日本では1986年(昭和61年)12月からのバブル景気(平成バブル)が始まった。 1992年(平成4年)8月30日、宮澤首相は軽井沢における講演で、初めて「金融機関への公的資金の導入」に言及したが、大蔵省をはじめ金融機関、経団連などの財界、マスコミが猛反対に遭い断念した。
世界中でバブルは起きて居るが、其の原因は信用収縮である。詰まり、需要の低迷である。 「金融機関への公的資金の導入」は1996年(平成8年)に橋本内閣で初めて住専に6,850億円の公的資金投入が決定された。
後、1998年(平成10年)小渕内閣の時、「金融機能の安定化の為の緊急措置に関する法律(金融機能安定化法)」及び「金融機能の早期健全化の為の緊急措置に関する法律 (金融機能早期健全化法)」に基づき、金融システムの安定化を諮る観点から、金融機関に対して行われた。
住宅金融専門会社(住専)の処理を審議した国会(住専国会)で、公的資金投入に国民的批判が高まった。此の為本格投入が遅れ、1998年からの金融危機や「失われた十年」を招き、結果として公的資金の投入規模が膨らんだと指摘。サブプライムローン問題が発端の平成20からの世界金融危機では、米国が最大7000億ドルの公的資金枠を設け銀行、保険会社、自動車会社等に資本注入や投融資を実施。英、仏等多くの国が公的資金の投入を決め、日本も、新しい金融機能強化法で金融機関向けに12兆円の公的資金枠を用意し、更に、政府・日本政策投資銀行が経営不安定な民間企業に出資制度も設置。
立派に被〇〇〇出身の竹中蔵が世に出たのは、日本船舶振興会(現日本財団)の交付金で設立された基本財産397億円のシンクタンク「国際研究奨学財団(1999年から東京財団に改組)」の理事に1997年(平成9年)に就任。所謂、バックには笹川財団。
他人の論文を盗用したのがバレたり、博士号論文の余りの痴劣さに呆れさせたりした此の瞞着は、マイノを優遇する大阪大学で漸く博士号を取った詐欺師。 奴が表舞台に出れた単に天才詐欺師能力の成せる技。
初めて正式に政府のブレーンを繕って出て来たのが1998年、小渕政権の経済戦略会議の民間委員としてだった。この98年に、不良債権問題で都市銀行などよりも格の高い銀行として認知されていた日本長期信用銀行が、経営破綻した。
初めて正式に政府のブレーンを繕って出て来たのが1998年、小渕政権の経済戦略会議の民間委員としてだった。この98年に、不良債権問題で都市銀行などよりも格の高い銀行として認知されていた日本長期信用銀行が、経営破綻した。
同年、銀行を監督する大蔵省(現在の財務省)も接待汚職事件を起こした。100人を超える大蔵官僚が省内で処分を受け、大蔵省の威信は失墜した。日本の基礎的支配体制が音を立てて崩れ始めたことを奇貨として、此奴は政治の表舞台に登躍り出れたのである。
雅に此れ等の不祥事を逆手に取って、構造改革、規制緩和が工作されたのだ。 此れ以降、今日迄日本破壊推進の真芯に此の毒が根を貼って居るのだ。
>>https://youtu.be/9sb_mfoeQUU ☜嘘吐き: 安倍・竹中路線
日本民族には絶対見られ無い半島耳朶 人差し指と中指で皿を挟む朝鮮食い
☝左は萩生田正雲
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