魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

小野田寛郎元少尉が書かれた英霊鎮魂破棄への慙愧

2012-02-12 22:20:02 | 愛国

小野田寛郎元少尉が書で下記のように記述しておられます。

 <国のために死んだら靖國神社に御祀りするというのは、戦争で死んだ者たちとの約束です。それを国が護持しない、別の施設を作る、などというのは、借金を返さないよりももっとたちが悪い。

 死んだ人に嘘はつけない、というのは、日本人の良心です。死んでしまったからもういいんだ、約束は流してしまっていいんだ、などというのはとんでもないことです。

 中国人にはわからないかもしれないが、決して死んだ人との約束を違えてはならない、死者に鞭打つようなことはしてはいけない、というのは日本人の古来の感情ですよ。

 略)

 小泉総理が、若者たちは「心ならずも」戦争に行かされて、戦死したような言い方をしましたが、とんでもないことです。

 既婚者は、家族を遺して死ぬ事に心残りもあったかもしれないけれども、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたって仕方ないのですから。これは何処の国だって同じでしょう。命がなくなる事は覚悟していた。

 略)

 私たちだけでない。みな若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?

 だから、彼等は死んで私達に恩恵を与えてくれる神様なんです。独身者は、親兄弟がしんだら、もう御祀りしてくれる人はいません。でも靖國神社がある。国のため戦死した人を国が祀ることは当たり前で、これは、日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。

 日本人はそれさえわからなくなってしまったのか、と思います。>

(中條高徳 小野田寛郎 共著 WAC 平成十六年刊)P百四十六~百五十


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