2014年4月16日。
《紛争の跡が痛々しく残る国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。しかしこの国には、大いなる教えがそこかしこに存在している。》
僕たちは一体、何をすべきなのだろう。
ほんの20年前まで内戦が続いていた国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。この国から僕たちが学ぶべきことはあまりに多い。
街中に当たり前のように建ち続けている、弾痕が痛々しく残る建物の数々。
ボスニアの人々は、どのような想いでこれらの建物を見ているのだろう。
モスタルの街で僕が泊まった安宿「Hostel Nina」のオーナー、Zakiさん。彼は青年時代に、この悲劇の内戦を経験したという。
でも、信じられないくらい優しいのだ。
ものすごく気を使って下さるし、いつも笑顔で話し掛けてくれるし、終いには駅まで無料で車で送ってくれたのだ。
Zakiさんだけではない、ボスニアの人々は総じて優しい。本当に優しい。
僕は感じる。
彼らには、「悲しみ故の優しさ」がある。
彼らには、「辛さ故の幸せ」がある。
世の中のことは表裏一体、コインの裏と表のようなもの。
悲しみがあるから喜びがあり、辛さがあるから楽しみがある。
悲しさを知るから人は優しくなれるのであり、厳しさを知るから人は温かくなれる。
本当は、心の内にあるはずだ。誰にも語りたくないような悲しい歴史が、悲劇が、経験が。
Zakiさんにだって、たくさんたくさんあるはずだ。
でも、誰一人としてそれを出さない。
Zakiさんは笑顔で語ってくれた。「右の太ももをスナイパーに撃たれたんだ。それも2回も。もし頭や胸に当たっていたら、今の俺はここには間違いなくいないよね。」と。
スナイパーで撃たれた・・・。そんな日本人に、僕は未だかつて出会ったことはない。
そんな凄惨な体験を、どうしてそんな温かく笑顔で語れるのだろう。
※「俺の大事な友達がここに眠っているんだ」と語ってくれたZakiさん。ここのお墓の多くは、1993年没となっている・・・。
僕は思う。
彼らに憎しみがないはずはない。怒りがないはずはない。憤りがないはずはない。
でも、それを表に出して叫んだところで、そんなことは無意味だときっと彼らは知っているのだ。
怒りに怒りをぶつけても、怒りがぶつかり合ってお互いに大きくなるだけで、新たな憎しみしか生まれない。
誰かに責任を擦り付けても、それは永遠に周り続けるだけで、何も生まれることはない。
彼は、きっとそのことを深く深く心で知っているのだ。
最近ネットなどを見ていると、悪口ばっかりだ。
安倍政権の悪口でもいい、中国や韓国への悪口でもいい、日本人自身への悪口でもいい、ネタは何でもいい。
悪口ばっかりだ。
悪口ってのは簡単だ。責任を相手に押し付けて、小難しいことを考えなくていいんだから。
人のせいにするってのは、本当に簡単なことだ。面倒臭い思考もいらないし、自らの責任も逃れられる。
でも、そこから何が生まれるのだろう。
※モスタルの街中で見たこの石。その意味は深い。
東欧のある国で出会った日本人が、こんなことを言っていた。
「ホントにさ、こんな日本に誰がしたって思うよね。」
「誰がしたんだ」って責任を擦り付けてしまうことは至極簡単だ。自分は悪くねぇって考えることなんだし。
でも、自分は悪くねぇって考えたところで、何が生まれるんだろう。
「自分にも責任の一端がある」って心に落とせることから、次の道が見えてくるんじゃないかなって、僕は思う。
人のせいにするということは、誰かがきっと「あなたのせい」にしている。
人の悪口を言うということは、誰かがきっと「あなたの悪口」を言っている。
人を非難するということは、誰かがきっと「あなたを非難」している。
因果応報、自業自得。この古めかしい言葉は、きっと世の本質と捉えていると思う。
逆もまた然り。
人に優しくするということは、誰かがきっと「あなたに優しく」してくれる。
人を誉めるということは、誰かがきっと「あなたを誉めて」くれる。
人を認めるということは、誰かがきっと「あなたを認めて」くれる。
ボスニアの人々は、Zakiさんは、きっと僕に「無言の教え」を与えてくれている。
「過去の憎しみに囚われるな。過去の悲しみに支配されるな。私たちは未来の為に在るのだ。」って。
今の日本人に、とっても必要な気概じゃないか。
いや、僕は別に日本人に留まったことを言いたいわけじゃない。地球全体の未来を担う「世界人」としても、必要な気概じゃないのか。
さぁそして、自分は人生においていかに振る舞うべきなのか。ここから先の答えはない。自ら見つけ出すしかないのだ。
『偉大なる参考書・世界』の「ボスニア・ヘルツェゴビナ」のページには、大いなる内容が記されていた。
それをどう咀嚼し発現させるかは、僕次第。
最後は自分。そう、「僕次第」なのだ。
※サラエボの路上にある、通称「サラエボのバラ」。迫撃砲の砲弾によって死者を出した爆発の跡に、赤い樹脂を埋めたモニュメントである。
2014年4月16日。寒い寒い、まるで初冬のような冷たい雨が降りつけるボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにて。
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《紛争の跡が痛々しく残る国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。しかしこの国には、大いなる教えがそこかしこに存在している。》
僕たちは一体、何をすべきなのだろう。
ほんの20年前まで内戦が続いていた国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。この国から僕たちが学ぶべきことはあまりに多い。
街中に当たり前のように建ち続けている、弾痕が痛々しく残る建物の数々。
ボスニアの人々は、どのような想いでこれらの建物を見ているのだろう。
モスタルの街で僕が泊まった安宿「Hostel Nina」のオーナー、Zakiさん。彼は青年時代に、この悲劇の内戦を経験したという。
でも、信じられないくらい優しいのだ。
ものすごく気を使って下さるし、いつも笑顔で話し掛けてくれるし、終いには駅まで無料で車で送ってくれたのだ。
Zakiさんだけではない、ボスニアの人々は総じて優しい。本当に優しい。
僕は感じる。
彼らには、「悲しみ故の優しさ」がある。
彼らには、「辛さ故の幸せ」がある。
世の中のことは表裏一体、コインの裏と表のようなもの。
悲しみがあるから喜びがあり、辛さがあるから楽しみがある。
悲しさを知るから人は優しくなれるのであり、厳しさを知るから人は温かくなれる。
本当は、心の内にあるはずだ。誰にも語りたくないような悲しい歴史が、悲劇が、経験が。
Zakiさんにだって、たくさんたくさんあるはずだ。
でも、誰一人としてそれを出さない。
Zakiさんは笑顔で語ってくれた。「右の太ももをスナイパーに撃たれたんだ。それも2回も。もし頭や胸に当たっていたら、今の俺はここには間違いなくいないよね。」と。
スナイパーで撃たれた・・・。そんな日本人に、僕は未だかつて出会ったことはない。
そんな凄惨な体験を、どうしてそんな温かく笑顔で語れるのだろう。
※「俺の大事な友達がここに眠っているんだ」と語ってくれたZakiさん。ここのお墓の多くは、1993年没となっている・・・。
僕は思う。
彼らに憎しみがないはずはない。怒りがないはずはない。憤りがないはずはない。
でも、それを表に出して叫んだところで、そんなことは無意味だときっと彼らは知っているのだ。
怒りに怒りをぶつけても、怒りがぶつかり合ってお互いに大きくなるだけで、新たな憎しみしか生まれない。
誰かに責任を擦り付けても、それは永遠に周り続けるだけで、何も生まれることはない。
彼は、きっとそのことを深く深く心で知っているのだ。
最近ネットなどを見ていると、悪口ばっかりだ。
安倍政権の悪口でもいい、中国や韓国への悪口でもいい、日本人自身への悪口でもいい、ネタは何でもいい。
悪口ばっかりだ。
悪口ってのは簡単だ。責任を相手に押し付けて、小難しいことを考えなくていいんだから。
人のせいにするってのは、本当に簡単なことだ。面倒臭い思考もいらないし、自らの責任も逃れられる。
でも、そこから何が生まれるのだろう。
※モスタルの街中で見たこの石。その意味は深い。
東欧のある国で出会った日本人が、こんなことを言っていた。
「ホントにさ、こんな日本に誰がしたって思うよね。」
「誰がしたんだ」って責任を擦り付けてしまうことは至極簡単だ。自分は悪くねぇって考えることなんだし。
でも、自分は悪くねぇって考えたところで、何が生まれるんだろう。
「自分にも責任の一端がある」って心に落とせることから、次の道が見えてくるんじゃないかなって、僕は思う。
人のせいにするということは、誰かがきっと「あなたのせい」にしている。
人の悪口を言うということは、誰かがきっと「あなたの悪口」を言っている。
人を非難するということは、誰かがきっと「あなたを非難」している。
因果応報、自業自得。この古めかしい言葉は、きっと世の本質と捉えていると思う。
逆もまた然り。
人に優しくするということは、誰かがきっと「あなたに優しく」してくれる。
人を誉めるということは、誰かがきっと「あなたを誉めて」くれる。
人を認めるということは、誰かがきっと「あなたを認めて」くれる。
ボスニアの人々は、Zakiさんは、きっと僕に「無言の教え」を与えてくれている。
「過去の憎しみに囚われるな。過去の悲しみに支配されるな。私たちは未来の為に在るのだ。」って。
今の日本人に、とっても必要な気概じゃないか。
いや、僕は別に日本人に留まったことを言いたいわけじゃない。地球全体の未来を担う「世界人」としても、必要な気概じゃないのか。
さぁそして、自分は人生においていかに振る舞うべきなのか。ここから先の答えはない。自ら見つけ出すしかないのだ。
『偉大なる参考書・世界』の「ボスニア・ヘルツェゴビナ」のページには、大いなる内容が記されていた。
それをどう咀嚼し発現させるかは、僕次第。
最後は自分。そう、「僕次第」なのだ。
※サラエボの路上にある、通称「サラエボのバラ」。迫撃砲の砲弾によって死者を出した爆発の跡に、赤い樹脂を埋めたモニュメントである。
2014年4月16日。寒い寒い、まるで初冬のような冷たい雨が降りつけるボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにて。
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