小野田寛郎元少尉が書で下記のように記述しておられます。
<国のために死んだら靖國神社に御祀りするというのは、戦争で死んだ者たちとの約束です。それを国が護持しない、別の施設を作る、などというのは、借金を返さないよりももっとたちが悪い。
死んだ人に嘘はつけない、というのは、日本人の良心です。死んでしまったからもういいんだ、約束は流してしまっていいんだ、などというのはとんでもないことです。
中国人にはわからないかもしれないが、決して死んだ人との約束を違えてはならない、死者に鞭打つようなことはしてはいけない、というのは日本人の古来の感情ですよ。
略)
小泉総理が、若者たちは「心ならずも」戦争に行かされて、戦死したような言い方をしましたが、とんでもないことです。
既婚者は、家族を遺して死ぬ事に心残りもあったかもしれないけれども、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたって仕方ないのですから。これは何処の国だって同じでしょう。命がなくなる事は覚悟していた。
略)
私たちだけでない。みな若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?
だから、彼等は死んで私達に恩恵を与えてくれる神様なんです。独身者は、親兄弟がしんだら、もう御祀りしてくれる人はいません。でも靖國神社がある。国のため戦死した人を国が祀ることは当たり前で、これは、日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。
日本人はそれさえわからなくなってしまったのか、と思います。>
(中條高徳 小野田寛郎 共著 WAC 平成十六年刊)P百四十六~百五十
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