前回、本宅に帰った際、持ち帰った本である。ちょうど、この『論考』の読書会参加のために帰宅した。事前準備のために、何冊か関係書籍を別宅に持って来ていたが、これは、見落した。
「世界とは出来事たる一切である。世界は事実の総体であって、事物の総体ではない」 なんとかっこの良い言葉だ。読んで、こう感じた。これは、読書会でも発言した。そして、この野矢さんも、最初にこの本を読んで、そう思ったと「あとがき」に書かれていた。
「世界」をどのように解釈するか。これが、人間の本能である。感じることは全員共通だ。話せるか、そして、書けるか。言語がなければ、為し得ない。 この課題に真っ向から挑んだのが、ウィトゲンシュタインだった。稀有な存在だった。だからこそ、後世に生きる天星が読むのだろう。
きのうは、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(フッサール)を手にした。この本もなかなかの厄介もの。何度読んでも分からない。やはり「語ることのできないもの、これについては沈黙しなければならない」のだろう か?