魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【「東朝鮮国」の祭典を祝う馬鹿げたことだけは、しては成ら無い。~佐野エンブレ】

2015-08-24 15:50:16 | 半島族
 佐野研二郎一派の鮮人モメンの盗作エンブレの言い訳として、「デザインの『盗作』と言うなら原作者の『個性』の模倣が無ければならず、単なる『発想(=アイデア)』の借用は倒錯に成らぬ。」と言い訳していたが、此の言い訳の発源の根拠は何処に求めたことか?

 広告代理店の仕事を続ける中でジェームス.W.ヤングは、新しい「アイデア」を継続的に生産し続ける必要があった。その生産方法を公式化して発表した書が、初版を1940年に出版して、途中改訂はしたものの、数十年間売れ続けている「知的発想法」のロングセラーである「アイデアのつくり方」という書である。ヤングによれば「アイデア」作成の基礎となる原理とは

〇アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
〇 既存の要素を新しい組み合わせに導く才能は、物事の関連性を見つけ出
す才能に依存するところが大きい

という二つであるとしている。また、後者の才能は訓練で向上させることが可能である。ヤングは“ 訓練の方法 ”として社会科学の書籍を読むことを勧めている。

 アイデアの実際の生産は5つの段階を経由して行われる。

①データ集め
②データの咀嚼
③データの組み合わせ
④ユーレカ(発見した!)の瞬間
⑤アイデアのチェック


以上より、鮮人モメンの言い訳は、ヤングの此の書から“盗用”?したものであろうが、此のヤングの言っていることが「意匠」で飯を食えている輩の言い訳として認められるものなのか?

 「エンブレ」は「デザイン」であり、法的には所謂、「物品の形状,模様もしくは色彩またはこれらの結合であって,視覚を通じて美感を起こさせるもの」を言う「意匠」である(意匠2条1項)。「エンブレ」は、形、色、模様などを検討工夫することによって出来た「装飾」、「デザイン」等であり、佐野のエンブレの盗作疑惑は、「物品の形状,模様もしくは色彩またはこれらの結合(=組み合わせ)に於いて、形状と使った夫々の形状の個数とそれらの組み合わせの『同一性』」を指摘したものである。

 さて、「個性」とは、その人の持つ独特の性質(=独創性)である。鮮人モメンは「私のデザインは『抽象』的デザインであり、『抽象』なデザインに類似性が出るのは『模倣』で無い。」と言い切って居るが、例えば、抽象画の世界では、独創性が無ければ認められ無い。ピカソが良い例である。更に、発想(=デザイン)には独創性があるから価値が認められるのであり、“此れ”が無ければ態々大金を出して“デザイン”を“デザイナー”に頼むかと言う問題に成る。

 従って、佐野は多くの人から模倣の指摘があった以上、居直らず潔くエンブレを撤回すべきである。此れだけ世間が大騒ぎさせたらば、此れ以上御涅るとオリンピック等止めろとの大合唱が起こり兼ねない。


 此の捏造騒動ばかりでは無く、今回のオリンピックに絡んでは、異常な不可解が多過ぎる。エンブレが在ったにも関わらず、何時の間にかそのエンブレは、「招致エンブレ」と名付けられ、接頭語に「招致」が付けられ、制服のデザインも、まるで朝鮮王朝の門番の制服にそっくりである。招致の時の法被で良かったのだ。然も、競技場建設に関わる建設費算出の出鱈目。

 我には鮮人賊が日本の東京オリンピックを乗っ取って、膨大な血税を貪る為に利用とているとしか考えられ無い。此れだけケチを付けられて終ったのであれば、最早祭典等と喜ぶ気も失せる。調べれば、JOCの役員達も如何も鮮人賊が多く入り込んでおり、各競技分野の会長や役員達も同様で、奴等が選出した選手も何処と無く日本民族の匂いがし無い。


 日本民族が莫大な血税を負担して支援して、その実、「東朝鮮国」の祭典を祝う馬鹿げたことだけは、しては成ら無い。


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