魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

誤った歴史観を以って行政の売国行為を正当化してはいけない。その1南京大虐殺

2012-04-18 22:06:40 | 歴史

中国史から見た「南京大虐殺」は、実に凄まじいもので、東晋時代の王敦によるもの以来、南京大虐殺は王朝交代や内訌、内乱のたびに発生し、 多くの城民が殺されてきた。就中、南朝時代の宋のときは、皇族間の殺し合いだったため、皇族一族は断絶した。
梁の時代の候景による南京大虐殺は史上最多の死者を出し、日本軍の「百万虐殺」説は、これのコピーではないかとも思われる。
南朝の中で、官軍王僧弁軍の南京への逆襲やら、隋の陳王朝攻滅の大虐殺も有名だ。隋以降、南京城は一事廃城にもなった。
 その後も「南京大虐殺」は続き、十九世紀にも、太平天国の乱における曹国センの大虐殺、二十世紀に入ってからは、辛亥革命直後に張勲による大虐殺が起こった。曹国センの大虐殺当時、天京(南京)から財宝を搬出する車列は延々三ヶ月間も続いたと、趙烈文の『能静居士日記』に記録されている。
 このように「南京大虐殺」は、中国で騒乱があるたびに欠かせない、いわば中国史の恒例行事のようなもので、もちろん大虐殺は、南京だけにとどまらず、長安、洛陽、開封、北京、揚州といった都市でも、歴代王朝の交替、変動のたびに行われていることは、『史記』をはじめとする「二十五史」など、この国の正史がはっきりと記録するところだ。
 つまり中国の史例をモデルに創作されたのが、日本軍による「南京大虐殺」であるというのが、私が中国史研究を通じて得た結論である。
 もちろんこれまで上梓された、優れた「南京大虐殺研究」からも、少なからざる教えを受けてきたが、今回私は松尾一郎氏の『プロパガンダ戦「南京事件」』のゲラを読み、これが真相の解明に対し、実に多くの示唆に富む研究成果であることを知った。またことにニセ写真の分析に精力的に取り組むなど、事件究明の上で実に核心をついている。
 本書の上梓によって「南京大虐殺」の嘘の解明がさらに進むことを期待するとともに、これがより多くの人に読まれ、歴史の真実が広く伝えられることを願ってやまない。

プロパガンダ戦「南京事件」 秘録写真で見る「南京大虐殺」の真実 平成十六年一月二十一日 光人社

※支那軍が中国民を大量に虐殺して行く後を追い日本軍は中国民への救済策を遣っていた。歴史の繰り返しとして中国では、いざ戦いとなると両軍とも民衆の大量殺戮を繰り返して来た。

 一例を挙げれば、日中戦争の最中、中国軍は日本軍を壊滅せんとして大河の堤防を決壊させ多くの民を巻き添えにしてしまい大量の死者を出し、生き残った中国民は窮地に追い込まれたが、其れを救ったのが日本軍であったのだ。

 更に、中国では敵軍が強しと見れぱ、占領していた城内を焼き払い、城内の民が敵軍と結び付かないように、此れも惨殺し尽くして来た。当時の支那軍も逃げるとき、此れに倣って城内の民を殺しし捲くった罪を日本軍に擦り付けて日本軍に因る「南京大虐殺」の虚構を造り上げたのだ。

 日本軍が南京に入城したときのフィルムを観ると、既に彼方此方に中国民の死体が転がっていたのであり、中国側の嘘は一目瞭然なのである。この虐殺は国民軍の支配下にあた北軍の仕業であることは、終戦後、満州に残った数千の日本人慰留民と帝国陸軍の残党兵が共に国民軍に味方して北軍と戦い、悲惨な皆殺しにあったことから充分伺えることである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿