魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【戦後日本は如何に異民族からの翻弄に遭ったか】

2014-12-15 22:26:32 | 歴史
 国鉄三大ミステリー事件とは、日本が連合国軍の占領下にあった1949年の夏に相次いで発生した、日本国有鉄道にまつわる真相に謎が残る三つの事件のことを言い、以下の三事件のことをいう。

✻下山事件 1949年7月6日 常磐線北千住 - 綾瀬駅間 5日朝、国鉄総裁下山定則が出勤途中に失踪し、翌6日未明に轢死体となって発見された事件。
✻三鷹事件 1949年7月15日 中央本線三鷹駅 無人列車が暴走し脱線。死者6人、負傷者20人を出した。
✻松川事件 1949年8月17日 東北本線松川 - 金谷川駅間 故意にレールが外され列車が脱線した事件。死者3人を出した。

 他にも当時の国鉄では松川事件と類似した列車脱線事件として以下の事件が発生した。

庭坂事件 1948年4月27日 奥羽線赤岩 - 庭坂間 死者3人
予讃線事件 1949年5月9日 予讃線浅海 - 伊予北条駅間 死者3人
まりも号脱線事件 1951年5月17日 根室本線新得 - 落合駅間 軽傷者1人

 昭和24年、中国大陸での中共軍の勝利や、朝鮮半島北に共産政権が台頭し半島南下の勢いを増す中で、アメリカ軍を中心とした連合国の占領軍は、対日政策を反共の防波堤として位置付けざるを得無かった。其の為に。高インフレを解消する為の所謂ドッジ・ラインに基づく緊縮財政策を実施した。同年6月1日、行政機関職員定員法を施行、全公務員を約28万人、同時に日本国有鉄道に対しては約10万人近い膨大な人員整理を日本政府に迫った。
 同年1月に実施された第24回衆議院議員総選挙では、吉田茂の民主自由党が単独過半数264議席を獲得するも、日本共産党も4議席から35議席へと躍進したことで、共産党系の全日本産業別労働組合会議や国鉄労働組合もその余勢を駆って人員整理に対し頑強な抵抗を示唆すると共に、吉田内閣の打倒と人民政府樹立を公然と叫び、世情は騒然とした。下山総裁は人員整理の当事者として労組との交渉の矢面に立ち、事件前日の7月4日には、3万人の従業員に対して第一次解雇通告が行われた。
 此れ等の事件は一貫して人員整理に反対する国鉄労組による犯行という観点から捜査が進められたが、三鷹事件で国鉄労働組合員11人が起訴され、10人の共産党員に無罪判決が出て1人の非共産党員に死刑判決が確定した以外、他の二件の事件は結果として誰も罰されること無く、消化不良のうちに事件の真相は闇に葬られた。
 更に、「GHQが事件を起こし国鉄労組や共産党に罪を擦り付けて、人員整理をし易くした」とする陰謀論が存在していて今も其のことは謎である。
 以上、Wikipedia掲載記事から借用して纏めた。

 斯くして、米国は自由資本主義を護ると言うことを名目に、軍事力を使うことも躊躇わず、世界中で露骨な共産主撲滅に執念を燃やした。中共や北朝鮮や露西亜に接する日本を共産主義の伸張を止める防波堤として重要な位置に在るとの強い確信を持って、米国は反共に対峙する砦と成す政策を採った。
 日本国内では昭和36年右翼活動家の児玉誉士夫が、「全国の博徒を大同団結させ日本国内の共産主義勢力を押さえ込む」という構想を持った。博徒の大同団結組織を「東亜同友会」と名付けた。児玉は同年夏ごろから錦政会・稲川角二会長、北星会・岡村吾一会長、東声会・町井久之会長らに根回しを始め、大同団結の同意を取り付けた。 恐らく此れも、本来A級戦犯で極刑にされても文句を言え無い元に本国軍軍属として暗躍した児玉の利用価値を見込んで、GHQが非正規組織の共産主義への暴力装置を作ることを児玉に依命したものである。然し、此の児玉の目論みは、やくざの組同士の反目により、直ぐにも頓挫した。
 文鮮明は。1959年10月2日日本でも世界基督教統一神霊協会を設立、1964年には宗教法人の認証を受けた。此の頃、児玉の仲介で岸伸介と接見したと見られる。以下は統一教会の文書である。
 「岸先生が統一教会に来られたのは1970年4月9日のことです。その後も、統一教会の理念や活動内容に深いご賛同をいただきまして、教会と親しくおつき合いしていただく関係となりました。1973年4月8日にも統一教会に来て歓談なさっています。1973年11月23日、岸先生は統一教会の創始者・文鮮明師と親しく対談され、意気投合するようになりました。文師が主催する国際会議「世界言論人会議」では議長を務められ、すぐれた国際感覚を発揮されました。
 そして、文師がアメリカで無実の罪により収監された際には、その真相を的確に理解され、アメリカの大統領宛に裁判の不当性を訴える意見書を出して抗議されるなど、終始一貫、神の摂理の動向を達観される見事な対応をされました。」
✻統一教会の根本経典「原理講論」此処には日韓合併時代の日本の凶暴性の虚構が憎悪を孕んで書かれている。

 岸伸介は弟の左藤栄作に頭が上がら無かった。安倍の実弟岸信夫も岸家に養子に出されて大人に成るまで自分が安倍家の子であったことを知ら無かったと言う。安倍晋三に関る血脈には不可思議な怪しさが漂う。

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