ワンコ”ニキ”の四十九日も、2月16日に済みました。
今は新・飼い犬”キサ”に振り回されています。
一方、ブログは、山のように溜まった”ネタ”が「何とかしろ!」と・・・(´-`;)
少し頑張ってみます。
で、東京国立博物館(2024.10.11)のシリーズですが、11回投稿しましたが、まだ
ネタ残り・・・今回は、鈴木春信の浮世絵。
”べらぼう”で、浮世絵が脚光を浴びてますね。
東博 本館2階 浮世絵コーナに、こんな小見出しが。
”明和2年の絵暦交換会”・・・???でしたが進みます。
鈴木春信の美人画の世界・・・清らかな色気に痺れます。
絵暦交換会、これが浮世絵に革命を起こした!
ウィキペディアから引用要約
錦絵誕生
絵暦交換会・・・江戸時代は太陰太陽暦 → 月の満ち欠けをもとに1ヶ月を捉えていた。
一ヶ月が30日の月を大の月、一ヶ月がは29.5日の月を小の月とた。1年が13ヶ月という年もあり。
しかも毎年それが変わるので、暦が必要だった → 絵で月の大小を表したものが絵暦。
そこで当時の俳人・趣味人・知識人の間で、いかに趣向を凝らした絵暦を作るかということが競われた。
錦絵が大流行するきっかけ・・・明和2年(1765年)に開催した絵暦交換会がその最初だった。
1600石取りの旗本・大久保甚四郎(俳名 巨川)と1000石取りの阿部八之進(俳名莎鶏)が、薬種商の
小松屋三右衛門(俳名百亀)らと協力して、金に糸目をつけず画期的な多色摺りの技術を開発。
春信は、錦絵の草創期に一世を風靡したため、多数の追随者が出た。春信の門人に鈴木春重(司馬江漢)
、鈴木春広(礒田湖龍斎)、仲国信など。次代の一筆斎文調、勝川春章、北尾重政、鳥居清長などにも
影響を与え、浮世絵黄金期を直接導くものになった。
展示には、絵暦交換会に関わった絵師や、春信に影響を受けた絵師などの作品が展示されていたのですが
春信に焦点を絞るため、紹介するのはごく一部にします。
<風に悩む二美人>
黒服の女性は、鍵屋の看板娘”お仙”
風で乱れる着物の裾、チラリズムの妙
<かぎや お仙>
ダメ押しのちらり。 春信の浮世絵で、お仙は人気となり、お仙見たさに
笠森稲荷の参拝客が増えた。 ”看板娘”の元祖なのだ。
春信も、当時住んでいた神田白壁町から、谷中の笠森稲荷に通い、お仙に
モデル(当時、そんな言葉はないのでしょうが)を頼んだのかな?
春信に影響を受けた北尾重政の<鍵屋お仙>
やっぱり春信が、面白い。
お仙以外の作品も。
菊作りをしている女性と若者を描いた作品で、三十六歌仙のひとりの
大中臣頼基(?~958)の和歌が、画面上部の讃に記されている。
”ひとふしに 千世をこめたる杖なれば つくともつきじ 君がよはひは”(拾遺276)
次は、あの司馬江漢が、絵師として出だしの頃、春信の贋作を作っていた・・・
春信と比べると、描線が太くて、繊細な美しさがない!
以上、春信の作品を楽しみました。
ところで、春信の優品の多くは、海外に流出しているとか
くやしいけど、いつか日本で見られるように、画像だけでも掲載。
鈴木春信「お仙茶屋」は Brooklyn Museumの所蔵
<雪中相合傘> メトロポリタン美術館の所蔵
http://www.famsf.org/artworks/righteousness-gi-from-the-series-five-virtues-gojo