城邑民俗村→城山日出峰→トッケビ道路→夕食→龍頭岩

 

 

まずは腹ごしらえ、済州市内のレストランで、アワビのお粥。(8時10分) アワビも小さくて少ないし、味は?だったのですが

隣の座敷席では、おじいちゃんから孫まで、地元の方が一家総出で食卓を囲んでおり、アワビのお粥がご馳走のようでした。

 

 

 

それからバスに乗って約40分、最初の目的地の溶岩洞窟、万丈窟です。(9時20分頃)

溶岩洞窟の天井が陥没したところが入口、

 

 

 

 

コムンオルム(拒文岳)溶岩洞窟系の最大の溶岩洞窟。 下の写真の赤い部分が公開されている区間で約1km

 

 

 

中に入ると、トンネルそのもの。 コムンオルム(拒文岳)から流れ出た溶岩が、海岸まで下り落ちるパイプラインの役目を果たした。

日本にも富士山に幾つか溶岩洞窟らしきものがありますが、規模が全く違いますね。 いろんな条件が重ならないと、できないようです。

 

 

 

溶岩の流れた跡が、潮位のように残っている。

  

 

 

 

鉄ビシのような溶岩鍾乳

 

 

 

 

広い空間にでました。 スローシャッターなので、少しブレています。

 

 

 

狭い空間

 

 

 

 落盤の跡が残っており、背筋が少しひんやり。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い色の岩石も。 鉄分の関係かな。

 

 

 

済州島の形をした溶岩標石

  

 

 

 

全長1kmあるのですが、私は最後まで行かず、途中で引き返しました。 後で調べると、一番奥に、高さ7mほどの溶岩石柱があるとのこと。

事前に調べてなかったので、後の祭りです。

 

 

 

出入り口に戻りました。

 

 

地表の樹木は、原野だった昔の面影を残しているのでしょう。 ガイドさんの説明によると

”万丈窟が広く世に知られるようになったのは1947年、当時近くの小学校の教師だった方が、教え子で構成される
「ちびっこ探検隊」と一緒に洞窟内の探検に成功してからとのこと。
万丈窟の入口がある場所は、村人はそこに洞窟があるということは知りつつも、周辺がジャングルも同様で見捨て
られたかのような土地だったため、あまり関心がなかったといいます。”

 

 

 

 

洞窟の上の景色。 大昔、ここを溶岩が流れていったのだ。 うねった大地と大量の岩石がその証だろうか。

 

 

 

さて、ここの観光案内板に載っていた写真、中央のクレーターが、次に行くサングムプリ噴火口のようです。

 

 

 

バス移動で、サングムプリ噴火口に来ました。  すすき野が美しい。(11時10分頃)

 

 

 

噴火口となっていますが、陥没した跡のようにも見えます。

 

 

ゴルフ場のグリーンも見えます。 韓国本土からのゴルフ客も多く、済州空港ではゴルフバッグを担いだ中年男性が結構いました。

 

 

 

火口を一周する散策路には、月曜日なのに観光客が多い。

 

 

 

雲がなければ、ハルラ山が見えるのですが。

 

 

 

美しいススキの向こうの山々は、側火山(オルム)と呼ばれる火山の名残り。

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韓国世界遺産の旅 済州島 その2

2016年12月18日 | 海外旅行

 済州島民俗自然史博物館です。

 時刻は、15時51分、日曜日のせいか、結構お客さんがいました。 

 

 

 

入口に大きな看板・・・・新世界七不思議自然版なんて書いてあり、済州島がその一つとなっている。

新世界七不思議なんて、聞いたことない・・・このブログ記事を書くにあたり調べたところ、いかがわしい財団が、有料の電話投票など、詐欺まがいの手段で

選定したもので、ユネスコも批判しているもの。 ところが、韓国では国をあげて済州島が選定されるよう運動した経緯があり、この看板もその名残でしょう。

済州火山島と溶岩洞窟は、2007年に認定された立派な世界自然遺産、怪しげな新世界七不思議は、無いほうが良いと思うな。

 

 

 

 世界遺産の城山日出峰の説明板。 海に浮かぶ巨大な石臼のようだ。

 

 

済州島の海女さん達。 海女さんがいるとは知らなかったのですが、ツアーの済州島現地ガイドの女性も言ってましたが、済州島の女性は生活力が

旺盛とのこと。 

 

 

 

溶岩洞窟を模したトンネル。 翌日、本物を見ました。

 

 

 

韓国のその他の火山。 白頭山が火山だとは知っていましたが、鬱陵島なども火山だったんだ。  大昔、日本海は凄まじい火山活動があったと

東京国立科学博物館の展示にあったのを思い出した。

 

 

 

 

済州島は今から約120万年~73万年前、70万年~41万年前、30万年~20万年前、20万年~2万5千年前の4段階の火山活動により
形成され、寄生火山が368個もある。 

 

 

 漢拏山(はるらさん)の地形模型と写真。

 

 

 

 奇妙な形をした溶岩。 済州島の石は許可なく持ち出しは禁止だとか。 

 

 

 

 ゴジラですね。

 

 

 動植物のコーナ

 

 

 

 

 

次は、済州島の民俗です。

日本も一昔前は、いろんな風俗行事が盛んでしたが、最近は少なくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水道が普及するまでは、水汲みで大変だったんだ。 溶岩の島では、井戸は難しい。

 

 

 

 

往時の写真、水汲みは、少女の仕事だったのかな。

 

 

 

 

 

 

 

産神に祈る風習は日本でも同じですね。 ただ、男子を尊ぶのは、日本よりも韓国のほうが強い感じです。

 

 

 

 

ゆりかご。 翌日訪れた城邑民俗村で、実物をみることになります。

 

 

 

 

 

子供の遊具

 

 

 

結婚式

 

 

 

 

儒教の習わしが強い韓国では、父母の還暦祝いが盛大。  ソウルの民俗博物館で見たときは、山と積まれたお膳が印象的でした。

 

 

 

 

葬礼

 

 

 

 

 葬礼の女性人形が、妙に艶めかしいのでアップで撮ってみました。

 

 

 

済州島の伝統的な民家。  ソウルの民俗博物館でも、かやぶきの民家は見ましたが、壁が漆喰で、石を使った済州島と違うところ。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生き人形のように表情がリアルです。

 

 

トルコに行ったときもそうでしたが、農村の女性は働き者なんですね。

 

 

 

 

食べ物です。  水田は無理だったので、米以外の雑穀類が主食。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真の説明が探せなくて、よくわからないのですが、街々を回る、芸人か、キリスト教の伝道師か?

 

 

 

 

写真下にある楽器と馬具。

 

 

 

 

 

 

 

漁をした帆船

 

 

 

海女さん達

 

 

 

 

 

 

 

 

 

農作業のコーナ

 

 

 

 

 

 

 

 

中庭に並べられた石臼など

 

 

 馬を使った石臼。 翌日行った城邑民俗村には実物があって、前後2頭の馬に引かせたとか。 馬がさぼってきたら、前の馬を雌に変えると、途端に元気を出したとのこと。

  

 

 

 

甕と民族服が最後の展示。

 

 

 

館外のあちこちに溶岩の置物がありました。  

 

 

 

 

民族自然史博物館をでて、ホテルへ帰る道すがら、ペットショップに可愛いポメラニアンがいました。

 

 

 

 

ホテルへ帰って、しばらくすると夜のとばりが降りてきました。

 

 

 

ホテルのカフェレストランで、一人夕食。 肉鍋定食みたいなもので、千円ぐらいだったかな。時刻は19時半頃。

歩数計は約1万4千歩を示していました。 今回のツアーでは、1週間でトータル10万歩強歩くことになりました。

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韓国世界遺産の旅 済州島 その1

2016年12月07日 | 海外旅行

『韓国世界遺産まるごと7日間』ツアー 2016年10月26日(日)~22日(土)

に1名参加で行ってきました。 

美術や民俗が好きで、韓国の歴史遺産と民俗への興味が募っていたのが参加理由です。

今年4月から、ハングル教室に通いだしたのも、情熱の一如なのですが、その成果は?

…3年早い バシッ!

 

成田09:45分発 済州島行きの直行便で、スムースに12:15分、済州国際空港に到着。

ホテルに直行し、午後のフリー時間をどうするか検討。(事前の天気予報では雨だった

ため、行動計画は立てませんでしたが、着陸した頃に雨は止みました。)

泊まったのはアスターホテルといい、新しくていい感じのホテル。  13時25分頃撮影

 

 

 

部屋から市街を撮影。 こちらは済州市の旧市街と呼ばれるエリア。(外出から帰着後、17時25分頃撮影)

 

 

 

世界遺産を巡る旅は、明日からで、名古屋からのツアー客が夜に到着する関係で、成田組は午後はフリーなのでした。

で、地図を見て、済州島民俗自然史博物館、NANTA劇場に、文芸会館経由で歩いて行くことにしました。

 

 

 

楽しいタウンウォッチングをしながら文芸会館に。(写真はピンボケなので小さく掲載)

 

 

 

文芸会館ロビーにあった予告ポスターや観光写真。

 

 

 

通りに面した場所の案内看板。 ハングルばかりでなく漢字も混じっていました。

異国情鴛って、古そうな映画だ! 何となく日本映画の雰囲気も感じる…

調べてみると、1958年香港・韓国の合作映画で、3人の監督のうち一人は日本人・若杉光夫(映画「羅生門」で黒澤明監督の助監督だった)なんですね。

 

 

 

文芸会館第一展示室では、韓国・中国の写真同人の合同展。

 

 

 

受付は無人でしたが、中には地元の写真会員らしき方5、6人が談笑中。 

作品を撮影しても良いか聞きたかったのですが、未熟なハングル学習者は、お手上げでした。

それでも1枚、撮影したのが下の写真。  明日行く予定の世界遺産「城山日出峰」の遠景。 冬の朝霧で幻想的です。

 

 

 

文芸会館裏の公園にある彫刻作品。

 

 

 

公園内にあるNANTA劇場の前は、露天が並んでいました。 昼食がまだだったので、お腹はペコペコ。

左端の奥さんが持っている串ポテトのお菓子が気になります。 ちょっと前にすれ違った中学生ぐらいの

女の子が、この串ポテトをおいしそうに食べていました。

 

 

 

焼きソーセージ、そして中央右に串ポテト。 名前はTwist Potatoだ。

 

 

 

ツイストポテト、私も一本、買いました。 パウダーソースは四つの味から、左端が玉ねぎ、その右がチーズ・・・・

 

 

 

NANTA劇場は、17時開演で今は閑散としています。  NANTAって? ポスターにあるように料理をモチーフにしたセリフのないパフォーマンス劇

で、1997年から、ロングランとなっているとか! ソウルに2か所、ここ済州島に1か所の専用劇場があります。 私もまだ見てないのですが、

この日は、ホテルで添乗員との挨拶もあるので、パスしました。

 

 

 

さて、ツイストポテトを賞味。 ポテトではなく、サツマイモの味ですこぶるうまい!

 

 

 

 

 

露店が出ていたのは、子供向けのイベントがあったためか。

 

 

芝居小屋のようなテントなども

 

 

公園内の窪地。 溶岩の大地なので、岩がごろごろ。

 

 

露店の横を通って、大通りに戻ります。

 

 

通りの歩道に馬の彫刻。

済州島は馬が有名とか。 

由来:元が高麗を征服すると、フビライ(モンゴル帝国の第5代皇帝)が日本侵攻に備え、済州島で軍用馬の生産を始め、1276年に約160頭のモンゴル系の馬が

飼育の専門家と共に済州島に入り、土着の馬との交配が進められた。 済州馬は別名チョランマルといい、果樹(チョラン)の下を通り抜けられるほど体が小さい

馬(マル)という意味で、語源はモンゴル語に由来すると言われている。 

 

次に行ったのは、済州島民俗自然史博物館、済州島巡りのいい予習になったのですが、詳しくは次回に。

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ベトナム ダナンにて #9 雨のダナン

2015年08月12日 | 海外旅行

10時前、チャム彫刻博物館を出たところ。 ポツリ、ポツリと雨が降ってきました。

 

 

ドラゴンブリッジのたもとから、河口方面。  本降りです。

 

 

 

ドラゴン橋では仮面ライダーが疾走していきます。

 

 

 

10時7分、チャム彫刻博物館前の交差点で。  女性もポンチョを着ていますが、足元なんかずぶ濡れですね。

 

 

その交差点を、シクロ(人力タクシー)に荷物を積んだおじさんが、ゆっくりと通り抜けます。

 

 

 

河では、小舟が漁をしていました。

 

 

向こうの歩道では、シクロ(人力車)を手で押してます。客が二人乗って、勾配があるので漕ぐのは無理ですね。

 

 

 

雨は続いています。

 

 

傘はさしていたのですが、撮影などで濡れたので、カフェで休憩。 ここでベトナムコーヒーを初めて飲んだのですが、深煎りでミルクなどが入っており

甘ったるい感じ。  そうこうしているうちに雨が止みホテルへ戻ることに。

 

 

 

ホテル内のショップなどを散策。  芝生の手入れをするホテル従業員。 仕事ぶりが真面目です。

 

 

雨上がりで花の水滴が、涼しくしてくれます。

 

 

 

こちらの芝生も早朝から手入れが続いています・・・勤勉!  AM11時半。

 

 

昼食はダナン市内のマダム ランで。 PM2時

 

 

エアコンはなく、扇風機だけでしたが、雨上がりで風通しも良い店内でした。

 

 

料理はおいしいのですが、油料理の多さにおなかは戦意高揚とは行きません。

 

 

 

ベトナム生春巻きを撒いてもらっています。 こんなに食べて料金は2千円しなかったと思います。

 

 こうして、5日間のベトナムの旅も無事終わりました。  暑いけど、いいところですね。 逞しいベトナムの人たちの活気が素晴らしい。 

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ベトナム ダナンにて #8 ベトナム風物詩写真

2015年08月10日 | 海外旅行

チャム彫刻博物館に展示されていたベトナムの風物詩写真パネルを紹介します。

ベトナムの自然文化遺産の2014年写真賞の受賞作品です。  日本のCANONが協賛していますね。

 

 

日本の棚田は、山の頂まではなかったと思いますが、まるで円形古墳のようだ。 頂きの水は?と見ると、竹筒の水道橋が架かってます。

 

 

こちらは、ニンビンの川下り。

 

 

桂林のような眺望。  ハノイの近くとのこと。

 

 

岩山に囲まれた村の朝?炊事の煙だろうか、生活感が感じられて面白い。

 

 

棚田の耕し、水牛に引かせているんですね。  確かにトラクターでは難しい。

 

 

 

メコンデルタの細い丸木橋。  犬もお供だし、後ろの奥さんの担ぐアヒルは、飼っているもので生きていますね。 いい写真だ。

 

 

孫が可愛いのは世界共通です。

 

 

春雨じゃ、濡れていこう・・・なんて粋な世界ではなく、生活感と季節感がすがすがしい写真。

 

 

メコンデルタの観光小舟でしょうか。

 

 

ベトナムの祭り、日本にも同じような祭がありますね。

 

 

 

ハノイ近郊の農村風景ですが、急速に近代化するベトナムにいつまで残るでしょうか。

 

 

メコンデルタでの水牛レース。

 

 

 

闘牛も

 

 

 

先にホイアン夜景で紹介した、洪水風景。

 

 

魚醤。 こちらの食事では、まだ味わっていない。

 

 

竹かご作り。  熱加工しているので、煙が充満しているようですが、光の当たるところしか、煙は見えないんだ。

 

 

 灯篭流しはベトナムでも行われています。

 

以上、チャム彫刻博物館での写真パネル展示、普通の観光旅行では見れない風物詩でした。 

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ベトナム ダナンにて #6 世界遺産ホイアンの夜

2015年08月07日 | 海外旅行

夜、再訪のホイアンです。  19時45分頃

ここは、通りの端にあたるので人通りは、多くありません。

 

 

中心部に近づくとこんな感じです。

 

 

来遠橋(日本橋)もライトアップされていました。

 

 

トウポン河にかかる橋もイルミネーションで飾られています。

 

 

橋を渡ったところに、夜市があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

揚げ物の屋台は結構人気。

 

 

対岸から見たバクダン通り人出が凄いのがわかります。  平日の夜です。 8時10分頃

 

 

バクダン通りを歩くと、ポメラニアン。 この店の飼い犬のようです。

また、道路と店の床面に段差があるのがわかります。  洪水対策だと思います。

 

 

洪水時の写真が、ダナンのチャム彫刻博物館に展示されていましたので紹介しておきます。

 

 

 

カフェレストランは、西洋人のお客で満杯。

 

 

 

 

 外人客と店の壁にある石仏、不思議な調和

 

 

 宝石店、内部の床階段が高いですね。

 

 

 刺青屋さん

 

 

 ウーン、一杯飲みたい気分ですが、タクシーを待たせているのでこの辺で帰途に。 ホイアンはエアコンのない街でした。室外機などがあると風景が壊れますよね、

 

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