安倍晋三はパチンコとの付き合いが大好きである。とは言っても、パチンコ屋で球を打つことでは無い。実弾に困ったときにパチンコ玉を扱う経営者との付き合いが大好きなのである。実は晋三のパチンコ好きは実父の晋太郎の代からの血統的な性癖からのものからと我は推理するが間違っているだろうか?
「吉本氏は四十五年前に父が国会選挙に出た時からの付き合いで、父が外務大臣の時、韓国に同行した」(「統一日報」2002年5月1日)
此れが本当に安倍晋三から出た言葉か如何かは、先ず「『統一日報』2002年5月1日」に此れが書かれていたのが事実か如何かである。本当ならば、父晋太郎が吉本氏と単なる知り合いだけ以上の関係だったことが証明される。
ではこの吉本氏とは何者で、二人が韓国に行ったのは何の為だったのか?
此の時、吉本氏は韓国から国民勲章「無窮花章」を受賞する為に安倍晋太郎を同行して韓国に行ったのであり、在日韓国人社会の重鎮でもある。吉本氏は既に故人であるが、下関で最大手のパチンコ業者で、親会社の七洋物産は福岡、山口で多くのパチンコ店を経営している其の創業者の在日朝鮮人であった。
安倍晋三首相の自宅と事務所は元々東洋エンタープライズの所有で、安倍家は其れを賃借する形だったのだが、其の家賃について当時、同社は取材に対し「両方あわせて月に約二十万ー三十万円」と答えている。此れは自宅と事務所併せると相当の財産価値に見合う賃料とは言えず、幾ら地方都市とは言え、20,30万円というのは在り得る安さでは無い。
自宅は1990年に東洋エンタープライズから安倍晋太郎に所有権が移転されているのだが、その際、抵当権がついた形跡が無いことから無償譲与の疑りが囁かれている。安倍事務所は福岡にもあったのだが、1980年から1986年の6年間、此の事務所とスタッフを東洋エンタープライズの親会社の七洋物産が無償で提供していたことも分かっている。
父親の慎太郎との癒着としか言いようのない関係は、安倍が国会議員になってからも変わら無かった。七洋物産からは毎年、政治献金が提供され、安倍の選挙区の後援誌の会報には毎号、東洋エンタープライズの広告が掲載されていた。
安倍は下関のパチンコ御殿を1991年を相続し、事務所についても、同社からの賃貸を続けた。安倍が下痢を理由に第一次安倍政権を放棄したのは、実は相続税の無払いの件が週刊誌に暴かれることを回避する為のギリギリの選択であったと言われている。
「吉本氏は四十五年前に父が国会選挙に出た時からの付き合いで、父が外務大臣の時、韓国に同行した」(「統一日報」2002年5月1日)
此れが本当に安倍晋三から出た言葉か如何かは、先ず「『統一日報』2002年5月1日」に此れが書かれていたのが事実か如何かである。本当ならば、父晋太郎が吉本氏と単なる知り合いだけ以上の関係だったことが証明される。
ではこの吉本氏とは何者で、二人が韓国に行ったのは何の為だったのか?
此の時、吉本氏は韓国から国民勲章「無窮花章」を受賞する為に安倍晋太郎を同行して韓国に行ったのであり、在日韓国人社会の重鎮でもある。吉本氏は既に故人であるが、下関で最大手のパチンコ業者で、親会社の七洋物産は福岡、山口で多くのパチンコ店を経営している其の創業者の在日朝鮮人であった。
安倍晋三首相の自宅と事務所は元々東洋エンタープライズの所有で、安倍家は其れを賃借する形だったのだが、其の家賃について当時、同社は取材に対し「両方あわせて月に約二十万ー三十万円」と答えている。此れは自宅と事務所併せると相当の財産価値に見合う賃料とは言えず、幾ら地方都市とは言え、20,30万円というのは在り得る安さでは無い。
自宅は1990年に東洋エンタープライズから安倍晋太郎に所有権が移転されているのだが、その際、抵当権がついた形跡が無いことから無償譲与の疑りが囁かれている。安倍事務所は福岡にもあったのだが、1980年から1986年の6年間、此の事務所とスタッフを東洋エンタープライズの親会社の七洋物産が無償で提供していたことも分かっている。
父親の慎太郎との癒着としか言いようのない関係は、安倍が国会議員になってからも変わら無かった。七洋物産からは毎年、政治献金が提供され、安倍の選挙区の後援誌の会報には毎号、東洋エンタープライズの広告が掲載されていた。
安倍は下関のパチンコ御殿を1991年を相続し、事務所についても、同社からの賃貸を続けた。安倍が下痢を理由に第一次安倍政権を放棄したのは、実は相続税の無払いの件が週刊誌に暴かれることを回避する為のギリギリの選択であったと言われている。
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