2018年7月15日(日)7869歩
今朝も5:30過ぎより散歩に出かけました。
今朝は昨日とは違う道を歩いて5分もすると、どうも宿場町らしい通り
に出ました。どの家にも丹波宿場『そうめん屋」「のど屋」などの宿の名前らしい
立派な表札、そして現在住んでいる人の表札が並んでかけてあるのです。
夜、婿に聞くと長野県史を開いていろいろ話してくれました。
ネットから拝借しました。
丹波島の鎮守様である於佐加神社です。文化9年(1812)には、境内で善光寺巡業を打ち上げたあとの
江戸大相撲が興行されたそうです。
すっかり現在の街並みですが・・・
問屋・柳島家です。慶長16年(1611)宿場が開設されて以来260年間問屋を務めていました。
脇本陣を兼ねていたそうです。この宿場に唯一残る、江戸時代を偲ばせる歴史的建造物です。
冠木門は、松代藩廃止後払い下げを受け移築したものだそうです。
門外に、明治天皇丹波島御膳水の碑が建っています。
母家は江戸時代中ごろに建てられたものだそうで、昔が偲ばれます。
問屋場から50m程先に「明治天皇御小休所」の碑が立っています、
此処が丹波島宿本陣跡です、問屋場と同じく柳島家が務めていました、
柳島家は元々甲斐武田氏の家臣で太郎左衛門政雄の代に丹波島宿の開設
と本陣、問屋場を委任されました。
丹波島宿の北を流れる犀川は毎年千本ほど鮭、鱒が獲れたといいます
丹波島宿の北を流れる犀川は毎年千本ほど鮭、鱒が獲れたといいます
、ここ丹波島宿本陣から毎年の初鮭が加賀藩前田家に送られていました。
知らぬ土地はいろいろ面白いことを教えてくれますね。
日中は暑くてとても外出できません。
西郷どん観ました。
2016年7月15日の記事はこちらです
1人暮らしは寂しい・15年後の自分を重ねて・久しぶりの桜島
まぁここにいても部屋に入れば同じ。冷房の効いた部屋にいるとついねむくなります。
今度は遊びまわれないので 行きたいところがあっても交通の便がよくありません。
飛行機でも眼下が見えるときはずっと目を離さなくて雲でも山でも陸でもいいのです。私は6-7歳児と変わらないのではと思います。
一緒にいると子供たちは嫌がります。道を歩く時も‥あれこれに興味を示すからです。
でもちっとも覚えてはいなくて教えてもらってもすぐ忘れます。婿殿もきっと歴史に大いに興味があるのだろうと思います。お役者勤めなので関係の課に居たり・・・。
行った所の歴史 聞いたり・見たり楽しいですよね
知らない事ばかりで 新しい発見が有りますね
良いお婿さんですね
チャンと 丁寧に歴史をひも解いて教えてくれるなんて
街歩きも楽しくなりますね
ウールや温泉がない分、朝の散歩を楽しんでいるようですね。えらいなー。その時間があれば寝ていたいです。
でも婿どんが、話してくれることが耳が聞こえにくいので半分しかわかりませんが、ネットの説明で助けられています。
ここは地名は川中島‥ですがあの大杉謙信・・らの戦の場所も娘が結婚した翌年・家の新築祝いに来た時連れて行ってもらいました。朝の散歩に行くにはかなり遠いようで今回は行けません。
忍者の里戸隠にも、一度連れて行ってもらいました。行きたいところがいろいろありますが、今回はどこにも行けないままの帰郷です。
東京のように交通網が開けていれば、一人で2-3時間なら出かけられるのですが、この暑さも思い立てませんね。
たぶんここ数年の間に、果樹園だったところが開拓されて住宅地となったものかな?と思われます。
その新しい住宅に住んでいる方々…が河川敷に出向いて農作物をさだてている…。私も農家の育ちなので、いかにも農業らしい家でなくしゃれたおうちに住みながら農作物をさだてている、時代の移り変わりを感じます。
写真撮りまくりの私が、娘のパソコンに取り込めないので、残念。使用しているのはネットから拝借です。
リンゴちゃんにおいでいただいてうれしかったです。相撲楽しんでいますね。
長野史に残る宿場町に遭遇とはラッキーでしたね。予期せぬ建造物にも出会うというサプライズもあり、chidoriさんは旅先?でもいろいろな楽しみが待っていますね。
添付画像、興味深く拝見させていただきました。
(^^)v
お元気で、お散歩されてるとの事 さすがですね ❢
知らない道を歩くワクワク感が伝わってきます
無理せず、お楽しみくださいね
そして素敵な街並み風景を
昨夜の西郷どん、チョッと時代が進みましたね
先週の放送が 次のステップを案内してくれてたんでしょうか
西郷どんの顔つきが変わってきたのも見ものです
ふきさんも出てきて懐かしいです