資本主義社会は、凡そ200余年以前に人間社会に姿を現した。其の後様々な失敗を繰り返し乍、資本主義社会は試行錯誤を重ねて時事変遷して来た。資本主義の経済の仕組みが人間社会に与える影響を考察するには、凡そ200年以前からの資本主義経済の在り様の変遷を眺めることが必要てぜある。此の変遷の流れは、大雑把に言って、三段階を踏んで来た。 |
現在の資本主義の危機を象徴する言葉として頭に浮かぶのは、「強権」と「独占」であろう。強権というと多くの人は、トランプ米大統領が掲げる自国第一主義の様に、大衆迎合主義に基づく利己的な政治外交を思い浮かべるかもしれない。然し、此れは元を糺せば、資本主義が構造的資質が齎したものであった。
2008年に発生したリーマン・ショックと世界金融危機では、それまで巨額の利益を上げて来たウォール街や欧州の金融機関が一時的に大損失を被ったにも拘わらず、各国国民の税金から搾り取った国庫の支援を受けて直ぐに立ち直り、結果として損失を国民に押し付けた格好になった。日本のバブルが弾けた時も同様に処置された。此のこと自体が、経済界と政治屋共の癒着のモラルハザードを呼び込み、各国の政治屋は、国民を蔑ろにして奴等の生業を政商稼業に重点を移した。
其の後も世界中の大企業が税制の抜け穴を使って節税に励む様子が発覚する等、21世紀に入って以降、一般市民が不公平感を募らせるような資本主義の“負の側面”が目立つ様に成って終った。
政商と財界の癒着は、「富や既得権益の独占」を拡大させ、こうした独占は場合に依っては産業構造や社会環境、更には人々の生活様式迄無条件に変えて終う力を持ち、結局、国家の私物化的非常に強権的な政治を行うことに成り始めた。資本主義はそれ自体が「人間に依る人間の家畜化」と言われる強権と独占に繋がる本質を内在しているのである。
資本主義の負の側面が表面化するに従って、最近では民主主義の後退や衰退を危惧する声が多く聞かれる様に成って来た。
資本主義は所謂デジタル化と結んだ時、非常に恐ろしい問題を抱えている。
デジタル革命は、本来、経済振興を側面で支援する所謂実業では無い分野での技術革新を齎すものなのだが、デジタル技術の急速な進展に依って、「デジタルによって持たせされた富を如何配分するか」という実業と切り離された分野の新たな富の配分の問題が生じている。今や米国アップルの株式時価総額は1兆ドルを突破し、米国の大手IT企業も稼いだ金を株主還元や内部留保に回す傾向が強く、一人勝ちに依る利益独占が批判の的に成っている。
然も、デジタルの問題が本当に深刻化するのは、寧ろ此れからではないか?今世界中で開発が急がれているAI(人工知能)やビッグデータの分析・応用技術等を通じて、此の儘では行く々は「デジタル資本主義」とでも呼ぶべき経済の新段階が到来することになる。
例えばAIの普及については失業者の増加や更なる格差拡大を懸念される。然し、生産性の飛躍的な向上が人口減少問題の解決に繋がるといった楽観的な見方の方が多い様です。一般市民の間でも、経済や産業のデジタル化が齎す利便性を好意的に捉えている人が多いのだ。
将来的にデジタル革命がさらに進むと、此れ迄長い時間を掛けて実現して来た豊かな国と貧しい国との間の「富の収束」が反転することに成り兼ねぬ。嫌、既に成り掛けている。然も、特に危惧されるのが、社会のセーフティーネットが先進国程整ってい無い新興国や途上国の雇用についてだといいます。
新興国や途上国が経済発展を遂げる際には、以下の様なプロセスを辿るのが一般的である。①外資の導入等も含めて都市部の開発が進む ②若者を中心に雇用の受け皿が多い都市部へと人口が移動する ③安価で豊富な労働力を求めて海外企業が進出して来る ④労働者が賃上げと労働条件の改善を要求する様に成る ⑤技術革新により製品やサービスの付加価値が高まり、賃金は更に上昇して中間層が生まれる
経済発展の初期段階に於ける低賃金は、貧しい国や人々が豊かに成って行くのを助ける効力がある訳だが、AI等に依る社会の徹底した自動化や効率化は、低賃金の優位性を大幅に低下させることに成る。AI等が浸透する時代には、人々の雇用には高度な教育や訓練が必要となるが、新たな教育制度や労働者の再訓練を実現出来るのは豊かな国だけに限られよう。否、日本も移民を勧めようとしているのは、少子高齢化に依る人手不足の解消では無く、日本民族を解体して単一国家を多民族国家にして、此の日本も「人間に依る人間の家畜化」を徹底して進めることで,日本国民同士の格差が広がることに成り兼ねぬ。
貧困から脱出して豊かになる道が塞がれたとき、多くの新興国や途上国で若い世代が労働力から政治的な脅威へと変わる可能性がある。場合によっては社会・経済システム其のものに反旗を翻す恐れもあり、資本主義は生産性や効率性を追求する代償として、大きなリスクを抱えることになることが予見される。
そろ々現代資本主義は限界を迎えて来ているのではないか。“富の追求”ではなく、“幸福の追求”に価値を置く時代に移って行く様にしなければ持た無い。
資本を使って新たな富を生み出すことは資本主義経済の基本でもあるし、一般的な営利企業なら、そうした基本を徹底して事業を営んでいくことに何の疑いも持たないだろう。
ただ現代の大企業は余りに大きく成り過ぎた。
大手企業は莫大な資本を利用して、市場に”正論”ともいえる製品やサービスを投入する。それに昨今ではGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazonの総称)と呼ばれる4大IT企業がアメリカ国内のみならず、世界中を席巻している。
上記IT企業の拡大にはテクノロジーの発展が企業の成長を支援したという面もあるが、世界中で富の追求をして来た結果、今の世界は富のバランスが偏り過ぎて終った。一部の大富豪62人が世界の富の半分を支配しているとも言われている位だ。危険である。
社会全体としても「お金の稼ぎ方」といった富一辺倒の生き方よりも、より人としての生き方、幸福について焦点をあてたライフスタイルが、此れからのスタンダードとなっていくだろう。そういう社会の方が望ましと思う世の中に作り替えるべき。
</section> </main>参考文献:
資本主義の発展と弊害
http://homepage1.canvas.ne.jp/minamihideyo/note-rekishi.htm
資本主義はいま、どのような問題に直面していると考えられますか?
https://manabow.com/qa/20181011.html
現代資本主義はもう限界!今後は富の追求から幸福を追求する時代へ
https://t-kagiya.com/pursuit-of-happiness/
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