我が安倍晋三の憲法改正に反感を持つのは、「国家は国民の為に存立するものである。」と言う大原則を無視する獅子身中の虫だからである。何度も繰り返していることだが「国家とは『相互扶助の構成員(=国民)の運命共同体』である。」に異論を挿める者は居無いが、安倍晋三の政治手法は自身の政治的信条や思いを全面に出し、政治屋が「政治に関する国民の代理人」でしか無いという「政治の大原則」を無視する危険な輩である。
憲法改正の手続きには,英国の様に特別に厳格な手続きを必要とせず,通常の立法手続きで改正出来る「軟性憲法」が在るが、憲法は一口で言えば「物事の大原則となる約束事」の条文化であり、革命でも無ければ時代の変遷に影響され無い「簡潔明瞭で永続性を持つもの」でなければならない。
国家の構成員で在る国民が時々刻々と変化する様な国では、其れは最早国家としての存立意義と持続性を否定することに成る。日本国は興国の時点より、民族の混合は皆無と言える程無かった。少なくとも、一時の他民族地の併合の時期を除いて。
国家は「国民自体」であり、日本は我が日本民族が建国の時より悠久の歴史を経て今日の日本を形造って来た国であり、此の事実は何者も否定できるもので無い。
仍って、永続性を持たす「改正憲法」は簡潔明瞭に「我が日本は、国民を『日本民族』の単一民族国家として永遠に存続し、政治の本質は国民主権に在り、国民は我等と我等の子孫の福利向上に全力を尽くすことを高らかに宣言する。」との一文を以って成文を完結させるべきである。
憲法改正の手続きには,英国の様に特別に厳格な手続きを必要とせず,通常の立法手続きで改正出来る「軟性憲法」が在るが、憲法は一口で言えば「物事の大原則となる約束事」の条文化であり、革命でも無ければ時代の変遷に影響され無い「簡潔明瞭で永続性を持つもの」でなければならない。
国家の構成員で在る国民が時々刻々と変化する様な国では、其れは最早国家としての存立意義と持続性を否定することに成る。日本国は興国の時点より、民族の混合は皆無と言える程無かった。少なくとも、一時の他民族地の併合の時期を除いて。
国家は「国民自体」であり、日本は我が日本民族が建国の時より悠久の歴史を経て今日の日本を形造って来た国であり、此の事実は何者も否定できるもので無い。
仍って、永続性を持たす「改正憲法」は簡潔明瞭に「我が日本は、国民を『日本民族』の単一民族国家として永遠に存続し、政治の本質は国民主権に在り、国民は我等と我等の子孫の福利向上に全力を尽くすことを高らかに宣言する。」との一文を以って成文を完結させるべきである。
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