魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

日本書紀や古事記での渡来人は朝鮮人だったとは朝鮮人の捏造プロパガンダだと言うことを知らずにまともに信

2013-01-20 23:12:10 | 朝鮮人

 先ず上のグラフを看て貰いたい。此れは捏造ではない!個の外にも日本人が世界で唯一特殊な遺伝子を持っているとの研究報告もある。日本への仏教公伝の具体的な年次については、古来から有力な説として552年538年の2説あることが知られており、一般的に538年が有力とされる。ところで、百済から齎されたとする日本書紀に書かれている「仏教公伝」の伝説には大きな齟齬がある。

 ところで、中国の文献に初めて倭国の記述が見られるようになるのは『漢書』における「地理志」の中である。紀元前1世紀ごろの倭は100国あまりの小国分立の状態であり、朝鮮半島にあった楽浪郡に使者を定期的に派遣して貢物を献上していた。処が、この楽浪郡とは、漢朝によって設置され、紀元前108年から西暦313年まで存在した、朝鮮半北部の地方行政機構であったとされている。詰まり、東方における中華文明の出先機関であり、朝鮮や日本の中華文明受容に大きな役割を果たした。

 つまるところ、紀元前1世紀ごろの倭が吸収した文化文明は、漢文化であり、その頃、独立国など無かった朝鮮半島独自の文化を受容れた痕跡は無いのである。更に、日本書紀に書かれた「仏教公伝」の逸話も、此れが始めて日本に仏教を伝わったものとされる根拠は無く、戦後、朝鮮人が捏造したものである。仏教典一環と仏像一体を百済の使者が貢物として宗主国倭に持って来ただけのものである。其れが分るのは、663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江「白村江の戦い」に日本の助力を頼みに来た百済の移民の援助要請である。

 当時、倭国は半島南部の任那を通じて影響力を持っていたと『日本書紀』が記している。大陸側でも、広開土王碑400年条の「任那」の記述が初出である。『宋書』では「弁辰」が消えて438年条に「任那」が見られ、451年条には「任那、加羅」と2国が併記され、その後も踏襲されて『南斉書』も併記を踏襲していることから、倭国が任那、加羅と関係が深いことを示している。しかしこの地域は、豪族による百済への割譲と新羅の進出によって弱体化し、562年以前に新羅に滅ぼされた。この事は、この時既に倭が朝鮮半島からの影響下に置かれていたどころか倭国の力が朝鮮半島に大きな力を持っていたことを顕しているのである。「仏教公伝」のずっと以前より、既に倭国は統治領として半島南部に任那を進出させていたことになる。

 詰まり、正しく百済は倭人の影響下に於かれ、倭国を宗主国とする倭人の傀儡国家だと言えよう。

 日本人は余りにも無防備で脳天気過ぎる。朝鮮人の工作を何の疑いも無く、更に、史実を確認することも無く信じてしまっている薄馬鹿が如何に多いかが分る。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿