Wikiより抜粋
「当時の北支は国民政府による搾取や重税から北支の諸軍閥や市民の中で不満が高まると共に満州の急速な発展を目の当りにし、蒋介石の影響力は後退、1935年6月には白堅武が豊台事変を起こし親日満政権を樹立を図ろうとクーデターを起こしたが失敗、10月には国民党の増税に反発し農民が蒋政権・国民党を否認、可憐誅求に反発し[自治要求を求め香河事件が発生するなど河北省・山東省・山西省などで民衆の政治・経済的不満が高まり、自治運動が高まってきていた。
1935年11月、中華民国政府では英国の支援のもと幣制改革が行われ、銀本位制・通貨管理制を導入し現金回収が行われたがこの時、北支将領は現金の南送を拒否するなど中央からの離脱傾向にあった。」
中国大陸は多くの民族がそれぞれの地区で暮らしていた歴史がある。日本とは違うのである。北支の満州人からすれば、国民軍は外夷であり、搾取である。一面、関東軍は満州人を保護したとも言えるのだ。
関東軍を単純に北支の侵略者だったと決め付けることは出来まい。解放者であった側面を見逃してはならない。満州人でもない当時の北支の侵害者であった漢人?が、柳条湖事件を日本軍侵略の日など騒ぎ立てるのは盗人猛々しい。満州事変で、日本は誰に対して加害行為をして、誰が被害者だったのだ。被害者は漢民族か?後に、傀儡王朝とは言え、北支那の民族満州人の国である満州国を滅ぼしたのは、どの民族だ?
中国は日本のように島国で粗単一民族の国と違い、欧州のように他民族の寄り添う大地域なのだ。
何でもかんでも敵国の煽りに乗って自虐史観で自国を攻めるのは全くの国賊行為だ!
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