早いもので、もう四月の半ばだ。
お寺では、昨日今日と、今年は遅めの春のお彼岸のおつとまりがあった。
お寺というのは、なかなかしんどいとこですね。
何がだろうって、どなたか坊守さんがこう言うてた。
「まーお姑さんが何十人もいるようなもんだと思えばいいよ。」
なぬー。だね。
付き合いが深まれば深まるほど、それぞれの性格やら考え方の違いをまざまざと見せられる。
それに合わせて私の性格やら考え方がまた浮き彫りになるようだ。
こんなに違ったものを持つ同士なのかーと。
なるべく主張がないようになんてやってしまうけど、どうしたって私がその場にいる限り、主張してんだろな。
なんかしらの空気放ってんだろな。
自分はどう見られてるかなってこんなに気にしたことってなかったな。
今までどんな格好しようが、どんな髪型しようが、どんな口調だろうが、それも私らしさだと思って、他人を気にして意識して変えたことってなかったな。
けど今じゃーいろんな人にいろんなところから見られて、いろんなこと言われるのだ。
髪型も私はこれでもいいけど、人から見れば「あなたその髪どうするの?伸ばすの?切ったら?」って言われる始末。
そんなに悪いかな?縛ってるしええやんけ、と思うけど、自分で自分は見えないし。
法話を聞くというのも、なんだろね。
それがどうなのかってなると、これはまた難しいだよね。
自分から聞きたいなんてまず思わないし、ましてや、お寺に参ってお話聞こうなんて、私たちの年代にはまずいないことでしょう。
いたとしたら、相当稀な方で、何かしら出会ってしまったんだろうと、想像する。
私はまずお寺に行こうなんて発想ないよね。
理由がないもの。
法話を聞いて、仏法と出会うって私にとってどういうことやろか。ひとにとってどういうことやろか。
それがいまひとつ、うーんなとこなんだよね。
やから、お寺の人と一緒になって、若い人がもっとお寺に来るには?お寺はこれからの時代、どうあるべきかって、あんまし考えれないんだな。
何かお寺を中心に考えすぎてるというか、仏法という言葉に振り回されてる感じもあるのかな。私の中に。
もう少し考えてみないとだなぁと思う。
これは最近来た隣人たち。
これをひとに見せたら、猫殺現場やないかって。
ほんとや。