魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【蟻の一穴と集団的自衛権】

2015-07-05 15:21:24 | 法律考
 「蟻の一穴」と言う言葉がある。意味は、「どんなに堅固に築いた堤でも、蟻が掘って開けた小さな穴が原因となって崩落することがある、ということを表す語。一般的に、どんなに巨大な組織でも、些細な不祥事が原因となって、組織全体を揺るがすような深刻・致命的な事態に至る場合がある、といった意味の格言として用いられる。 」と言うことだ。

 そも々憲法前文に、「日本国民は、・・・、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」とあり、「政府の行為によつて」二度と戦争は起こさ無いと宣言しているのだ。「政府」とは、政治を行う機関のことで、現行憲法では,行政権の属する内閣または内閣とその下にある行政機関の総体をいう。広義では,立法・司法を含む国家の統治機関を意味する。

 「政治」とは、国家及び其の権力作用に関る人間の諸活動を言うが、広義には,諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整することにもいう。すると、「政治を行う機関」とは、国家及び其の権力作用に関る人間の諸活動を行う国家において,意思決定やその執行の為に設けられた者または組織体と言うことに成る。詰まり、国の権力作用に関る機関、国会、内閣、司法総て「政府」の属員である。

 前文「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」とあり、「国会での決議」も、「政府の行為」に含まれることに成る。よって、戦争をするか、し無しか如何かを先ず内閣で決めて、此れを国会に諮り、賛同の決議を得たとしても、憲法前文からすれば、此の決議は「国民の行動」とは看做され無い。

 「蟻の一穴」の話を蒸し返すと、日本国憲法が絶対的戦争反対を謳っていたとすること自体。憲法学者も憲法前文を善く読み込んで無いと言うことである。法律の解釈は其処に書かれている文言を見落とすこと無く、私観を入れず素直に読み込ま無ければなら無いものである。憲法学者も政治家も多くの国民も前文の「諸国民との協和による成果と、」や「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」を見事に欠落させて読んでしまっているのだ。

 憲法前文は、後に続く条文の基本思想を示し、解釈基準である憲法の根本規範なのである。

 日本が平和を護り、二度と戦争が出来無いとすることも、一定の条件があり、憲法が言っていることは、日本以外の諸国が平和を崩す暴挙を我が国に及ぼした場合まで、第9条を尊守巣べきであるものでは無いのだ。
 こうした前提を無視して、戦後長い間、日本の戦争行為は絶対的真理と捉え、最近漸く自衛権は認められるとしたことで、「集団的自衛権」迄、憲法に適合するとする論に「蟻の一穴」を開けて仕舞ったのだ。

 以上の様に、解釈して行くと、我が国の平和を乱す暴虐を他国に及ぼされた場合は、「われらの安全と生存を保持しようと決意した。」のであり、不戦の決意で護るべきは、飽く迄「われらの安全と生存の保持」なのである。従って、如何なる場合に置いて「われらの安全と生存」が脅かされるものかについては、主権者である「国民の合意」が必要なのであるが、此れは言い替えれば「国民の合意」があれば、今日騒然と成っている戦争に対する議論紛々も、何も憲法改正など必要無いのであり、此の問題限定の特別処置法を作って国民投票を実行し、国民に是非を問えば良いのである。

 此れさえ避けるのであれば、安倍政権は強引過ぎる全体主義の強要としか看做され無い。

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