光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京富士美術館 印象派  モネからアメリカへ / ウースター美術展所蔵 を観て

2024年11月10日 | アート 絵画

東京富士美術館での鑑賞シリーズ、ラストは企画展

”印象派 モネからアメリカへ / ウースター美術展所蔵”

巡回展です。今年の1/27~4/7に、東京都美術館で開催されました。

都美術館のときは、気が乗らなくてパス。

東京富士美術館での開催は、インドネシア大使館の美術展などもあって鑑賞。

 

ポスター の 二つのメインヴィジュアルは

 ・モネの《睡蓮》

 ・米国のチャイルド・ハッサムの《花摘み、フランス式庭園にて》

 

 

ウスター美術館は、初耳だった。 その概要です。

 

 

展示室に入ると、クロード・モネ《睡 蓮》の拡大映像が小部屋一面に。

抽象画として、いい感じ。

 

 

 

ジュリアン デュプレの《干し草作り》

その場にいるような臨場感を感じます。

キャプションは、皮肉っぽい表現ですね。 理想化したからダメ?

 

 

 

拡大。 

 

 

 

 

猫の、この可愛さ。 でも、女性の表情には、愛でている感じがイマイチ。

それが、リアルでいいのかな。

 

 

 

 

印象派らしい作品が続きます。

 

 

 

 

 

 

 

モネの《睡蓮》。 実際の作品の印象は、もっと眠たい色彩でした。

写真加工で、ほ色味やクッキリ感を調整しました。

 

 

 

 

ホイッスラー展を、10年前に横浜美術館で観ました。  その時の印象は?でしたが

こちらの習作は、気に入っています。

 

 

 

 

全体は、好みなんです。  細かいところですが、女性のイヤリングが気になる。

 

 

 

 

セザンヌは好きな画家。

 

 

 

 

以上で紹介は終わりです。

ワンコ”ニキ”は、変調が出てきていますが、食欲などは大丈夫です。

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ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面を観て

2024年08月08日 | アート 絵画

国立西洋美術館、ゴヤの版画《戦争の惨禍》のレビューです。

2024年5月15日(水)に鑑賞したのですが、遅すぎるアップでスミマセン。

 

メインヴィジュアルと“はじめに”

ゴヤの生前には公開されなかった版画集・・・ゴヤは首席宮廷画家でしたが、政治的には自由主義派で、仏軍が撤退した後、復活した王政

から、弾圧されかねない立場だった。 特に、リベラルな表現がある、この版画集を発行することは、危険なことだった。

 

 

作品撮影はOKでした。 全場面を撮影していますが、その中から、解説付きのものを

中心に選びました。 場面状況が、分かりづらいためです。

なお、凄惨な場面が多いので、あらかじめ、お断りをしておきます。

 

では早速、第1番

この場面は、最初、カットするつもりだったのですが、背景の黒く、激しい線描を見ていると

魔物や魑魅魍魎に見えてきて、善性と、闇、魔性を表現していると感じ、載せることに。

 

 

2番、3番

制服の仏軍兵に対し、スペインの民衆は、敗残兵と下級聖職者、農民によって組まれた小部隊で

フランス軍占領地域で、ゲリラ活動を活発化させ、フランス軍を悩ませた。

ゲリラとは、スペイン語で、このスペイン独立戦争の中で生まれた言葉だった。

仏軍兵はゲリラを正規兵とは扱わなかったので、捕らえると賊徒として処刑したので

さらに報復的虐殺を生んだ。

 

戦争時の、女性への暴力を描いた場面

 

 

 

 

 

 

 

 

処刑場面  ピンボケしてます。スミマセン

15番 もう助かる道はない   1810-14年頃(1863年)  
15, And Nothing Can Be Done

 

 

26番 見るに堪えない 1810-14年頃(1863年) 
26, One Cannot Look 

 

 

凄惨な場面

30番 戦争の惨害   1810-14年頃(1863年)   
30, Havoc of War 

 

 

 

 

マドリードを襲った飢饉(1811‐1812の冬)の場面

48番 あまりにもむごい! 1812-14年頃(1863年) 
48, Cruel, Pitiful Sight

 

 

50番 可哀そうなお母さん! 1812-14年頃(1863年) 
50, Unhappy Mother!

 

 

 

55番 物乞いは最低だ     1812-14年頃(1863年) 
55, The Worst Is to Beg

 

 

 

 

 

 

 

強調されたカプリチョスの場面

※「カプリチョス」は気まぐれ、戯れ、奇想などを意味しますが、ゴヤは、迷信、偽善、欲望などを

 含んで用いた。

65番 これは何の騒ぎだ      1814-15年頃(1863年)  
65, What Tumult Is This?

 

 

 

71番 大衆の利益に反して  1814-15年頃(1863年) 
71, Against the Common Good

 

 

 

 

77番 綱が切れるぞ 1814-15年頃(1863年) 
77, The Rope Is Breaking

 

 

 

 

 

79番 真理は死んだ   1814-15年頃(1863年) 
79, Truth Has Died

 

80番 彼女は蘇るだろうか?    1814-15年頃(1863年) 
 80, Will She Be Resurrected?


   対する批判として解釈されるべきでしょう。

 

 

81番 残忍な動物!     1814-15年頃(1959年) 
81, Fiace Monster!

 

82番 これが真理だ 1814-15年頃(1959年) 
82, This Is the Truth

1820年から1823年まで実現したスペイン立憲革命ですが、フランスのルイ18世がブルボン系のスペイン王

を守るため介入し、フランス軍を派遣し挫折した。

ゴヤは、当時のスペインの自由主義者弾圧を避けて1824年、78歳の時にフランスに亡命し、

ボルドーに居を構え、1828年、82年の波乱に満ちた生涯を閉じた。

 

さて、本展覧会は終了していますが、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で下記展覧会があります

ので、お知らせします。

ゴヤ版画  『気まぐれ』『戦争の惨禍』  展

会期は、『気まぐれ』8/10~9/8  『戦争の惨禍』9/10~10/20   です。

 

なお、過去のブログですが、2014年に鑑賞した、ゴヤの版画展(国立西洋美術館)も参考までに

「私は見た:フランシスコ・デ・ゴヤの版画における夢と現実」その1

「私は見た:フランシスコ・デ・ゴヤの版画における夢と現実」その2

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「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展を見て #2

2023年08月04日 | アート 絵画

Section 4 日本における抽象絵画の萌芽と展開

日本の動向も、分かりやすく展示していました。  

左端は萬鉄五郎《もたれて立つ人》1917年、右端は岡本太郎の《赤い兎》1949年


                                                                                                                                                                                                恩地孝四郎 1891–1955   抒情『あかるい時』 1915年
                                                                                                                                                                                   木版(多色)・紙    13.5×10.0    東京国立近代美術館蔵  

 

 

古賀春江の水彩、いいなー

 

 

 

Section 5 熱い抽象と叙情的抽象

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザオ・ウーキー(趙無極)

 作家の名前は憶えがあるのですが、詳しく知らなかったザオ・ウーキー、ウィキを読むと、中国の富裕な家庭に

育ったザオ・ウーキー(1920年、北京生れ)は、1948年、パリに移り住み、中国の水墨画の伝統に根ざし、東洋と

西洋の美意識が融合する叙情的な抽象絵画を多く発表した。とある。 

確かに、水墨画のイメージもあり、幽冥な雰囲気、いいですね。 

 

 

 

 

 

 

 

5階
ジョルジュ・マチュー1921–2012   《10番街》 1957年  油彩・カンヴァス
183.0×122.0   石橋財団アーティゾン美術館 新収蔵作品

 

6階から5階に降ります。 エスカレータから。

中央に小さく写るピクトグラム、サインも美術館オリジナルを開発したようです。

 

壁に写るコレクション画像のディスプレイ。

 

5階展示ロビー

 

 

 

 

 

隣(八重洲側)で、ビル建設中。

 

展示ロビーに置かれたマイヨールの作品。 ドキドキしたのか、ブレちゃいました。

 

 

デジタルサイネージで見やすい展示室ロビーの壁。

 

Section 6 トランス・アトランティック―ピエール・マティスとその周辺

ブレ続けています。

 

ジョアン・ミロ 1893–1983  《 絵画》1933年 油彩・カンヴァス 129.9×161.9  個人蔵

戦後のミロの絵画を特徴づける誌的な抒情性を盛った作品である。 様々な色彩の層を繊細な筆触により重
ねた地に、黒、白、緑、青、赤と原色を交えた色面と、大胆な
筆触で画面は構成されている。
ミロが初めてニューヨークで抽象表現主義の作家たちの作品を見たのは1947年のことであったが、これと同
時期にポロックやデ・クーニング、そしてコールダ―とい
った作家たちもミロの存在を知るようになった。
それには、ピエール・マティスが大きくかかわっている。   この作品は、ミロが
還暦を迎える1953年に、
ピエール・マティス画廊の「ミロの近代絵画展」に出品された。

     ↑キャプション撮影もブレたため、泣く泣く手打ち。

 

Section 7 抽象表現主義

いよいよ、アメリカ絵画が、アートの中心に躍り出ることに。

 

 

 


ウィレム・デ・クーニング 1904–1997 《リーグ》 1964年  油彩・板に貼られた新聞紙  76.5×58.7
 石橋財団アーティゾン美術館 新収蔵作品

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘレン・フランケンサーラ―、以前、松本路子の「女性アーティストの肖像」で、紹介した一人でしたが

その作品は、見たことがなく、今回、初めて拝見。  でも、好みではないな。

 

 

 

 

 

ながくなりました。8章以降は次回に

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「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展を見て #1

2023年07月09日 | アート 絵画

6月27日(火)午前中に「ABSTRACTION  抽象絵画の覚醒と展開」展(アーティゾン美術館)に行ってきました。

ブリヂストン美術館から建て替え後(コロナ禍直前の2020年1月オープン)、初めての訪問。

 

6階の展示入口です。 海外の方が結構いました。

 

Section 1 抽象芸術の源泉 Origins of Abstract Art

抽象絵画といえば、中学校の美術教科書で見た、カンディンスキーやモンドリアン

などの絵がイメージにあります。 でも、それは突如、誕生したわけではなく、

セザンヌの絵画理論にその源泉があったと・・・

 

セザンヌの「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」

源泉とかに関係なく、セザンヌの絵は好きです。

 

 

 

 

エドゥアール・マネ の「 オペラ座の仮装舞踏会」

これ、マネ、?!と思った作品。

 

 

 

フィンセント・ファン・ゴッホ 「 モンマルトルの風車」

これもゴッホとはわからなかった。 

 

 

 

 

ポール・ゴーガン 「乾草」

ゴーガンらしい作品。

 

 

 

 

クロード・モネ 「 黄昏、ヴェネツィア」

 

 

Section 2 フォーヴィスムとキュビスム Fauvism and Cubism

 

 

 

 

アンリ・マティス「 画室の裸婦」

都美術館で開催中の「マティス展」も見ました。 うーん、唸るばかり。

 

 

 

アンリ・マティス 「 コリウール」

この作品がマイベスト。 24.5×32.4cmの小さな作品

 

 

 

 アンドレ・ドラン 「 女の頭部」

 

 

 

 

ジョアン・ミロ 「シウラナの教会」

 

 

パブロ・ピカソ
「 ブルゴーニュのマール瓶、グラス、新聞」  

 

 

Section 3 抽象絵画の覚醒―オルフィスム、未来派、青騎士、バウハウス、デ・ステイル、アプストラクシオン=クレアシオン

 

メインヴィジュアルとなった フランティセック・クプカ 「 赤い背景のエチュード」

色が強烈。 アーティゾン美術館は、以前は印象派の絵画作品が充実していたが、最近は

抽象絵画の収集に力を入れている・・・だからこの企画展なんだ。

 

 

ロベール・ドローネー 「 街の窓」

 

 

コンスタンティン・ブランクーシ
「接吻」

 

 

オーギュスト・エルバン 「コンポジション、抽象」

 

 

 

ピート・モンドリアン 「 砂丘」


 

 

モンドリアンといえばコンポジション。

もちろん展示されていましたが、撮影禁止でしたので、Webから引用させていただきます。

これもよかった。

 

 

 

ジョージア・オキーフ 「オータム・リーフII」

 

長くなったので、ここで切って、Section 4~12は次回以降に。

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たちかわアートギャラリー展、立川女子高等学校美術部展

2023年05月30日 | アート 絵画

地元、立川のアート展に、5月24日(水)初めて行ってみました。 

「たちかわアートギャラリー展」

主催:公益財団法人立川市地域文化振興財団

期間:令和5年5月20日(土)~28日(日) 

「描く喜び、観る楽しみ」をテーマとし応募作品はすべて展示する市民のための絵画展

1994年に第1回が開催され、今年で29回目だとか。

総数172点の中から、印象に残った作品を紹介。 

さっそく、作品を

 

下田 誠四郎 <アトリエに立つ>  水彩 F30号

水彩の渋い色合いと、奥様?が着ているTシャツの絵柄が面白い。

 

その絵柄の拡大。 モダンな図柄が、アトリエと反応して妙にシュール。

アトリエ内に、描きかけの絵があると、さらに空想が膨らむ気がする。

 

 

 

 

五十嵐 卯三郎  <酒場の女>  油彩F10号

女性の顔貌がいい。

 

 

山本 眞一  <見つめる裸婦>  アクリルF6号

表情に惹きつけられるし、ラフな筆致も面白い

 

 

菅原 高弘  <コロナ禍における食事風景> 油彩F30号

この作品もどこかシュール・・・母娘の視線、病院のようなタイル壁

 

 

以上、4作品を採り上げてみました。

応募数は172点あり、大賞以下計7点の入賞者がいましたが、採り上げた4点は

入賞していません。 (私の鑑賞眼がいかに偏っているか・・・)

来期は私も応募しようかな。

 

さて、会場となった”たましんRISURUホール”では、立川女子高等学校美術部展も開かれていました。

 

 

 

気に入った作品

 

萌え系の作品とは、一味違うものを感じます。

 

たましんRISURUホールの外観。 市民会館の命名権を地元信用金庫が得たもの。

ここも、初めて来ました。 30年近く住んでいるのに。

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川端龍子VS高橋龍太郎コレクション展を見て

2021年11月22日 | アート 絵画

コロナ禍で自粛していたアート巡りをやっと再開。

2021年10月5日(火)午前中に「川端龍子VS高橋龍太郎コレクション」、午後は「美男におわす」展(埼玉県立美術館)へ。

今回は「川端龍子VS高橋龍太郎コレクション」の紹介です。

チラシです。 

 

大田区立川端龍子記念館は初めて訪れました。 

コンパクトなミュージアムで、展示室がクニャっと曲がっていて、?と思ったのですが

後で、龍子にちなんで”タツノオトシゴ”の形だったことが分かりました。

なお、撮影可能エリアが限定されており、個別に撮れたのは、チラシのおもてに載って

いる2作品のみでした。(*_*;

展示会場と作品リスト

 

川端龍子(明治18年~ 昭和41年〈1885-1966〉)は、当初は洋画を学んでいたが、後に日本画に転向。

大画面で大胆な作品を制作し、日本画壇から異端視されると、昭和4年には自身で「青龍社」を創立し

”会場芸術”を唱え、大画面で豪放な作風の作品を多く残した。

 

コラボする高橋龍太郎コレクションは、日本有数の現代アートコレクションで、私も、2015年に東京オペラ

シティ アートギャラリー高橋コレクション展ミラー・ニューロンを観ました。


ともに大田区在住で、名前に龍を持つ・・・そんな繋がりで企画された展覧会のようです。

 

撮影可能エリアから撮った、会場風景です。

正面、奥の鴻池朋子の《ラ・プリマヴェーラ》がすごい吸引力。

 

 

最初に出迎えたのは、川端龍子の《香炉峰》  横幅7.3mほどある大作です。

描かれた九六式艦上戦闘機(ゼロ戦は後継機)は、ほぼ実物大の大きさになるらしい。

龍子は偵察機に便乗して取材しているが、この当時、飛行機に乗って取材するのは、画家にとっては

興味深々だったことでしょう。

本展からは外れますが、戦争画で飛行機が描かれた作品として向井潤吉の《影(中国・蘇州上空にて)1938年》

を数年前、東京都現代美術館で見ました。(画像はWebから拝借したもの)

向井潤吉は、古民家シリーズしか知らなかった頃だったので、驚いた記憶があります。

蘇州の街や人々が細かく描かれ、それを覆う機影が”不穏”を暗示しているようで迫力がありました。

 

 

コラボする現代アートは、会田誠の《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》

 

 

作品を横から見ると、破れた襖、ビールケースの土台・・・近くにいた係り員に聞くと

この襖は、会田誠の家で使用していたものとか。使用材料に日経新聞とあるのは、この

襖に貼って、その上に描いていった・・・・うーん会田誠らしい

既成の権威に抗う姿勢を表現するため・・・と思えるのですが、私にとっては、それが

鼻につき過ぎて好きになれない作家ではあります。・・・スミマセン

 

 

 

鴻池朋子の《ラ・プリマヴェーラ》  画像はWebから拝借

『プリマヴェーラ』の意味ですが、ルネサンス期のイタリア人画家ボッティチェッリが1482年頃に描いた

著名な絵画の名前で、日本では訳語である『春』などとも呼ばれる。 ↓の作品、画像はWebから拝借。

 

 

鴻池作品とコラボするのは                                   画像はWebから拝借

この《草の実》を見たとき、以前にも似た作品を見たことを思い出しました。 

キャプションを読むと、この作品の前年に描いた《草炎》を観た愛好家から

同じようなものを作ってほしいと頼まれ、制作したとのこと。

↓が、《草炎》を撮ったものです。(2014年5月10日 東京国立近代美術館の川端龍子特集で)

川端龍子《草炎》部分) 1930(昭和5)年 文化庁管理換(東京国立近代美術館)

 

こうして見比べると、うーん 龍子《草炎》とボッティチェッリの『プリマヴェーラ』が、より

コラボしている感じかな・・・

 

そのほかの作品では、山口晃の作品に見入りました。

《五武人圖》とか《當丗おばか合戦》など、紹介したいのですが、Webを探しても良い画像

ないので、山口晃は別の機会にしたいと思います。

 

なお、記念館の道向かいに、龍子のアトリエなどがある龍子公園があり、係員の方にお誘いを受

けたのですが、この後の埼玉県立美術館の予定があり、泣く泣く辞退したのでした。

コメント (3)
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アジア・太平洋戦争から1960年代までの絵画 所蔵作品展「MOMATコレクション」から

2020年10月30日 | アート 絵画

東京国立近代美術館(9月17日鑑賞)の記事、ラストです。

美術館3階の6~8室は、アジア・太平洋戦争時から1960年代までの絵画展示でした。

戦争画の展示は、過去のコレクション展でも数多く紹介してきました。

代表的なものをピックアップすると 

国立近代美術館(2013.11.16)「何かが起こっている:1907-1945の軌跡」 #5

国立近代美術館(2013.11.16)「何かが起こっている:1907-1945の軌跡」 #6

東京国立近代美術館(2012.11.23) 洋画、戦争画

となります。 当時の実力ある画家は、ほとんど協力しています。 そのことを、後世の

私が批判がましく言うことはできません。  きわめてクールにその時代、そんな状況

の絵画として鑑賞します。

 

まず公式キャプションから(以下の各室も同じ)

6室  1943年|第2回大東亜戦争美術展   

 アジア・太平洋戦争下、軍の委嘱で制作された公式の戦争絵画を「作戦記録画」と呼びます。  
 軍が主題を選び、戦地に派遣された画家が制作、作品は完成後に軍に収められ、戦争関連の展  
 覧会に出品されて国内各地を巡回しました。今回はそのような展覧会のうち、1943(昭和18)    
 年12月から翌年1月まで、東京都美術館で開かれた第2回大東亜戦争美術展を紹介します。出品  
 370点と戦時中の戦争美術展で最大規模のこの展覧会は、半年かけて大阪、京都、福岡、佐世保   
 、名古屋を巡回しました。 1943年は、ガダルカナル島からの撤退やアッツ島での守備隊全滅     
 学徒兵出陣など戦局が悪化し、国民の生活も厳しさを増しつつあった時期です。にもかかわらず  
 主催者発表によれば、東京での動員は1ヵ月の会期で15万人を超えたといいます。         
 この部屋に並ぶのは、すべて第2回大東亜戦争美術展の出品作です。当時の人々はこれらの絵       
 が並ぶ展示空間で何を考え、鑑賞したのか、そして現在の私たちは、これらの絵から何を受け取  
 るのでしょうか。                                     

 

展示室光景

 

 

キャプションを読むと、宮本三郎、藤田嗣治、小磯良平の3氏が、軍部の評価が特に高かったようです。

 

 

日本画の作戦記録画は、橋本関雪もキャプションで述べるとおり、写実性で洋画に敵わない。

しかし、上海黄浦江に、炎上する艦船を配して静謐のなかに動を配したこの作品、都市の山水画?の雰囲気。

 

 

 

 

 

 

 

 

藤田嗣治の戦争画作品には、強烈な肉弾戦や修羅場を描いたものが多い。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」に通じる戦闘画面の描き方です。

藤田嗣治は、乳白色の美人画を描くのとは正反対ですが、戦争画に対する熱い表現意欲

があったのではないでしょうか。 西洋の戦争画も下敷きにあって、このうな強い、

独自の表現ができたのだと思います。 

 

 

展覧会場に設けられた特別室に陳列されたという、藤田嗣治の絵《天皇陛下伊勢の神宮に御親拝》の図録。

特別室に陳列された他の2点の作品とともに、所在は不明とのこと。 う~ん このミステリー、気になる。

 

次は7室。

 7室 不安な身体 

  太平洋戦争の余波がまだ色濃い時代、激動の社会情勢に静かに抵抗するかのように、内省的で 
 暗く沈んだ人々を描いた作品が様々な芸術家の手で生まれました。              
  香月泰男は、戦後にシベリア抑留を経験しました。復員後は、それまでの作風を一変させ、社 
 会に翻弄されて傷ついた人々の姿を多く描くようになります。それらは、過酷な状況の中で打ち 
 ひしがれた画家の自画像であるかもしれません。また、小山田二郎と中野淳は、ともに食卓とい 
 う主題を扱っていながら、食べる楽しみや団欒とはかけ離れた重苦しい光景を、筆跡も生々しく 
 キャンバスに塗りこめています。表情をくもらせ、あるいは断片となって生気を失った身体は、 
 生命が代替可能なものであることが露わとなった現実を前に、実在感が希薄になった社会の空気 
 を映し出しているようです。

 

浜田知明の作品は、ケーテ・コルヴィッツの作品を思わせる重く暗いテーマなのですが

パロディー風な描写で、惨めさを抑えています・・・でも暗くて、ウッとなる。

こういう作品は気色悪くていやだ!と思う方もいると思います。 どうぞ飛ばしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小山田二郎・・・以前、作品「鳥女」(油彩と水彩バージョン)を見ました。 技巧は素晴らしい、けど

女性を鳥に擬態化したとげとげしい姿に、うゎーっとなりました。

この作品も、ナイフのひっかき傷がとげとげしく、またもや、うゎーです。

小山田二郎は幼児の時に、皮膚疾患にかかり、下唇の異常な肥大や、顔面のあざがあり、コンプレックス

持っていたようです。  食卓での自画像と思えるこの作品、時代を象徴しているかもしれませんが

体は引いてしまいます。 

 

 

 

以前、この絵を初めて見たとき、私は下から伸びる手は、棺桶の中から出てきた死人の手と思いました。 うゎーっ!

キャプションを読んで、落ち着きましたが、私は今でも死人の手のように見えて仕方ありません。

 

 

 

古沢岩美は、名前は知っていましたが、実物の絵を見るのは初めてでした。

この作品は人目をひきます。 古沢は徴兵され、中国の戦線で従軍した。

この作品には、その中国で見聞きしたもの・・・婦女子の凌辱、捕虜の斬殺

などが描かれ、左の壁面には、当時、日本軍が起こした大作戦での戦死した

兵士(戦闘によるものや病死、餓死を含め10万人といわれる)の断末魔の顔

が描かれている。 その辺を、批評家に”醜悪極まる”といわれたのでしょう。

しかし、ゴヤも戦争の惨禍を版画で表現したものは、凄惨なものが多い。

古沢岩見にとって現実であった、戦争曼荼羅、醜悪という言葉で片付けるのは

傲慢だと思う。

ただ、ちょっと?なのは右下の妖艶な女性。 洋画には民衆を導く女神が良く

描かれているが、この絵はそういう雰囲気ではない。 中国の戦線での従軍慰

安婦の犠牲者は、ほとんど無かったといわれることから、そうした逞しい女性

を表現したのかもしれない。

 

 

8室 円と前衛

1960年代と、その前後の日本の美術を見渡すと、例えば、アメリカの抽象表現主義と共鳴するような
前衛美術運動の盛り上がりが見て取れます。

 そして抽象表現の中でも、モチーフに目を向けてみると、「円」(丸)がたびたび登場することに

気づかされます。例えば、オノサト・トシノブは、「あらゆるものの原形」としての円を自ら必要と
したと語っています。また、菅井汲と吉原治良は、どちらも人のまねをしないことをスローガンとし
て掲げていましたが、彼らがどちらも様々な模索を経て、円というシンプルな幾何学的形象に活路を
見出したことは、興味深いことです。そして、菅井と吉原が描く円はいずれも、原色などシンプルな
色彩で、筆跡をできるだけ残さないように描かれている点も共通しています。こうした制作態度には
1950年代に日本にもたらされたアンフォルメル(フランス語で「不定形の」といった意味です)への
反発、あるいは反動を見ることもできるでしょう。

 

 

瑛九の作品、2点とも綺麗でした。 戦争画や”不安な身体”の作品群を見てきた私は、やっと心静かになれたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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