2018年10月4日(木)6589歩+水中ウオーク+水中アクアなど90分
のびたさんのブログ 放送を聞いて
地域から 眠れる歴史 下支え 埋もれる歴史が補強している
神奈川kaeruさんのブログもご覧ください
4日8:00 市住6階より
市住6階より伊敷団地3-7丁目までを
27日収録本日放送の「てんがらもんの日」
まずは放送機材の運搬からです。重たいわよ。落とさないようにね。
ゲストさんも手伝ってくださいます。
毎回デレクターさんの車から機材を運ぶお手伝いがあります。
アリスちゃんはもてなし上手。
朝のひと時利用者さんと早田さん(特別養護老人ホーム七福神)
毛染めしないことにしたんでしょう?でもね徐々によ。(今CM中)
Ⅾ策さんセットで忙しい。上床さんは下読みです。
10:30 ここからはゲストさんの時間です。今日のお客様は伊敷歴史研究会会長池田純さんです。
平均年齢4人で70歳?
入ってすぐに事務室があります。ワンちゃんもここにいることがあります。
10月4日朝のアリスちゃん 私の席はここよ。広報部長・施設長の隣席です。
来週は(10月11日放送)この3美女でお送りします。収録終えました。
http://fm786.jp/この3人の動画が少しだけ見れます
今日の放送は
http://csra.fm/blog/author/ginga/を開いて放送を聞くをクリックしてください。
朝温泉に行くときは少し小雨でしたが今は上がっています。
午後はプールダヨーン。アクアの日だから休みたくなーい。
2015年の10月4日のブログは
金子みすゞが歌う心の歌から思うこと・久保田薫さんのご逝去お知らせ
毎週・・毎週このように機材運びして全国の皆さんに録画放送をしてあるんですね
大変ですね
感謝です(^_-)-☆
ここ最近何かと用事がダブりその時間がきけなく
今日はいますし楽しく聴きます
聴いた
歩いて6分頑張ります。
出掛ける用も無く 放送を聴くことが出来ました。
高野山との関わりが有る薩摩の元僻地の話等 目から鱗です。歴史をひもとくと言いますが 次々と繋がっていきますね。資料等で研究され 掘り下げる方がおられればこそ 明るみになる史実、無限なのかも知れません。
自分の書いた拙文を ラジオ放送で読まれるなんてこと これまで1度も無かった爺さん、てんがらもんラジオのコメントコーナー、リスナーコーナーで 読んでいただく度 ドキドキしてしまいますが なんと 読みづらい 面白くない、下手な文章なんだ・・、と 痛感、反省しきり。直せと言われても takeziiは takeziiでしか有りませんが。
お疲れ様でした。有難うございました。
孫船で爺(じじい)は本で世界旅
読むまでは死にはしないと本を買う
もうひとつの宿題は明日提出します。
私もまったく歴史に疎いのですが、池田さんのお話つい
引くつけられますね。何も資料などなく、頭になかにある
ものを引っ張り出しながら話される。研究者というより
歴史が好きでたまらないような話し方ですね。
といっても私は聞く橋から通り抜けてしまうので、皆さ
んからのコメントがとてもありがたいです。そのうちの
びたさんやカエルさんがネットも引用して解説くださる
ので 番組聞いてなくても話されて以上のことを知るこ
とができる。リスナー様様です。
そうでしょうね自分の書いたものを読まれる、うれしい
反面恥ずかしい・・皆さんそう言われます。
そのうち慣れてきますよ。ありがとうございました。
すみませんなんどもメールして・・・。
忘れているはずはない、必須の宿題がありましたね。
毎回の2時間を思うと恐縮しきりです。
と言いつつ頼っていますね。
今日の収録も椋鳩十だったので、ネットの資料も引用
させていただきました。ありがとうございました。
動画でしたが、久し振りにお声が聞けて嬉しゅうございました。
何回も聞き直して、元気を頂きました。
csraは相変わらず駄目です。
収録のは機材の運び込みなど、大変なのですね。
お疲れ様でした。
放送内容はのびたさんのブログを楽しみにしております。
のびたさんの解説で理解しました・・そうだったの、と
途中までお聞きして・・外出しましたので、地元ならではの歴史のお話に感心しました
いつもコメントいただきありがとうございます。
のびたさんの詳しい解説に助けていただきました。
もちろん池田さんのお話にも引きつけられた私たちです
そんな歴史を、皆さんに伝えながら支えていく方、素敵ですね。
人参シャリシャリに、シーチキンの一工夫今度やってみます。
今が旬のサツマイモも食べなきゃね。
秋バテ予防も、参考になりました。
私たちにまでの気配りありがとうございます。
番組が終わった橋から忘れている私は、のびたさん
や皆さんのコメントに「ああそんな話もしたわねえ。」
となる次第です。ありがとうございます。
伝わりましたね。
のびたさんが詳しく取り上げてくださっているので、きっと
お役に立てると思います。
今のスタイルでどこまで続けられるのかという心配もあります。
すべて私のやる気にかかっている気がしますので
弱音を吐けない。と言いつつ時々はいています。
支えてくださる皆さんがいるので続けられています。
知られざる高野山を知ることが出来ました。
そして懐かしい高野山の旅を想い出しました。
のびたさん、私も高野山には3回訪れました。
プライベートでは1度友人を案内して行きました。
私の一番のお気に入りの観光地です。
標高1000メートルもある山々を見ながら登っていくと、
山が開けた所高野山に着きました。
標高800メートルの山頂盆地に多くの寺院の他に
幼稚園から大学まであるのには驚きでした。
奥の院に続く2キロの参道の両側には杉木立に囲まれた
数多くの歴史にゆかりのある人物の墓石や
供養塔、記念碑、慰霊碑が立ち並び、ほとんどは苔むして
墓標も読み取れない墓石の中に、記憶にある戦国武将の名前を
見つけると立ち止まってしまいました。
敵味方に分かれて戦った武将たちが同じ場所に眠っている。
感動しましたよ。
石田三成と明智光秀が隣同士に・・何を語り合っているのでしょう?
宿泊は、前田家に嫁いだ徳川秀忠の二女「珠姫・天徳院」
の菩提寺として建立された宿坊「天徳院」でした。クラツー指定ですね。
到着すると若いお坊さんがキャスターの車輪を綺麗に拭いて
部屋まで案内して下さいます。
宿泊者のみ観る事の出来る池泉回有識庭園は
珠姫のお墓から見えるようになっています。
修行中のお坊さんにお給仕していただいた夕食の精進料理は
過去の宿泊施設で一番だと思うほど美味でした。
天徳院は、金剛峰寺、壇上伽藍、高野山大学の近くでしたので、
時間の許す限り早朝散策してきました。
因みに夫が眠るお寺は真言宗「高野山宝泉寺」です。
住職さんが高野山で修行された方で、境内には弘法大師の銅像があり、
「この下には高野山と四国八十八か所のお砂が埋めてあります」
とお札が立っています。
「もう一度行きたいところは何処ですか?」と聞かれると
「高野山です。」と答える朝顔なのです。
やはり案内人にお仕事されていただけに、とらえどころが的を得ておられるのだと思います。
私も聞くときはとても熱心に聞いていても終わると何を話されたっけです。
でもこうして複数の方が少しずつ違う視点で書いてくださるのがとてもありがたいです。
歴史はうそをつかない。だからいろんな史実をもとに語られていることから
ほぼ真実が見えてくるのではないかと思われます。
ありがとうございました。できればリスナーコーナーに使わせていただくかもしれません。
皆さんのを3分ぐらいに割愛させてもらいながら…いつものびたさんも大幅に削らせてもらっています。
ご苦労様。そしてありがとうございました。 124-159-
経由しての移動はどんな方法で運ばれてきたのでしょうか?
そんなことも思いめぐらしながら、辺塚での生活ぶりに
も興味があります。
高野山という日本でも大きなお寺でのいろんな争いが
そんな形で 多くの人を犠牲にしていく。宗教っていっ
たい何だろうかという疑問がわいてきました。
でも今はそれらを経て正常な形で存続してきているのでしょうか・