奥田知志という人がいる。
彼はNPO法人北九州ホームレス支援機構代表でもあり、東八幡キリスト教会の牧師でもある。
現在北九州には約250人ものホームレスがいる。
彼は北九州にて実際に夜の小倉の街を自らの足で歩いては、気になる人(ホームレス)に声をかけて話をしたり、毛布をあげたりお弁当を渡したりしている。
そして、彼らをいっときだけ施設で住まないかと話を勧めている。
その施設というのは6ヶ月だけ何人かで大部屋の暮らしができるところであり、その6ヶ月の間に彼らスタッフの方たちみんなで再就職や、つまりは社会復帰、自立まで至る支援をしている。
復帰後も仕事に行けてるか、人との関係うまくやれてるか、挨拶しにそれぞれの家に度々訪れもする。
彼は北九州で支援開始後、24年間で約1500人ほどの人を自立まで導き、その人たちの自立継続率が9割以上というのだから、それはほんとに驚異的な実績の持ち主なのである。
彼は、無理しない、楽させない、というのを念頭に置いて支援している。
この微妙な加減が難しいだろうと思うけど、それがうまいのだろうなと思った。
彼が言うにホームレスの人は、物理的に家がない、食べものがない、お金がないという"ハウス"レスの面と、人との関係が切れた、つながりがないという"ホーム"レスのふたつの局面を持つ。
大抵はそのハウスレスの支援ばかりを耳にすることが多いが、実際の現場ではその人自身と向き合うこと、その人に人との絆を再び築かせること、これを一番の目的としてやっている。
彼はホームレス支援なんてない、私は誰々さんというその人と出会っているということなんだと言う。
彼は自分が彼らホームレスの"ホーム"となると覚悟を決めている、一生付き合っていくという覚悟である。
これはことばで言ってしまうと簡単に聞けてしまうけれど、少し思うとなんて大変なことだろうと思う。
私たちは友達ですら出会ってずっと一生付き合っていくと言えるほどの関係になるのは、そうそう多くはないと思う。
とても印象的だった話は、7年間通い続けたおじいさんとの話だった。
奥田さんがいつものように街を歩いているときに出会ったそのおじいさんに、いつものように声をかける。
こんな施設があるんだけど行かないか、と。
彼はほっといてくれ、私はもうじき死ぬからと、首に大きな腫瘍を持ち首が傾いてるおじいさんだった。
それから、そのやりとりを7年間続けた。
7年間だ。
施設に行かないか、と誘い、ほっといてくれと言われ、じゃーまた来るね、といつもお弁当を渡して帰るのだ。
7日でも7週間でもない、7ヶ月でもない、7年間。
そうしてきたある日、いつものように誘うと行くと突然言ったのだと言う。
それから施設に入ってから彼は周りの人とも会話するようになり、彼の顔は厳しいこわい顔からやさしい顔になっていったんだという。
それから首の腫瘍が急遽悪化し病院に入院する。
入院してからも奥田さんは毎日お見舞いに行き、腫瘍の関係でことばを発することができなくなってからノートでの筆談のやりとりをしていた。
亡くなる前日の彼の「奥田先生ありがとう」という字が忘れられない。
またこれは別の話。
あるホームレスにある中学生たちが石を投げた。
このことを聞いた奥田さんは憤ったが、投げられた本人はわたしは彼らの気持ちがわかる気がする。
心配してくれる人がいないんじゃないかな、わたしはホームレスだからその気持ちはとてもわかるんだ、と言った。
それにもはっとさせられた。
そうだ、自分を心配してくれる人がいるというのは、ただそれだけでなんてあったかいことなんだろう。
当たり前のように心配してくれる人がいるのは当たり前のように見えてとても特別なことで、とても有難いことだ。
それを実感するのは難しい。
だが彼らはそれを一番知っていて、だからこそ彼らの口から出る奥田先生がいなくちゃ今の自分はいない、父親みたいな存在だ、と奥田さんよりも年上の方だろう人が言ったりするというのは、うん、そんなふうに向き合ってるんだな彼は。
家族のように接しているんだろうな。
人は変わる、人と関わることによって顔が変わっていく。
このことを思いながら、今も彼は毎日この街を歩いている。
こんな人もおるんか、ということに驚いて、とても言いたいことばかりが説明的で淡々としたおもしろくない文章になってしまったかもしれないけど、色々あれもこれも加えたくなってしまったんだ。
いろんな人がいるなぁこの世界には。
ホームレスの人自身に対してではなく今回は奥田さんという人を中心に話したが、知らなければ知らないからなぁ。
ほんと知るべきことは多いのだと思った。
知ったからと言ってわたしのものになるわけではないし、私が偉そうに話をしていいわけじゃないけど、こんな人もいるのかと驚いて、またこれを誰かに伝えたくなるんだ。