魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

魂魄の宰相 第四巻の四の②

2007-11-04 08:24:23 | 魂魄の宰相の連載

守旧派は一方で「祖法を直してはいけ無い」と声高に叫んで、一方でまた司馬光に対して直前の神宗の法を廃棄して仕舞ったことを称賛して、其の遣り方は「大いに人受けが良かった」が、人々の心根は一体何処にあったのだろうか?見たところ彼らは変えなければならないことも変えたがらず、立場も確固たるものを持っていず、彼らの私利を犯す変化を拒み、彼らの利益を損なうような変化を嫌い、徹底的に排除したが、利が在れば、一日も間を空けず、直ぐ身を翻したのだ。

守旧派は「変法に反対して百害在って利無し」と吹聴し、司馬光は「天下を家屋に置き換えて例にとると、考え無しに改築した為に却ってがたがたにして仕舞う様に、天下を悪い方に大きく変えた」、詰り、利益を損なうことの無い限りに措いて法律(制度)は漸く変えることが出来るのであって、万に一つの失敗も無い時のみ法律(制度)を変えることが出来るのであって、余りに酷く収拾がつかない時に漸く改造出来るのであって、甚だしきに至っては家屋と雖少しぐらい痛んでいても思い付きで改築することは軽率で、腕の良い職人が居るか、良い材料があるかどうかを見極めなければ為らず、そうで無ければ近くに部屋を造って壊した方が得策というもので、そのような段取りもし無い儘に改築すれば、古い家さえ無くして仕舞い、風雨を凌ぐことも出来無く為って仕舞うのだと屁理屈を言ったのだ(今の日本では一理も二理もある)。

   守旧派は新法を進めても自分達には利を齎し、少なくとも無害であるようにしたい為、万に一つも失敗の無い様に慎重に扱うことを要求し、万に一つも如何なる失敗も許さず、元来の変革を進めることには極めて消極的で、天下が滅茶苦茶な大乱に成ってさえなければ、雨露さえ凌げるのであれば部屋を近くに求めて壊して仕舞うようなことはせず、場合によっては、譬え成功が予測されても変化を好まず、外敵が侮り暴れて民衆が苦しんでいようが、何も心配することは無く、我慢の範疇に属することで、更に恥じの上塗りをして、媚び諂って、領土を割譲して賠償しても、如何ってこと無く、天下が姓を改め無いのでさえあれば、彼らは自分達の切実な利益が損害を受け無いのでさえあれば、全てが上手くいっていると言うことであったのだ。これが守旧派の哲学だ(全く、現代の日本の狡賢き錬金術士そのものではあるが、王安石の改革は弱いもの達の味方だった)。

先王の道は可変的でなければならなかったのに、現行の法と先王の法が肝心な点で決定的な差があり、なかなか変化していかなかったのであるが、時につれて社会は変化するもので、法令もその変化を反映して必ず改変されていかなければならないとして、王安石などの変法派は時代の流れに従って法の改変を考えていたのだ。呂恵卿は先王の法も毎年変えるべきものもあり、五年毎に変える必要のものもあり、三十年毎に変える必要のものもあれば、一方百年も永遠に不変でなければなら無いものも有るのであって、政令と法制はこと在る毎に必ず変えていくものであり、倫理道徳などは永遠に不変のものである(現世の混乱は普遍的価値観を持って無いことに拠る)。呂恵卿の思考形式は、今日の標準的な思考形式とは言い難い部分もありはしたが、変化していくということについては普遍の合理性をもつものであった。

変法の是非は成功するか失敗するかにあるのでは無く、唯懸命に新しく変わることを求めるこの一点だけで法の価値を測るべきであり、雅に、変法派の役割は其の価値に値したのだ。守旧派には価値を認める処を探すのが難しく、旧習を徒に頑固に護るばかりであり、この一点に固執する余り変化に否定的で敢えて時代の変化に対応する勇気も無かったのであった。変化があっても伝統を護る旧習は、恐らく今尚儒家には巌然と存在し、中国に成っても緩慢な発展しかし無いことの一つの根本的な原因を為しており、この事実に注目し改めて考え直されなければならないことであるのだ。残念乍此れは亦一つ仮定のことと為って仕舞ったのだ

双方の論争に於ける二番目の焦点は義利の問題に関連したものであった。

守旧派は、「君子は義をもって諭し、小人は利をもって諭す」とし、義と利について論じることは君子と小人を論じることで、義を言う者は君子で、小人は必ず利潤に重きを置くものだという孔子の故事を堅持して義と利を切り離して語った。このような考えに基礎を置くと、積貧積弱は功徳となり、富国強兵なぞは却って罪過になって仕舞うのだ。

  守旧派が変法派に対して与えた罪名は「征利」と「富国強兵」だった。司馬光《与王介甫第一書》で孔孟の言葉を大袈裟に引用し、力は利の病と箴言し、王安石は「利に敏く」、「大いに利財への関心を誘う」と攻撃し、均輸法を施行し商売によって齎された利益を吸い取り、青苗法をちらすかせ農民の息を停め、このようなことでは儒学の思想が破壊されて仕舞うので、罪名は重いものであるとした。

範純仁も何度も上書して、王安石が「小人にして、専ら利財の獲得を盛んにしている」と攻撃し、「功を焦って、中国固有の伝統的な学術を忘さす。人心を安定させる道を知る尭と舜を捨てて、五覇の富国強兵の術を語る。尚、法令は孟軻に背き商鞅の利財を量って語り」、其の手法は中国固有の伝統的な学術を忘れた王安石の進める先王の道では、却って功利を求めることに成り、王道を捨てて覇道を講じ、富国強兵を目標にしているとした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿