魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【昔日の悲しくも元気だった日本文化遺産として残したかった[東雲楼]】

2015-12-22 10:44:35 | 歴史
 漢字で「東雲」と書くのは、「東の空」からの当て字。語源は「篠目」とされる。「篠目」は、古代日本の家の明かり取りの役目をしていた洗い網目の部分を「目」といい、其の材料として「篠竹」として使われていたことに語源とされている。
 「篠目」が「明り取り」を意味する様に哉、其れが「曙の薄明かり」や「曙其のもの」と成って「東雲」と転じて言われる様に成った。

 楼閣は泊まりの客が明方迄遊んで行くの熊本の「東雲楼」は此の名を付けたのだろう。

 東雲楼が全国的に有名になったのは、何と言っても女郎のストライキを謳った「東雲節」である。

<ストライキ節 (東雲節)>
 ♪ 何をくよくよ 川端柳 コガルルナントショ
    水の流れを 見て暮らす 東雲のストライキ
     さりとは辛いね *テナコトオッシャイマシタカネ*

 ♪ 三十三間堂 柳のお柳 コガルルナントショ
    可愛いみどりが 綱を引く 住吉の街道筋
     よいよいよいとな *くり返し*

 ♪ どんど どんどと 流れる水は コガルルナントショ
    どこの 何処で止まるやら 東雲のストライキ
     さりとは辛いね *くり返し*

 ♪ 丸い卵も 切りよで四角 コガルルナントショ
    物も言いよで 角が立つ 東雲のストライキ
     さりとは辛いね *くり返し*

 【解説】
   曾根平太郎と妻、お柳とみどりの事を題材にしている。
   お柳は柳の精で かつて平太郎に助けられ 今は人間の
   姿になり妻となっている。
   白河院の病気回復の為紀州の山奥にある 柳の大木を伐り 
   三十三間堂の棟木にしようとしている事で お柳は姿を消し
   和歌の浦に引かれてゆく。
   途中で動かなくなった大木が 平太郎、みどりに引かれ無事に
   都に運ばれた。

   後、「ストライキ節」となった。
   娼妓のストライキから取られており、元唄の歌詞は高杉晋作の
   作と伝えられている都々逸の文句をそっくり使っているという。

※ 「江戸端唄・俗曲の試聴と紹介」>>http://sasakimikie.seesaa.net/article/72427179.htmlから引用

 名古屋の「東雲」を題材とされたと言われるが、熊本の東雲楼の女郎達の明治十年のストライキを題材としたとも、言われており、つい数年前迄建って居たのだが、今は取り壊されて仕舞ったのは誠に貴重な歴史遺産とーだったのに真に残念である。








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