ほほーいい。
6月もそろそろ過ぎていこうとしてます。
びっくらこいちゃいまっせ。
今日、手紙を書いた。
そして、手紙を書いてて思ったのは、
感情とか想いというものがこんなにも言葉になってこないものなのか、
ということだ。
日々の生活のお話での、こう思った嬉しかった楽しかった嫌だった、
などというものはつらつらと言葉に、文章になるのは容易い。
のだけれども、そういった類の物語じゃないただの自分の伝えたい想いというもの、
この胸のうちからわきあがるどうともいえない想いは、
伝えるには言葉ひとつでは到底難しいように思った。
伝えたい想いはあってもそれを自分の言葉で当てはめてはみても、
どうもこれじゃ伝わらない気がしてならなかった。
読むときに文の中には、合間、隙間、空間、などの、一呼吸置く間がない。
…あるのかな。
あるのかもしれないけど、
自分が読んだ分にはないと思った。
その間がない、というそれがどうも違う感じにさせるのだ。
自分で書いたものを読み返す。
たんたんと読めてしまう。
けど、違うんだよなぁ、と思う自分がいる。
あんなにもつっかえながら、
間を置かざるを得ないでいただばだばの気持ちは
一体この文字のどこに隠れたのだろう。
もし隠れてくれたなら、なんてかくれんぼの得意っ子なんだ。
それを読み手は見つけることなんてできるのか。
本人でさえ違うと、見つけられないと思っているのに。
私の言葉はすっと出たかと思うと、またすっと誰かの頭に直接届かせる。
けど、胸に響かせるには及ばない気がした。
と思いつつも、手紙なのだ。
文字で書いた過去から未来へのおくりものでもある。
そういうものなのかもしれないと思ったら、
そういうもんか、とも思う。
正確に伝えるとか伝わるとかでもないし、
とにかくこっちにはどうしようもないほど、
相手の受け取り方次第でどうとでもなるものでもある。
同じ言葉の文章でも私が読むのと他の人が読むのと多分違う。
ちょっとずつずれていく。
けどそのずれは多分どうにかできるものでもないし、
どうにかしたいというとこでもないんだな。
むしろあってこそなのやもしれぬ。
とかなんとかぐだくだ言ってるけど、
手紙書くのってたのしい。
たまにだからいいのかもしれない。
そういやこれまたもらう方って嬉しいもんね。
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