さてさて、ずーっと教育シリーズを書いてきましたが、
気が付けば私は、学校の先生ではなくなっていました・・・笑)
しかし、だからこそより感じることや、
より声を大にして言いたいこともあります。
今回のテーマは、ずばり「体験」です。
学校で授業をしていて、学校と教室という「壁」を
ずっと感じてきました。
人間というものは、自ら体験し経験してこそ心に落ち、
本当の学びとなるのではないかと私は思います。
そして、自らの力ではどうにもならない崇高なものに触れたときや、
自らの常識を圧倒するような事象に出会ったとき。
それは本当に心を揺り動かし、その人を形作ります。
私自身、そのような経験から自らの価値観が形成されてきたと
強く感じています。
もっともっと子ども達に「感じてほしい」。
もっともっと子ども達に「その空気を吸ってほしい」。
理屈や知識では説明しきれない、
そういう「体験」の場をもっと作ってあげる必要があると思います。
もちろんそのようなことは文科省も言っているのですが、
現在の学校の状況では、それはなかなかに難しい。
それは先生方が手を抜いているのではなく(中にはそういう人もいますが)
物理的に不可能です。
以前から述べているように、やらなくてはならないことが多すぎて・・・。
より体験的な場を作る。
現在の学校制度のままでは困難な面も多いですが、
あらゆる意味で、体験の場を増やしていくべきでしょう。
それは課外活動的なものだけではなく、
授業の中に取り入れていくことも大切だと思います。
小さなことでも「やってみる」「感じてみる」ことこそ、
学びの原点になるはずです。
写真は私の相棒「まつもん」ですが、
例えばこのように火を起こす経験でさえ、貴重なはずです。
先生方だけでは難しいのなら、地域や企業がもっと参画できるような
学校と外部の関係を作りたいですね。
しかし、そのようなことはずーっと言われているのに・・・
なかなかできない。
何とかして、学校の「壁」を崩したい。
それが必ず、より良い教育に繋がっていくはずです!
これから仕掛けていきましょう!
すべては子ども達のために
ふじもん
気が付けば私は、学校の先生ではなくなっていました・・・笑)
しかし、だからこそより感じることや、
より声を大にして言いたいこともあります。
今回のテーマは、ずばり「体験」です。
学校で授業をしていて、学校と教室という「壁」を
ずっと感じてきました。
人間というものは、自ら体験し経験してこそ心に落ち、
本当の学びとなるのではないかと私は思います。
そして、自らの力ではどうにもならない崇高なものに触れたときや、
自らの常識を圧倒するような事象に出会ったとき。
それは本当に心を揺り動かし、その人を形作ります。
私自身、そのような経験から自らの価値観が形成されてきたと
強く感じています。
もっともっと子ども達に「感じてほしい」。
もっともっと子ども達に「その空気を吸ってほしい」。
理屈や知識では説明しきれない、
そういう「体験」の場をもっと作ってあげる必要があると思います。
もちろんそのようなことは文科省も言っているのですが、
現在の学校の状況では、それはなかなかに難しい。
それは先生方が手を抜いているのではなく(中にはそういう人もいますが)
物理的に不可能です。
以前から述べているように、やらなくてはならないことが多すぎて・・・。
より体験的な場を作る。
現在の学校制度のままでは困難な面も多いですが、
あらゆる意味で、体験の場を増やしていくべきでしょう。
それは課外活動的なものだけではなく、
授業の中に取り入れていくことも大切だと思います。
小さなことでも「やってみる」「感じてみる」ことこそ、
学びの原点になるはずです。
写真は私の相棒「まつもん」ですが、
例えばこのように火を起こす経験でさえ、貴重なはずです。
先生方だけでは難しいのなら、地域や企業がもっと参画できるような
学校と外部の関係を作りたいですね。
しかし、そのようなことはずーっと言われているのに・・・
なかなかできない。
何とかして、学校の「壁」を崩したい。
それが必ず、より良い教育に繋がっていくはずです!
これから仕掛けていきましょう!
すべては子ども達のために
ふじもん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます