核は使わぬと核持つ国のジェスチャーか ・天衣無縫君のことだと言われた日 ・七草がゆ一足先の春の味

2022-01-06 | 日記

2022年月6日(木)5667歩とプールで50分

14:50 元FM銀河3階フロアより

うたごえ界の創作活動の第1人者 園田鉄美さん

からの手紙(長崎在住)

うたごえ運動にかかわっている人なら、知らない人はない園田鉄美さん

原爆乙女「渡辺千恵子」さんの生涯と、核戦争への恐怖 みんなで平和

の旅に出かけようと歌った「組曲 平和の旅」初め、数100曲を生み出し

今も現役で歌い続け創り続けています。

 九州のうたごえでは、いつも私の強ーい応援団でいて下さった。

私が合唱団「風」で、何をやらかすか、いつも期待して、ステージ

に立つ度 今年は何をやってくれるかな・のまなざしを向けてくれました。

おてもやんの顔で現れたり、沖縄では突然カチャーシを踊り出したり。

パフォーマンスを期待されたものでした。

うたごえの仲間からの手紙や年賀状でのカレンダーの感想は 私の伝えた

い事がしっかり受け止められていることを強く感じました。

 CDもゆっくり聞かせていただきます。創作集もいただきました。

今日は 気分転換にはがきをたくさん描きました。

 

 

 

日曜日に火のしまなどの句会と新年会があるので、有効利用?

しようかな?の気持ちです。

 カレンダー送る時、差出人のコーナーに

昨年のカレンダーなどを再利用しています。

皆さんも昨年のカレンダーは有効利用して

下さいね。額に入れるとプレゼントになります。

 

平和へのメロディー 3 現在68才 ダンディな白髪交じりに。

合唱団のメンバーと「平和の旅へ」を練習する園田さん=

長崎市魚の町、市民会館音楽室ピースサイト関連企画(50歳)

平和へのメロディー 3   2002/07/25 掲載

園田鉄美さん(50) 県職員
構成組曲「平和の旅へ」 被爆者の心の叫び

「病気で語り部活動ができないときや、遠くて行けない所でも、

この歌が私の代わりに証言をしてくれます」

渡辺千恵子さんは、曲の完成をとても喜んだ。一九八五年、

被爆四十周年だった。

園田鉄美さんは、作詞、作曲する県庁マン。恋愛、環境、

そして平和。これまで二百曲以上を作ってきた。

彼女に出会うまで、ギター一本のフォークソングに心酔していた。

それはそれで楽しかった。

八四年末、仲間三人とつくった歌声グループで、被爆四十年を前

に被爆の実相を伝える作品ができないかと頭を悩ませていた。

「被爆者の証言を聞くしかない」

渡辺さんに会いに行った。渡辺さんは第二回原水爆禁止世界大会

(五六年)で証言して以来、被爆地ナガサキを代表する語り部

として国内外で活動していた。

絶望から立ち上がり、車いすから被爆者の心の叫び、生きる

勇気を訴えてきた人生を、目の前で聞いた。壮絶な話なのに、

渡辺さん自身は明るい人だった。

八曲の合唱と語りから成る構成組曲「平和の旅へ」ができた。

医者に見放された体、ひねくれていた日々、立ち直るきっか

けをつくってくれた母、そして平和を語る旅へ…。

脚色は必要なかった。彼女が語った被爆体験をそのまま歌詞にした。

合唱団を結成し、八五年七月十二日に初演。

「平和運動の励みになった」「学校で生徒たちに聞かせ、

歌わせたい」。すぐに反響があり、うれしかった。

初演から八年後の九三年三月十三日、渡辺さんはこの世を去った。

数日後、園田さんは渡辺さんの自宅を訪ねた。

「私たちが語り部を引き継ぎます。見ていてください」。

手を合わせ、語り掛けた。

今年は初演から十八年目。演奏回数は百三十一回を数える。最近、

中高生たちが平和集会などで演奏してくれるようになった。

「未来は若者たちのものですが、核兵器のない未来をつくるのは、

今を生きる私たちの決意と行動にかかっています」。

最初に会った後、彼女の言葉が何日も頭から離れなかった。

そして今も離れない。いや、これからもずっと―。

(ネットより)

ホームページ 園田鉄美で検索できます。

雑詠句

・核は使わぬと核持つ国のジェスチャーか
・天衣無縫君のことだと言われた日
・七草がゆ一足先の春の味