ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

おばあちゃん。

2014-09-26 10:10:21 | 日記




20日の明け方5時半ころ、おばあちゃんがこの世を去った。
この1年間同じ家で同じごはんを食べて過ごしてきたのだけど、
改めてほんとにいっしょに過ごせてよかったな~と思っている。


1年の間におばあちゃんの病気の症状や顔つきからだの不自由さやら
発することばやらどんどん変化していった。
ていうことにいっしょに過ごしているうちはわかっていたようでわかっていなかったみたい。
最後の数週間は母も介護に付き添いながらちょっといっぱいいっぱいになっていたりして、
人が生き死ぬってことはほんとにごついんやな~と思わされた。


早くおかあちゃんのとこにいきたいよ~とかおばあちゃんがうめくのか泣いているのか、
そんな状態のおばあちゃんには何を言っても通じない。
ただただそばで見ていたり手を握ったりしかできないものだった。
そんな精神的に不安定になるのもネフローゼという病気のくすりの中に含まれる
ステロイド剤というものがそうさせているようだった。
躁鬱が激しくなるというか。


くすりで長く生きることはできてしまうし、
くすりがないと病気の進行は早くなるってのもある。
けど見ていて願いは安らかに眠れたらいいなぁということだけだった。
とはいえ、思い出すのはそんなことよりもおばあちゃんのいつもの元気で
あったかいごあいさつだったりそんなことばかりが思い起こされる。




おんぶをするとき、「重いよ~?だいじょうぶ?」やら
「ふうちゃんが腰悪くしたら困るね~」とか、
ごはん食べるときもみんなより少し早めに食べるおばあちゃんは
「お先です」とかなんかかんか一言ある。
そういう姿になんだかいつもにまっとさせられてすごいなーとわたしの方が励まされた。
昔はきつい厳しい印象だったおばあちゃんなんだけど、
いつもみんなのことを想っているあったかいおばあちゃんだ。



お葬式はおばあちゃんの実家のある甲府で行った。
おばあちゃんの親戚やら兄弟やらみなさんで泣いてしゃべってやんやとしたのだ。
自分らも兄弟みんなそろってきちんとお別れできたのがうれしい。
お葬式のあの段取り組んでやってもらう感じに違和感はついてくるものやけど、
それと同時にああいうふうに儀式的にお別れすることでやっとお別れすることができるんだとも思ったよ。



自分はどうやって死ぬことになるかな~なんてこの年齢で思うのはおかしいかもしれないけど
そういうことを考えさせられたものだ。
けどそういうことを実際的に思えるようになったのはおばあちゃんのおかげで、
そういう意味でもありがたいことである。
死ぬってことは生きるっってことでもあって、自分はどうやって生きて死んでいくかなって思ったもんね。







昔は自分たちのいろいろを縫い物してくれたり、新聞を読むのが日課だったおばあちゃん。
それが縫い物もできなくって新聞も読まなくなった6月のある日、突然その日は新聞を読みだした。
そういう唐突にクリアな日ってあってそのうつりかわりもふしぎで驚いたりたのしませてくれたのだった。






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