尚、王旁の死期は、「魂魄の狐神」第一篇の当初に書きましたが、この近辺は良く視ると誤訳が多かったことを確認しました。更に、随所に誤訳を確認しておりますが、今、ちょっと忙しく、資料を探る時間がありませんので、校正など後にじっくり遣る積りです。悪しからず。
呉夫人の死期がなかなか見つからないのは、我は読んでいませんが次の著書にその理由が見出せるかもしれません。
第十編の訳文の間違いをお知らせする。王安石の以前に亡くなったのは、長子王雱王雱(1044年-1076年)であり、33歳で亡くなっています。王旁は王安石の死後も長く生きており、紹興二年1132年塩官県丞となっている。呉夫人については、「牛車五台」に高く積まれた中国歴代王朝の史書の膨大さを書き尽くした中国の書官の執念は驚愕に値するものとは言え、王朝の政務や歴史的出来事に関係しない人物の年表までは流石に書かなかったものではなかったのか?
もしかしたら、呉婦人の死の年月が見つけ難いのは、このような書籍にヒントがあるかもしれません。私は読んではいませんが。
書籍名 | 宋代庶民の女たち Kyūko sensho 第 第 36 巻 巻 |
著者 | 柳田節子 |
汲古書院, 2003 231 ページ | |
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