安倍晋三の祖父安倍寛の妻は晋三の父晋太郎を生むと僅か80日後に寛と離婚し元興銀の会長西村正雄の父謙三と結ばれた。従って、晋三にとって正雄は種違いの叔父ということになる。謙三の兄弟には水戸黄門を演じた西村晃がいる。謙三と晃の父は西村真琴であるが、Wikliでは、真琴の「次男は俳優西村晃。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E7%9C%9F%E7%90%B4と書かれている。処が、
「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
西村謙三 1861-1937 大正-昭和時代前期の教育者,郷土史家。
文久元年9月13日生まれ。西村真琴の次男。各県の中学の教諭,校長をへて,郷里佐賀の成美高女校長をつとめる。・・・」☚西村真琴には次男が二人もいるのか?
西村真琴は東筑摩郡里山辺村(長野県松本市)出身の生物学者である。満洲で小学校長を数年務め、奉天南満医学校で生物学教授を勤めている。実子?次男は俳優の西村晃である。「実子?次男」が晃で謙三は?
西村真琴は1883 - 1956年、西村謙三は1861-1937年、西村晃は1923 - 1997年、西村正雄は1932年☚何だ此れゃ?
安倍寛は1894年 - 1946年、安倍晋太郎は1924 - 1991年
阿部寛の妻静子は晋太郎が生まれて直ぐに63歳の謙三と一緒に成り、謙三がが71歳の時、静子は正雄を生んだことになる。況してや、西村真琴の次男が二人居て、其の一人である謙三は何と父親の真琴より、22歳も歳上である。謙三が真琴の父の様な不思議さである。
斯様に政治屋等著名人の出自や系譜や経歴等として書かれて公表されてものには、常人には付き合い切れ無い可笑しなものばかりである。
さて、此の様な可笑しさは、著名人が隠したかったり、誤魔化したい事実があるからであろうか?
実は「満洲で小学校長を数年務め、奉天南満医学校で生物学教授を勤めている。」が、此の可笑しさを解く鍵と成る様だ。
「満州時代から色々経て真琴は、大阪毎日新聞論説委員兼学芸部顧問となる。 同社の社会事業部長として全日本保育連盟を結成の際その理事長となって、保育事業の拡充強化に努め、幼稚園の義務制を訴え、「日本のフレーベル(ドイツの教育者)」といわれた。 その後、民国窮民孤児援護会、隣邦児童愛護会などをつくり幼児教育に尽くした。加えて、'39日中戦争での戦乱の中国に医療奉仕団を率いて乗り込み、軍部の反対を押し切って68名の中国人孤児を日本で引き取り育てた。」☚こう見ると、西村謙三は満人か朝鮮人?だったか、当時、71歳で子を造れたか?また、未だ恐らく20歳代と若かった静子は、63歳の爺に寝取られたのか?
今後は、我の此の記事を見て奴等も辻褄合わせに必死になり、虚実が見分け難く成るのだろうか?
※我は極端に面倒臭がりなので文章の見直し校正は滅多にし無いので、誤字脱字誤変換はお知らせ願いたい。若しくは、適当に解釈されたい。
斯くの如く、下手したら、明治は愚か江戸時代からも鮮人等異民族は入り込んでいる。日本の政界や財界には多くの異民族が中枢迄入り込むと言うより、入り込ませていた。明治維新の志士達が一体何者だったか想像に難く無い。
続く。
最新の画像[もっと見る]
- 【接道整備路線道路は『公道』】 2日前
- 【接道整備路線道路は『公道』】 2日前
- 【接道整備路線道路は『公道』】 2日前
- 【接道整備路線道路は『公道』】 2日前
- 【今や接道を〇〇接道義務者の専用道路】 3日前
- 【阿蘇市義興首長は国法と条理を無視する嫌がらせ「裁量権」は御法度】 1週間前
- 【阿蘇市義興首長は国法と条理を無視する嫌がらせ「裁量権」は御法度】 1週間前
- 【阿蘇市義興首長は国法と条理を無視する嫌がらせ「裁量権」は御法度】 1週間前
- 【接道整備道路全景】 2週間前
- 【接道整備道路全景】 2週間前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます