重慶で父子同行して軍事訓練する
1939年3月、蒋介石は成長させようと、重慶で軍事訓練え始めた。経国は素直に従い、父子2人は殆んど一緒に行動し、重慶での経験は父子2人が一緒に行動した唯一、一番長い時間を持てたのだ。
蒋介石はこの時のことを日記に何度も書き込んでいる。3月30日には次のように書き込でいる:“午後は仙人洞に行って南温泉に入った”、4月4日記載“一時散歩をした”、4月6日、“三人でピクニックに行くことを約束した”等々。如
彼には5月に省みて記録したことがある:“今回は月に二回ほど休みながらの一月の訓練なのだが、彼の論理は驕り高ぶったこともなく一貫して理路整然としていることが分かり、満足いくものであった”。溪口を離れて以後の蒋経国には視るべきところがあり、父子が一緒に暮らすことが多くなったことで、蒋介石は息子の考え方も日に日に深く分かって理解出来るようになったので、父子の間の愛情がより深まった。
然し、蒋介石の経国についての記述は彼の言動面を重ねるに留まり、緯国についての記述と較べて経国の感情面を細かく分析したものは少ないのだ。1938年10月南昌会戦の前日の夕方、蒋介石は南昌で将校達に謁見したが、経国は?州を経て南昌の父に会いに行った。父子は顔を見合わせるや、存外の喜びを表したが、蒋介石はこのときの詳細を余り詳しくは書いてない:“南昌では相歓談することになった”然る後、筆鋒一転させて書き込む:“未だに手紙も電信も無く、其の心身と者安否が気掛かりでならなかった”。其の行間には言い知れぬ特別な思いが読み取れる。
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