ポイント
人間は人間の意識について考え、哲学者がその難問に挑戦してきた。
宇宙支配者の存在を考えたりしないニーチェが現れた。
「神は一個の仮想されたものである」
「しかし諸君、わたしの本心を打ち明けるなら、もしも神々が存在したなら、神ではない自分にどうやって耐えていけるだろうか。だから神々は存在しないのだ」
*1883年、ニーチェ「ツァラトゥストラ」第2部、至福の島々で、170頁
脳科学は加速度的に進行しています
脳の断面図
詳細図
まえがき
「脳と神」という恐ろしい題名の3回目となります。
天星人語は脳科学のプロではないし、脳科学について専門的な教育を受けたこともありません。
どこまで迫れるかではなく、私的な興味本位で書いているだけです。
読者の皆様にとり、そんなことは百も承知ですが、書いてみたかったテーマでありました。
それではもう少し、お付き合いください。
人間はどのように事物を認識するのか。
この問いに、カントは「純粋理性批判」で回答しました。
*西研「カント純粋理性批判」、11頁
このカント主著の主題は人間が認識する、つまり意識するとはどういうことだろう、かです。
最新研究では、脳の中の電気信号らしいのですが、仕組みはよく分かりません。
宗教者である物理科学者が書いた、宗教の中心問題は「真理とは何か」
我々は何者なのかという問いには、我々は神の被造物であると答えるのが正しいと私は信じる。
美を経験することは、創造主と喜びをわかち合うことである。科学をするとは、神がこの宇宙に与えた合理的秩序を洞察することである。道徳的認識は、神のよき完全な意志を直感することである。宗教は、隠れている神に出会う経験である。このような見解こそ、全体的なもので、私たちは初めて満足できるものである。
*ジョン・ポーキングホーン「科学者は神を信じられるか」95頁
思考という働きは神経細胞の複雑な発火現象ではない。精神は、単なる「脳の働き」ではない。意識の創生は、エネルギーという言葉で説明されるものというより、決定的に新しい何ものかである。我々が意識と呼んでいる活動を科学的に説明するには、数世紀を必要とすると私は信じる。
*同上、87頁
私が科学者としての履歴を捨て、襟をつけて司祭になってから、私の生活はすべての面で変わった。しかし、少しも変わらなかった大切な事実が一つある。私がこの二つの分野で絶えず真実を追求してきたことである。宗教は我々の精神を高揚させる技術でもなければ、現生の苦しみから解放してくれる麻薬でもない。宗教の中心問題には、「真理とは何か」という問いが存在している。
*同上、152頁
ポーキングホーンは理論物理学者で、英国国教会の司祭である。
ナースは、信心深いバプテスト派キリスト教徒をやめる。進化論を学び、悩んだ末の結果だそうだ。
*同上、訳者あとがき261頁
神は幻想で、自己の本質を解明できる?
われわれの神経系は、何十億もの神経細胞(ニューロン)が、何兆もの「シナプス」と呼ばれる結合をつくる、恐ろしく複雑な相互作用に基づいている。複雑怪奇に入り組んで、常に変化し続ける。相互接続したニューロンのネットワークが、豊かな電気的情報の流れを伝達して処理することでシグナル伝達経路を確立する。
研究者たちは、神経系を通じた視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の信号の動きを追跡した。どのようにして、何十億ものニューロンの相互作用が組み合わさって、抽象的な思考や、自意識や、自由意志に見えるものを生み出しているか、われわれはまだほんの上っ面をなでているだけだ。
こうした疑問への満足のいく答えを出すには、おそらく二一世紀いっぱい、もしかするとそれ以上かかるかもしれない。そして、従来の自然科学の手段だけに頼っていては、そこにたどり着けないと私は思う。
*ポール・ナース「生命とは何か」254~255頁
ナースはノーベル賞受賞者で一級の細胞生物学者であるが、このように解明には時間を要すると書いていた。
だが、科学の進行は加速度的だ。
来世紀(21世紀)の前半、科学は過去最大の難問に立ち向かう。これまでずっと神秘主義や形而上学のモノだった「自己の本質は何か」という疑問に答えを出そうという試みである。
*「脳のなかの幽霊」356頁
脳科学は、「世界を見つめる」非物質的な魂をもっているという観念は幻想にすぎないと告げている。
*同上400頁
人間の意識は画像で復元できるようになった。
さらに、思い浮かべた風景や動物をAIで画像復元する新技術を開発
という新聞記事を読みました。
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(注)
青字は日本経済新聞。