自然と音楽と・・/天山

大自然と音楽がテーマのブログです。

高尾山へ登った-その5(表参道)

2008-10-27 | 自然


行く途中に話かけてくれた年配の女性から聞いたのですが、高尾山ハイキングのポピュラーなコースとは稲荷山コースを登って表参道コースで降りるのが一番知られているのだそうです。確かに稲荷山コースを登って頂上に達した後、表参道コースを下って薬王院でお参りして下る人が一番多い感じでした。この表参道は車両が登るため舗装されています。長い登りを経た後の下りだと足が笑っている事もあるから、固い舗装された急坂を下る時には足や膝を痛めないよう注意した方がいいでしょう。写真はもう高尾山口駅の近くの、ずいぶんと立派な木に生えたコケを撮影したのですが、こんなぶっとい木がかなりたくさんありました。太さから見て第二次世界大戦をも生き残ったのでしょうが、こんな太い木が東京の山に沢山残っているのは驚きです。この表参道沿いには川が流れていて、沢から登って来た沢ガニが参道を横切ったりします。この沢でカニを探す家族もいました。僕の目の前で参道を横切って行く沢ガニを見つけたのでよく見ると、いっちょ前にハサミを天に向けて威嚇しています(笑)。ですが、何匹か参道で踏みつぶされた残骸を見てましたから、そのカニはつかんで沢の方に戻しました。「あいつも踏みつぶされなくて良かったねぇ~」なんて思いながら下る途中、カニの写真を撮るのすっかり忘れていました、威嚇する姿が可愛かったのに・・・。我が故郷でもさんざんカニを捕った記憶がありますが、ハサミをあそこまで天に向けて人間を威嚇するカニは見た事なかった気がします、いやはや・・残念です(⌒-⌒;)

高尾山へ登った-その4(吊り橋)

2008-10-26 | Weblog


いつも使う降り口ではなくて今回使った4号路方面にはこんな吊り橋があります。インディージョーンズの映画みたく目がくらむなんて高さはありませんが、作りは頑丈だからかなり揺らしても大丈夫そうな感じに見えました。ですが、意外に何人かいっしょになって渡るとけっこう揺れるのでそれなりの雰囲気は味わえました。この吊り橋の周り、紅葉になったらきっと奇麗なんでしょうね~。長野県の故郷はもう美しい紅葉が始まっているようです。サボらなければちゃんと高尾山の奇麗な紅葉写真が撮れる予定です

高尾山へ登った-その3(山の幸)

2008-10-22 | 自然


高尾山の頂上近くで販売していたキノコなどの山の幸。
右下のキノコは「キノコ」なんて書いてある(笑)鍋に入れたら美味しいんだろうな。この通り実りの秋は色々な幸を提供してくれるのだ。ここに売っていたものは故郷の旧高遠町ではよく目にしたものだった。写真には納まりきれなかったがアケビも売っていた。僕が知っているのはモチアケビとブタアケビ(正式名は知らないが故郷ではそう呼んでいた)で、ここに置いてあったのは紫色のブタアケビだと思う。50才前後のご夫婦が買って食べていたが、ご主人の方が「なっつかし~」と言い、奥様は「あまぁ~い」って言ってた。この声でけっこう購入してた人がいたので、良い販促になってました(笑)、個人的にはモチアケビというもう少し細くて白っぽい方が好きなんですが、ブタアケビも少し苦みがあって甘くて美味しい。そんなアケビの甘さは今でも思い出します。里山には毎年アケビが出来る場所があってよく食べにいった事を思い出しました。この写真、販売してるおばちゃんに「撮っていいですかぁ~?」と聞くと「私はダメよ~~」って後ろを向いた時に撮影したものですが、なんだか可愛いおばちゃんでちょっと微笑んでしまいました(笑)

高尾山へ登った-その2

2008-10-21 | 自然


日曜日にまた登って来ました。写真は頂上のもみじです。少し色付き始めましたから、頂上はあっという間にすぐ紅葉になりそうです。高尾のもみじ祭りは11月1日から30日までだから、その標高差で標高が高い所から順番に色づくんでしょうね。今回は6号路から登りました。途中「びわ滝」という薬王院の水の行を行う滝があって、夏には何人も滝に打たれる人々がいましたが、今回は10月なので誰もいませんでした。このコース、川に沿って登りますが(小さな沢登りという感じです)歩ける大きな石が約1mごとに何百メートルか置いてあって、高尾山口駅で無料配布されているガイドには「飛び石」と書いてありました。夏の大雨の時にこの大きな石はきっと流されたかと思うのですが、きれいに並べられていましたから、管理する人たちがもう復活させたのならかなりの重労働ですよね。途中の土嚢もそう、車が入れないので人力で何十キロっていう土嚢を持って来ている人々には頭が下がります。今回は頂上近くから吊り橋のある4号路を通って裏高尾に降りようと思っていたのですが蛇滝コースは土砂崩れで現在封鎖中・・残念。しょうがないのでいつもの一号路(表参道コース)で降りたのですが、途中金比羅台の休息所で高尾山口ではなくJR高尾方面の道を降りると(高尾山口へは1.1k、JR高尾駅方面へは2.3Kとの看板がある)誰とも出会わなくて森林に取り残されたような感じで少し探検気分を味わえました。途中イノシシよけの金網のある家もあったし。でっ・・その道を降りると「ろくざん亭」という料亭というか食事所の真ん前に出ました。帰りにここで一杯やっていく人もいるかもしれませんが、今回もヘロヘロ。とっとと帰りました。
ところで登って行く時にザリガニが捕れるって看板に書いてあった川沿いの場所ですれ違った小学校低学年生が「ここ、幼稚園の時に来た事ある~~~!」って言ってましたな。幼稚園児でも登れるんかい・・・なんか自分の体力にガックリして疲れがどっと出ました(=.=;)。

高尾山へ登った-その1

2008-10-14 | 自然


昨日の体育の日、久々に高尾山(標高599m)へ登りました。写真は帰り道の金比羅台から東京へ向けて撮った写真です。今年は初めてになりますが、毎日パソコンに向かって指や目を使うくらいなので体力なくて登りきれるか心配でした。自分が弾いてる楽器類も軽いものが多いので振り回したところで運動にはならないし、例えチェリストであったとしても大事な楽器を振り回して運動してる人はいないでしょう。そう考えるとピアニストが楽器で運動できたらすごい事かもしれない。
前置きはこれくらいとして、富士山と供にミシュランで三ツ星を取ったせいなのか以前より多くの人々でにぎわっていました。もちろん昔から休日は大混雑していましたが、ミシュランの三ツ星になってから若い人がとても増えたような気がします。高尾山は京王線高尾山口駅から三つのルートで登る事ができます。登ったのは一番ポピュラーな稲荷山コースからで、こちらは多くの休息所があるし、南向きの尾根を伝っていくので日差しがあって甲州街道を左に見下ろして景色も奇麗なので初心者にはおすすめでしょう。まだ紅葉には早かったので見る事はできませんでしたが、例年時期になれば美しい景色を見ながら登って行く事ができます。今年も行く予定にしていますが、高尾山のもみじ祭りは11月1日から11月30日までやっていますので、11月中旬あたりであれば奇麗だと思いますよ。ケーブルカーやリフトでも美しい情景は見えますが、歩けば違った景色が見て来ます。
さて・・東京生まれの方々であれば、遠足で一度は来た事がある高尾山ですが、ケーブルカーやリフトではなく、登山道をミニスカートやハイヒールで登って行く猛者もいます。そんな若い娘を見て我々の後ろにいた60代の女性二人が話している声が聞こえて来ました。「私達には登山なんだけれど、あの子達にはハイキングなんだねぇー」って(笑)私も体力ないので実感しましたが、そうは言っても山ですからね、マムシもいれば蚊やブヨだっているし、スズメバチだっているのですからミニスカや短パン、黒の上下(スズメバチはクマと勘違いして黒いところを襲う習性があるので)はできればやめた方が良いとは思いますが・・・・・(⌒-⌒;)

ノーベル賞と星新一の時代

2008-10-11 | Weblog
なんと日本人初の一年でノーベル賞が四つ。素晴らしい年になりました。湯川博士の中間子理論から始まったと言われる机上の理論。戦後に紙と鉛筆があれば出来る物理学でお金がかからないからなんてTVで伝えていましたが、紙と鉛筆だけで真実を考え出せる頭脳ってどうなっているのでしょうね。湯川博士の枕元には常に紙と鉛筆が置いてあったと聞くと、きっといつも理論と格闘していて、自分の勝手な想像ですが普通の人とはきっと違った雰囲気があったんだろうなと思ってしまいます。昔よく読んだ星新一のショートショートにはそんな博士と言われる人々がよく登場しますが、今回受賞の益川博士の雰囲気とか南部博士の見た目なんてのは星新一の本の挿絵に出てくるような感じで、夢が膨らみます。
星新一が所属していた日本SF作家クラブにはあの手塚治虫もいた時期があって、鉄腕アトムじゃないけれど、この博士と言われる人々が僕らにすごい世界を見せてくれるのではないかと憧れたものです。もちろん自分みたいな凡人には理解できない事ですが、反物質とかクオークとか素粒子とか自発的対称性の破れだとか聞くと、小中学校の頃、理科室にあった原子や電子がクルクル回る模型を見て胸がときめいた事を思い出します。大人になってから長い間そんな事はすっかり忘れていましたが、物質と反物質がいっしょになるとすごい光エネルギーを放出して物質は消えてしまう事だとかビッグバンは約137億年前に針の先端より小さなところから始まっただとかという、自分の生活に全く関係もなく役にも立たない事が(だから大人になってすっかり忘れたのだろうけれど)書いてある本を読み終わるとなんとも不思議な気持ちになりましたよね。
少し話は変わりますが下村博士がTVで若い人に向ける言葉として「困難な事にぶちあたっても折れたりやめてしまってはいけません。壁があればそれを乗り越え、諦めてはいけません」と述べられていましたが、80歳の博士の言葉は重みがあってズシンと響くものがありました。世間に目を向ければ大変な事が多々ありますが、自分を信じて壁にあたってもめげずにがんばって行きたいものです。


JBL

2008-10-02 | Weblog


今日は気持ちのよい秋空でしたね。少しヒンヤリとして空気がピンと張ったような感じで頭の中までスッキリしたような気持ちで爽やかでした。
またオーディオの話ですが、私が今まで行ったスタジオに入っているモニタースピーカーでJBLを見る事はあまり無かったけれど、私にっとては大好きなスピーカーです。ずいぶん前の事、岩手県釜石鉱山の中でコンサートとか音響イヴェントをおこなった事があって、その時にJBLの素晴らしさを感じた事がありました。大理石で出来た地下200mの空間である「マーブルホール」はその壁の表面がザラザラしているのと、四方八方に広がった穴が音を吸うため、残響音が少ないのでちょっとしたスタジオのような環境でしたが、大音響ともなればやっぱり反射音はありました。その大音量を稼ぐため最初は無理のきくボーズのスピーカーを使っていたのですが、乱反射される音のせいか、音がグニャグニャしていて聴きづらいのでどうしたものかと困っていると、そのイヴェントを支えている音響会社のエンジニアがスピーカーをJBLに差し替えてくれました。するとどうでしょう、音の形というか音像がはっきりするのです。スピーカーの善し悪しというものは、もちろん大差のあるスピーカーは別としても、いくつか聞き比べないとなかなか感じるのは難しいし、聞く人の趣味もあるからなんとも言えませんが、私はこの時に改めてJBLのスピーカーへの信頼が厚くなりました。前回書いた真空管のギターアンプはツインリバーヴなんですが、当時もスピーカーをJBLに交換すると固めの綺麗な音がするとは言われていて、友人でももそうしていた人がいましたが、レスポールなどのハムバッカー系のエレキとの組み合わせは抜群で綺麗で上品な音がしていたものです(自分はそうはしませんでしたが)。音がクリヤーと言ってもハイ上がりな音ではなく、高音でも芯がしっかりした音で、音楽を聴くにも(時にジャズなんか聞くとシンバル系はくっきりすると言われていました)クッキリするという感じで今でも愛用しています。音楽作りのモニターにしてしまうとJBLで聞こえる音が他のスピーカーや環境によっては変わってしまう事もあるのでメインモニターにはしていませんが、好きな音楽にどっぷりつかる時のスピーカーはやっぱりJBLになってしまいます。

真空管

2008-10-01 | 音楽
今、高級オーディオが静かなブームだそうです。その主役は団塊の世代、なんと50万前後のCDプレイヤーやセットで数十万のスピーカーがかなり売れていているのだそうです。実際デノンと日本マランツが合併してできたD&Mホールディングスはあのマッキントッシュをも傘下に収め、現在は黒字になっているとの事。自分も映像関係では音楽つける仕事で色々なスタジオに行きましたが一本100万円以上するようなタンノイなどのスピーカーや真空管を使ったマッキントッシュのアンプは垂涎の的で、こういったスタジオ以外ではよっぽどのマニアじゃないとこういうのは持っていませんでした。歯医者さんなんか多かったかな、昔はちょっと特別な人々の趣味って感じだったと思います。でもそれが現在かなり売れているというので驚きました。ジャズ喫茶やロック喫茶に入り浸っていた自分と近い世代の人だと思いますが、あの高級オーディオのプレイヤーでLPに針が入る瞬間のノイズはなんとも言えないし、再生された音は生の音を極めようって事で高級オーディオを揃えている訳だから2chであってもかなり臨場感がある「いい音、暖かい音」をそんな彼らが思い出しているのはとてもよく分かります。
そんな中、当時と今が少し違っているのは5CHの立体音響が主役である事でしょう。液晶TVで画面が大きくなって美しい映像にういた音は最高のサウンドで聞きたいという発展の仕方もあるそうです。これは昔あった疑似立体サウンドとか、アナログのドルビーサラウンドとも違ってDVDや放送された映像が完全に5.1chに対応しているので対応した機材を自分の好きな組み合わせてオーディオを自分なりに構築する事によって、微妙な自分なりの音を出すというところが良いのだということで、中でも真空管を使ったアンプは暖かい音が出て人気だそうです。
自分も愛用しているすごく昔に買ったフェンダーのギターアンプなんぞは、真空管を二個使っているので、何時間か使うとかなり熱を持つし、音もそのアンプの温度によって微妙に左右されるしで、こういうアナログの機材はけっこう面倒です。が、それなりに愛着もあるので人気あるっていうのも分かる気がしますねー。
しかし、この真空管。現在はもう日本製はないのだそうです。おまけに昔の名門であったドイツなどのヨーロッパやアメリカでもほとんど生産してないのだそうです。それじゃー替えってどうしているのだろう?切れてしまったら終わりなのか?じゃぁーどこが生産しているのか?というと、それは意外な事に中国や、ロシアの軍事産業の会社で生産しているのだそうです。もちろん軍事用で・・・。いち早く半導体に転換した西側日欧米と違ってロシアや中国はまだ真空管で動く軍の関係機材が存在するらしい・・・。もちろん近年こういった高級オーディオで引き合いが増えているので(日本経済新聞9/28)、オーディオ向けっていうのも作っているのだそうですが、なんだか不思議な取り合わせですね。